芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

広島、恨み…そして安吾の随筆から

2016年05月29日 | エッセイ
   

  
 広島をアメリカの現職大統領として初めて、オバマが訪れた。多くの日本人が「謝罪」を期待したのかもしれない。むろん謝罪の言葉はない。
 オバマ大統領のヒロシマ訪問に際してのアメリカと日本の大騒ぎに対し、即反応したのは中国と韓国であった。すなわち「ヒロシマを持ち出し、戦争の被害者面をするな。日本は戦争加害者であることを忘れるな」ということであろう。
 両国ともまことに執念深く、正直、日本人としてはなはだ不快の念を禁じえない。しかし日本が戦争加害国であることは間違いない。加害者はじきに忘れても、被害者はその恨みを忘れがたい。
 坂口安吾が「堕落論」に書いたように、特に概して日本人は忘れっぽく、昨日の敵は今日の友などと「思い込む」。お互い、いろいろあったが水に流して仲良くやろうと「思い込む」。相手は「お互いだと、水に流せだと」と思っているのに。
 さっぱりと、済んだこと、終わったこと、過去のことと、簡単に水には流せない。しかし、例えば中国では政治的な理由(低利の円借款を結ぶにあたって)で、それを口に出さず、国民が口に出すことも禁じていた時代があった。その後に国力が十分に付き、日本人が忘れていた(ふりをしていた)ことを、彼等はまた政治的な理由で言い出し、日本を戸惑わせ続けるのである。
 日本は中国に対し厖大な額に上るODAを、つい近年まで続けてきた。三百億円程度の無償援助は今も続いている。相手は世界第二位となった超大国なのである。何か日本政府に「負い目」があってのこととしか思えない。

 確かに、日本は加害国であった。その負い目があるのだろう。南京の虐殺は数の問題ではない。十万人だろうが三万人だろうが三千人だろうが虐殺は虐殺だ。またヒロシマ、ナガサキの原爆投下も虐殺は虐殺だし、三月九日から十日にかけての一晩の空襲で十万人の人が亡くなったのも虐殺だ。
 愚かな指導者による戦争は、加害国となり、戦場となった国々に大きな被害を与え、また国内に甚大な被害を受けたのである。さらに大陸や半島から内地に引き揚げる途次に、多くの日本人が虐殺にもあったのだ。
 しかし、アウシュヴィッツとヒロシマは第二次世界大戦の残虐性において絶対悪の象徴となったのである。ヒロシマも東京大空襲における焼夷弾の雨も、残虐性においては異なるところはない。一瞬に焼かれたか、一晩中燃え続けた炎に追われて焼死したかの差でしかない。
 あらゆる戦争による死、国家の名で行われる暴力は残虐なのだ。この残虐の惨状の原因は、日本の政治指導者、軍事指導者ら戦争指導者にあり、彼等の罪業を許すわけにはいかない。もちろん伊丹万作の言う通りでもある。
「だますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない…。…だまされたものの罪は、…あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が、外国の力なしに封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。」

 中国や韓国等は声も大きく執拗だが、フィリピンは第二次世界大戦で最も多くの死者を出している。またマレーシアの作家イスマイル・フセインの次の言葉を知るべきだろう。

「広島に原爆が落とされたとき、私自身は十二歳でした。その時に、原爆に対して私の家族がどんな反応を示したかをよく覚えています。大変に興奮状態でした。原爆の投下をラジオで聴いて、家族は、大変な技術の進歩だ、…長い間の戦争に終止符をうってくれたと話していました。長い間のマレーシアの苦しみがこれで終わって、戦争から解放されたという興奮がマレーシアの村々を駆け巡ったのです。」

 マレーシアの小さな村なのである。広島に原爆が投下された翌日には、それが
「原爆」であることがラジオで報道されたのだ。小さな集落の家々から老若男女が飛び出し、歓喜にわいたのである。
 注目すべきは二つある。日本はマレーシアの人々にそれほど憎まれていたということである。何をやってきたかが知れるであろう。また、日本国内では広島に大きな爆弾、(何か新型爆弾)が落とされたらしい、というわずかな報道と噂だけのときに、マレーシアの小さな村で、かなりの情報が報道されていたということである。日本国内はそれほど情報統制がなされていたということなのである。日本人は南京陥落の報道にわき、祝賀行事も行われたが、南京で何が行われたかについては東京裁判で耳にするまで、ほとんどの国民は知らなかったのである。報道統制とは愚民化政策、奴隷化政策のことでもある。

 さて、坂口安吾の「堕落論」にこうある。
「この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で…。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。
 武士は仇討のために草の根を分け乞食になっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。彼等の知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否肝胆相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照し、忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。…今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就いて執筆を禁じた如く、古の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。」

「私は天皇制についても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれど、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。…
 要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変わり易いから「節婦は二夫に見えず」という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於いて人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於いて軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。」
 安吾は「続堕落論」でこう続ける。
「いまだに代議士諸公は天皇制について皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。…
 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。」
 さらに坂口安吾はこう続けた。
「日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。」

 私は今ほとんど新しい本を読まないが、古い本を引っ張り出しては読み直すことにしている。内容を完全に失念しているため、実に新鮮で刺激的である。特に昨今の政治状況、事件や報道を見聞きするにつれ、その危険に思い当たるのである。坂口安吾の「堕落論」も「散る日本」も面白い。つまり今の状況と日本、日本人が、それらのエッセイが書かれた時代が示す符合が、思い当たるのである。

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