朝日新聞 1月23日

「道路公団民営化は失敗だった」との朝日新聞の記事に対して、発言したとされる小泉総理本人が、「ウソだ」と強く反発批判している。小泉総理が「道路は失敗したなあ」と発言したとする朝日新聞の記事は、この言葉を発したか発しないかということが問題なのではない。確かに、「失敗したなあ」くらいは、口にしたかもしれないからだ。小泉総理は、「郵政民営化」は、道路公団改革の10倍の価値があるとも明言している。しかし、朝日新聞が、どこかの言葉尻をとらえて、相手にダメージを与えようとする手法はフェアではない。

実は私も、特にここ数ヶ月、朝日新聞の論調には、すなおに受け入れられない部分を感じていた。読売新聞は、誰が読んでも体制側の新聞だ。しかし、それを十分踏まえて読めば、それはそれなりに価値がある。その読売新聞に対抗して、社会の良識を代表し、堂々と権力と立ち向かうべき朝日新聞が、この頃、少し変なのだ。

以前にも書いたことがあるが、私は、中学生の頃から朝日新聞を愛読していた。体制派に偏ることなく、しかしだからといって批判のための批判に成り下がることなく、論旨に一貫性があり一本信念が通っていた。へたな小説を読むよりはよほど勉強になるので、稚拙な文章力を少しでもブラッシュアップするために、朝日新聞を日々教科書のように読んでいた(る)私なのだ。

NHK問題でも、批判が先立つあまり細かい問題にこだわりすぎている。その結果、誤解を招き、読者を混乱させるにすぎない寂しい結果を招いている。安倍晋三氏や中川氏を狙い撃ちするような論調は、読むものにかえって不信感を与え、消化不良を起こしかねず、ここはやはり軌道修正する必要があるのではないかと思うのだ。憲法21条で保障された言論の自由を主張し、公平公正であるはずのマスメディアに君臨する大手新聞社を自負するのならば、その自覚を再認識し国民に対してブレない骨太な報道を心掛けて欲しいと、読者の1人として強く要請する。

単行本を買いたくても簡単には買えない私には、新聞は唯一の活字。朝4時半には届けて下さる配達員の方々には、毎日頭が下がる思いだ。奈良の女子児童殺害犯は、社会の糾弾を受けるべきだが、雨の日も風の日も、間違いなく早朝に届けて下さる新聞配達員の方々の努力には、本当に心から敬意を表するものだ。

公平公正、センターラインをはずさない骨太な報道、これこそが、朝日新聞の命綱であるはず。今一度の軌道修正を心から期待し、明日の朝も、朝日新聞を読む私なのだ。
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