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あらすじ。粗末な地図とおんぼろのレザージャケットを着ておんぼろのブーツを履いた僕は、古い街で途方に暮れていたわけで、そこに現れたおっちゃんの話。いまになって、ふと思い出し、あれこれ捻くり回してみたんだ。他にすることは、幾らでもあるのに…。今回は、長いっす。
参考資料:『ドナウ寿司』というゆらぎ。①
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海外生活の長かった友達に「また、行きたくなる衝動に駆られない?」と訊かれることがある。メールなどでも「こっちに来ないか?」と誘われることも少なくはない。どちらの質問にも「いいえ!」と、応えている。当たり前のことだけど、『場所(パキスタン、中国など)によっては…』と言うのは、あるんだけれど、基本的には、全然、そんなでもない。
国外に限らず、山の中、会議、気の進まない宴会やパーティー、何処であっても、どこか白けている自分がいる。そういった感覚を一度持ってしまえば追い払うのに結構な時間がかかる。なんというか、その場所に対して『異質である自分』を意識してしまう。例えば海外でも、現地の人に親切にして貰い、家族同然のもてなしを受けていても、何故かラップに包まれたような自分を意識してしまう。
ドナウのおっちゃんを思い出した。ハンガリーのブダペストにて、日本料理店を営んでいる、おっちゃん。OKUYAMAさん。今、当時つけていた簡単な日記で確認した。
一流のホテルに招かれ、雲上人に絶賛され、その後、満を持して独立したもののパートナーにお金を持ち逃げされ、ほぼ一文無しになり、再度150円から店をスタートさせ、ようやく軌道に乗ったと話していた、おっちゃん。多分、僕はずいぶん前から冴えない顔をしていたから、『喝』を入れられたんだと思う。それは、なかなか盛大な喝ではあったけど、僕の周りのラップはそれを受け流した。気質の問題だから、仕方ないと思う。そんなこんなで、随分の間、忘れていた。
特に、古い人工物に囲まれていると、振動の違いが感じられる。石畳とか写真にあるような建造物がある街の中で、僕は途方に暮れがちだ。映画に中に入ってしまったみたいで、リアリティーが感じられなくなる。僕の存在が、街を掻き乱すし、街の存在も僕を掻き乱す。それが、ラップに包まれたような感覚の正体だと思う。
少しずつ、同調して、そのうち完全な同期に至る場合もある。僕の場合、石とかアスファルトがそれを阻むような感じがする。人工物と共に創られたであろう、目に見えない、ルールや文化を、極端に畏れている気もしないでもない。
OKUYAMAさんの場合を、想像してみた。あくまで、想像だから、OKUYAMAさんには、少し申し訳ない気もする。
日本から、料理人として招かれた時は同調し易い環境にあったと思う。仕事場は、少なからず日本に似た振動を持っていただろうし、そうでないとしても、そのようにしなきゃいけない明確なビジョンがある。調味料を含むあらゆる食材は、日本の振動数を持ったまま飛行機に乗って(そう言っていた…、気がする)やって来る。一連の作業は、日本という振動数を提供する為に、綿密に準備され、使命を帯びて、かなりの高価な商品になる。その渦中、忙しさも手伝って異国と自分の間を流れる得体の知れないズレを意識することはなかったのではないだろうか?
