株式会社葉月の社長ブログ 『うちは技術屋です』

飯塚市嘉麻市(筑豊福岡全域)で塗装・塗替え・防水改修などをやっています。

またまた邪馬台国の話し

2008年06月06日 | 日記
はい、これが最後です。


邪馬台国論を色々読んでの結果ですが、やはり全ての仮説に疑問が残ります。

そもそも邪馬台国の情報ってみなさんご存知の

『魏志倭人伝』でのみ紹介してあるんですよ。


ただ当時の中国の首長に卑弥呼の使者が拝謁してますので、邪馬台国が存在したのは事実です。


その魏志倭人伝は西暦200年代に書かれたものですが、実は複写による複写製なのです。
原本はそもそも発見されておりません。


なので、段落落とし、誤字脱字があるのは当たり前なのです。


魏志倭人伝には邪馬台国への方位と距離が書いてあります。

距離の単位は『里』です。

ただし、現在日本の『里』はおよそ4kmですが、果たして当時の『里』は何mだったのか。


実は、これが研究者によって400m~1000mなどとバラバラなのです。

一番多い意見の400mで計算すると、書いてある方位を信じて進むと

九州をつっきって太平洋に行ってしまうのです。

そこで、距離を調整する必要がでてくるわけです。

また、畿内説と九州説だと、方位が逆ですよね。

だから、自分の信じる場所に持ってくるために、
『これに書いてある東南とは、西南の間違いである』とか

『この南とは実は東の間違いである』という無茶な理論を振りかざす必要が出てくるわけです。


では、なぜそこまで強引に自分勝手に解釈して邪馬台国を比定するのか?

※比定とは歴史用語で、肯定の意味です。


それは、邪馬台国の本を書けば売れるからです。

しかし、売れるためには今までの説と違う場所を比定するか、また同じ場所としても違う手法でたどり着かないと本にはならないのです。


そのために、作家と言う名の付く人に『邪馬台国の情報を売りつけるブローカー』まで存在しているのです。


結局は魏志倭人伝に書いてある『卑弥呼に親魏倭王の印を送った』

と書いてあるその『印』が見つからない限り邪馬台国は見つからないでしょう。

また現在の天皇陵と認定されている古墳の調査は宮内庁から禁止されています。

だれの天皇陵か分からないのに調査を禁じているのです。

その禁止令が解除されれば、また違った歴史が出てくると思います。




これで私も一旦は邪馬台国から抜け出すことが出来ました。


次は



義経=ジンギスカン伝説です(笑)