アテのない旅をいつ?・どのように?終わらせるか。
いよいよ終わりが見えてきたこの本の部分は実際の旅から17年後に書かれたそうな。
そういえば、これまで写真が一枚も掲載されていない。
現地の人を1,2枚撮ろうとしたら、次々に人が集まりだしてしまい大撮影会になってしまった、
なんて記述がたまにあるにもかかわらず。。
どうやら写真を撮ることをものすごく重いものに沢木さんは感じていたようだ。
カメラを構えることで土地の人々と言葉を交わすきっかけが掴める場合もある。
しかし、それと同時に、風景によって喚起された思考の流れが中断されたり、
人とのあいだに生まれかかった心理的なつながりに変化が起きてしまう危険性も少なくはないのだ。
それでもなお写真を撮ろうとするのには、よほどの情熱とエネルギーを必要とする。
海外旅行に出かけたとき、
写真を撮ることが自分にとって大きな目的のひとつ。
何気ない街の景色でも日本とはぜんぜんちがう雰囲気であれば、
ついついカメラに手が伸びてしまう。
よくよく考えてみると、沢木さんの旅の時代は写真といえばアナログのフィルムだった。
しかし、フィルムを交換したり、フィルムがどんどん溜まっていく当時の写真撮影は、
最近のお手軽なデジカメとは単純に比較できない。
たとえば、秋にロサンゼルスでたった一週間過ごしただけでも、
自分は1800枚以上も写真を撮った。
これがたった1枚のSDカードに収まって余りある。
もし、これがアナログだったら36枚撮りのフィルムでも50個以上もフィルムがたまってしまう。
そうなると思いつくままに気軽にシャッターを押すのを躊躇ってしまうのは当然といえる。
やはり、
つい最近になって自分が写真を撮ることに目覚めてしまったのは、
デジタル化が非常に大きな要因であることがこの本を通じてわかった。
作者の意図とはずいぶん見当違いの気づきであった。
アテのない旅・終わりを決めない旅は松尾芭蕉に通じるという
高田宏さんと沢木さんの巻末対談が興味深かった。
「旅とは何か」を考えることは人生における「生とは何か」を考えることにも通じる。
『おくのほそ道』の「古人も多く旅に死するあり」。
旅に出て途中で死ぬことは失敗ではなく、むしろ旅の完成。
「漂泊」することは何も役に立たない感じがするので、
そこにのめり込むのは人間としてまずいという感覚は殆どの人がもっている。
しかし、「漂泊」することは非生産的な行為にもかかわらず、
文章を書く・文学のためには生産性をもち、マイナスが一挙にプラスに転化する。
定住社会、生産社会からドロップアウトしたいという欲望は、
多くの人の心の底に眠っている。
ちなみに、自分はその欲望を強く感じている。
生きていることが、ちっとも楽しくない。むしろつらい。
何のために生まれてきたのだろう?
死に場所を見つけるために自分は旅に出たいのかもしれない。
このままガンジガラメなまま苦痛にあと20年も耐えなくてはならない。
耐えたあと20年後の自分は老人だ。
老人になってしまう前にいろんなところを見たい。
納得いかない定住的な人生のあとで死ぬよりは、
自由に動いた旅先で死ねたら納得して死ねるような気がする。
そんなことを考えさせられた一冊であった。。
深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海
沢木耕太郎
出版社: 新潮社 (1994/05)
ISBN-10: 4101235090
ISBN-13: 978-4101235097
発売日: 1994/05
いよいよ終わりが見えてきたこの本の部分は実際の旅から17年後に書かれたそうな。
そういえば、これまで写真が一枚も掲載されていない。
現地の人を1,2枚撮ろうとしたら、次々に人が集まりだしてしまい大撮影会になってしまった、
なんて記述がたまにあるにもかかわらず。。
どうやら写真を撮ることをものすごく重いものに沢木さんは感じていたようだ。
カメラを構えることで土地の人々と言葉を交わすきっかけが掴める場合もある。
しかし、それと同時に、風景によって喚起された思考の流れが中断されたり、
人とのあいだに生まれかかった心理的なつながりに変化が起きてしまう危険性も少なくはないのだ。
それでもなお写真を撮ろうとするのには、よほどの情熱とエネルギーを必要とする。
海外旅行に出かけたとき、
写真を撮ることが自分にとって大きな目的のひとつ。
何気ない街の景色でも日本とはぜんぜんちがう雰囲気であれば、
ついついカメラに手が伸びてしまう。
よくよく考えてみると、沢木さんの旅の時代は写真といえばアナログのフィルムだった。
しかし、フィルムを交換したり、フィルムがどんどん溜まっていく当時の写真撮影は、
最近のお手軽なデジカメとは単純に比較できない。
たとえば、秋にロサンゼルスでたった一週間過ごしただけでも、
自分は1800枚以上も写真を撮った。
これがたった1枚のSDカードに収まって余りある。
もし、これがアナログだったら36枚撮りのフィルムでも50個以上もフィルムがたまってしまう。
そうなると思いつくままに気軽にシャッターを押すのを躊躇ってしまうのは当然といえる。
やはり、
つい最近になって自分が写真を撮ることに目覚めてしまったのは、
デジタル化が非常に大きな要因であることがこの本を通じてわかった。
作者の意図とはずいぶん見当違いの気づきであった。
アテのない旅・終わりを決めない旅は松尾芭蕉に通じるという
高田宏さんと沢木さんの巻末対談が興味深かった。
「旅とは何か」を考えることは人生における「生とは何か」を考えることにも通じる。
『おくのほそ道』の「古人も多く旅に死するあり」。
旅に出て途中で死ぬことは失敗ではなく、むしろ旅の完成。
「漂泊」することは何も役に立たない感じがするので、
そこにのめり込むのは人間としてまずいという感覚は殆どの人がもっている。
しかし、「漂泊」することは非生産的な行為にもかかわらず、
文章を書く・文学のためには生産性をもち、マイナスが一挙にプラスに転化する。
定住社会、生産社会からドロップアウトしたいという欲望は、
多くの人の心の底に眠っている。
ちなみに、自分はその欲望を強く感じている。
生きていることが、ちっとも楽しくない。むしろつらい。
何のために生まれてきたのだろう?
死に場所を見つけるために自分は旅に出たいのかもしれない。
このままガンジガラメなまま苦痛にあと20年も耐えなくてはならない。
耐えたあと20年後の自分は老人だ。
老人になってしまう前にいろんなところを見たい。
納得いかない定住的な人生のあとで死ぬよりは、
自由に動いた旅先で死ねたら納得して死ねるような気がする。
そんなことを考えさせられた一冊であった。。
深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海
沢木耕太郎
出版社: 新潮社 (1994/05)
ISBN-10: 4101235090
ISBN-13: 978-4101235097
発売日: 1994/05