その後、独立。しかし、異国のパートナーによって一文無しにされる。
再起、150円からの快進撃が始まる。最低限の調味料(醤油など)以外は、なるべく、地物を使っての商品開発。僕が食べたおでんに使われていたのは、その辺で捕れた海老から採った出汁と、ハンガリーの野菜、そしてほんの少しの、醤油。
セレブや日本人だけでなく、ブタペストに居る全ての人に日本料理を振舞う為の工夫。地物の野菜から始まった、同期を予感させる努力。少しずつ、異質と異質であったお互いの振動数が、近くなる。
日本人の滞在者や郷愁に駆られた旅行者の他に、好奇心を持ったブダペスト市民が少しずつ集まり始める。集まり始め、振動が近寄り、次第に歩調を合わせる。『異質なもの』が『特別なもの』になり、『特別なリラックス』になっていく。かつて異質であった振動数は、小さな同期を積み重ね、次第にゆらぎへと変化していく。毎日の営業の中で、それらが手ごたえになり、小さな同期は更に加速する。そこでの笑顔はOKUYAMAさんのものになった。そして、ゆらぎは完成した。
僕の想像から軽薄に生み出されたこの物語は、不意にも僕にとっての教訓に満ちているものになった。僕の言うズレは、変形し易い自然の中では軽いものになる。恐らく、僕の挙動が素直に、その場の『変形』に繋がるからだ。足もとの砂が崩れるとか、登った樹木がしなるとか。ごく初歩的な運動が、自分がそこにいる実感となり、理由に化ける。
しかし、文化や慣習を強固に持った街や国では、僕が逆に変形を受け入れなければならない。対象が石とかコンクリという場合だから、それは当然と言っちゃあ、当然なんだけど。その為に、好奇心を暴走させてもそれは叶うし、事前の情報収集でスタートは断然楽になるだろう。簡単に、居合わせた旅行者同士の情報交換でもいい。そんな、ちょっとしたことから、ラップを脱ぎ捨てた時から、同期は始まるに違いない。更には、忘れにくい目的を持つとかも有効だ。そういった態度や姿勢や、態度。最低限、自分の周波数を、石でできた建物や道路に合わせる工夫。ちょっとした、熱意に似たものとか、勘違いでも方向をしっかりと指す、ちゃんとした自意識とか。随分あれから経っているのに、今でも、どれも、獲得していないや…(悲)ま、そんなこんなで。
目的もなく、自覚もなく、何処を歩いても仕方がないのだろう。それは、何処でも同じなんだろう。あの時の『喝』は、今になって、ようやく僕に、届いたんだ。
…ボーと、生きている分、余計に時間がかかった。あの時は、ちょっとしか話していないけど…、「OKUYAMAさん、今、届きました!!そちらは、元気ですかぁ!!」ってな感じで、…おしまい。
*うろ覚えですが、確か?その店は『奥山の寿司』といった気がします。ブダペストに所縁がある方、これからブダペストに向かう方は是非調べて行ってみてください。
あらすじ。粗末な地図とおんぼろのレザージャケットを着ておんぼろのブーツを履いた僕は、古い街で途方に暮れていたわけで、そこに現れたおっちゃんの話。いまになって、ふと思い出し、あれこれ捻くり回してみたんだ。他にすることは、幾らでもあるのに…。今回は、長いっす。
参考資料:『ドナウ寿司』というゆらぎ。①
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海外生活の長かった友達に「また、行きたくなる衝動に駆られない?」と訊かれることがある。メールなどでも「こっちに来ないか?」と誘われることも少なくはない。どちらの質問にも「いいえ!」と、応えている。当たり前のことだけど、『場所(パキスタン、中国など)によっては…』と言うのは、あるんだけれど、基本的には、全然、そんなでもない。
国外に限らず、山の中、会議、気の進まない宴会やパーティー、何処であっても、どこか白けている自分がいる。そういった感覚を一度持ってしまえば追い払うのに結構な時間がかかる。なんというか、その場所に対して『異質である自分』を意識してしまう。例えば海外でも、現地の人に親切にして貰い、家族同然のもてなしを受けていても、何故かラップに包まれたような自分を意識してしまう。
ドナウのおっちゃんを思い出した。ハンガリーのブダペストにて、日本料理店を営んでいる、おっちゃん。OKUYAMAさん。今、当時つけていた簡単な日記で確認した。
一流のホテルに招かれ、雲上人に絶賛され、その後、満を持して独立したもののパートナーにお金を持ち逃げされ、ほぼ一文無しになり、再度150円から店をスタートさせ、ようやく軌道に乗ったと話していた、おっちゃん。多分、僕はずいぶん前から冴えない顔をしていたから、『喝』を入れられたんだと思う。それは、なかなか盛大な喝ではあったけど、僕の周りのラップはそれを受け流した。気質の問題だから、仕方ないと思う。そんなこんなで、随分の間、忘れていた。
特に、古い人工物に囲まれていると、振動の違いが感じられる。石畳とか写真にあるような建造物がある街の中で、僕は途方に暮れがちだ。映画に中に入ってしまったみたいで、リアリティーが感じられなくなる。僕の存在が、街を掻き乱すし、街の存在も僕を掻き乱す。それが、ラップに包まれたような感覚の正体だと思う。
少しずつ、同調して、そのうち完全な同期に至る場合もある。僕の場合、石とかアスファルトがそれを阻むような感じがする。人工物と共に創られたであろう、目に見えない、ルールや文化を、極端に畏れている気もしないでもない。
OKUYAMAさんの場合を、想像してみた。あくまで、想像だから、OKUYAMAさんには、少し申し訳ない気もする。
日本から、料理人として招かれた時は同調し易い環境にあったと思う。仕事場は、少なからず日本に似た振動を持っていただろうし、そうでないとしても、そのようにしなきゃいけない明確なビジョンがある。調味料を含むあらゆる食材は、日本の振動数を持ったまま飛行機に乗って(そう言っていた…、気がする)やって来る。一連の作業は、日本という振動数を提供する為に、綿密に準備され、使命を帯びて、かなりの高価な商品になる。その渦中、忙しさも手伝って異国と自分の間を流れる得体の知れないズレを意識することはなかったのではないだろうか?
その後、独立。しかし、異国のパートナーによって一文無しにされる。
再起、150円からの快進撃が始まる。最低限の調味料(醤油など)以外は、なるべく、地物を使っての商品開発。僕が食べたおでんに使われていたのは、その辺で捕れた海老から採った出汁と、ハンガリーの野菜、そしてほんの少しの、醤油。
セレブや日本人だけでなく、ブタペストに居る全ての人に日本料理を振舞う為の工夫。地物の野菜から始まった、同期を予感させる努力。少しずつ、異質と異質であったお互いの振動数が、近くなる。
日本人の滞在者や郷愁に駆られた旅行者の他に、好奇心を持ったブダペスト市民が少しずつ集まり始める。集まり始め、振動が近寄り、次第に歩調を合わせる。『異質なもの』が『特別なもの』になり、『特別なリラックス』になっていく。かつて異質であった振動数は、小さな同期を積み重ね、次第にゆらぎへと変化していく。毎日の営業の中で、それらが手ごたえになり、小さな同期は更に加速する。そこでの笑顔はOKUYAMAさんのものになった。そして、ゆらぎは完成した。
僕の想像から軽薄に生み出されたこの物語は、不意にも僕にとっての教訓に満ちているものになった。僕の言うズレは、変形し易い自然の中では軽いものになる。恐らく、僕の挙動が素直に、その場の『変形』に繋がるからだ。足もとの砂が崩れるとか、登った樹木がしなるとか。ごく初歩的な運動が、自分がそこにいる実感となり、理由に化ける。
しかし、文化や慣習を強固に持った街や国では、僕が逆に変形を受け入れなければならない。対象が石とかコンクリという場合だから、それは当然と言っちゃあ、当然なんだけど。その為に、好奇心を暴走させてもそれは叶うし、事前の情報収集でスタートは断然楽になるだろう。簡単に、居合わせた旅行者同士の情報交換でもいい。そんな、ちょっとしたことから、ラップを脱ぎ捨てた時から、同期は始まるに違いない。更には、忘れにくい目的を持つとかも有効だ。そういった態度や姿勢や、態度。最低限、自分の周波数を、石でできた建物や道路に合わせる工夫。ちょっとした、熱意に似たものとか、勘違いでも方向をしっかりと指す、ちゃんとした自意識とか。随分あれから経っているのに、今でも、どれも、獲得していないや…(悲)ま、そんなこんなで。
目的もなく、自覚もなく、何処を歩いても仕方がないのだろう。それは、何処でも同じなんだろう。あの時の『喝』は、今になって、ようやく僕に、届いたんだ。
…ボーと、生きている分、余計に時間がかかった。あの時は、ちょっとしか話していないけど…、「OKUYAMAさん、今、届きました!!そちらは、元気ですかぁ!!」ってな感じで、…おしまい。
*うろ覚えですが、確か?その店は『奥山の寿司』といった気がします。ブダペストに所縁がある方、これからブダペストに向かう方は是非調べて行ってみてください。
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