翌日は、岡崎城公園へ行く予定をしていたので、ホテルの送迎のあと豊橋から名鉄電車で岡崎公園前駅で下車
時間に余裕があったので、駅近くにある八丁味噌の工場見学に立ち寄ることに。今回は、工場見学した時のようすをご紹介したいと思います。
【岡崎の地で花開いた、400年の歴史を持つ八丁味噌】
愛知県を中心として一般に好まれるお味噌汁は「赤味噌」と言います。
実は、有名な「八丁味噌」は、ブランド名で分類は「豆味噌」といいます。
かたや「白味噌」は、同じ大豆が原材料でも製法が異なります。
(詳細は、こちらが詳しいです)
八丁味噌の名称は、岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にある岡崎市八帖(丁)町(旧・八丁村)で、造られた豆味噌から起因しています。
今も同町には、古くから八丁味噌製造販売をされている「カクキュー八丁味噌」さんと「まるや八丁味噌」さんがあります。
そもそも、愛知県岡崎市のこの地で八丁味噌が盛んに作られるようになった背景には、いくつかの理由が考えられます。
一つは、岡崎の風土が八丁味噌作りに適していたこと。温暖な気候と良質な水は、大豆の発酵を促し、深い味わいの味噌を生み出しました。また、岡崎は古くから交通の要衝であり、江戸時代には東海道が通り、物資の流通が盛んでした。そのため、八丁味噌は全国へと広がり、その名声を確立していきました。
今回は、創業370年の歴史を持つ「カクキュー八丁味噌の郷」さんの工場見学が、いいタイミングで予約が取れたので早速お伺いすることに。
昭和2年に建てられた当時としては斬新でモダンなデザインで市の登録文化財に指定されているそうです。
登録文化財案内
10数名が参加されていました。
資料館(大蔵)登録文化財 かつては味噌蔵として使われていたそうです。
役目を終えた味噌樽
「久」の文字が入った鬼瓦
本蔵地蔵尊 お地蔵様が祀られていました。
味噌蔵 山形に積まれた重石(おもし)積みは今でも職人が1個1個手作業で積まれているそうです。
【八丁味噌の作り方は、まさに職人技】
八丁味噌の作り方は、長年の経験と勘が求められる高度な技術です。大豆を蒸して麹菌をまぶし、塩と混ぜ合わせて木桶に詰める。そして、重石をのせて2年以上かけてじっくりと熟成させる。この手間暇をかけた工程一つ一つに、職人のこだわりが詰まっています。
資料館では、この伝統的な製法を当時実際に使われていた器具などを用いて製造現場を再現した様子が展示されています。
巨大な木桶に重石が積み上げられた様子は圧巻です。ひとつづつ職人の手摘みなんだそうで、ちょっとやそっとでは、崩れないそうです。
【圧巻の味噌樽は、昔ながらの手法で造られ職人の勘が頼り】
天保10年に製造された味噌樽 6尺(約1.8m)あります。カクキューさんで一番古い樽だそうです。
木桶を作るためのカンナ、ノコなどの専用道具
興味深かったのが角材状のコレ「正直台」と呼ぶそうです。
桶を作るには、職人の経験からなせる技が必要だったんですね。
【資料展示】
旧岡崎藩主・本多家の忠敬といった人たちの援助を得て明治25年に宮内省への八丁味噌納入の道が開かれ、そしてその品質が認められ九年後の明治34年12月28日正式に御用達の許可を得たそうです。
現在は、御用達制度自体も無くなり納入は無いそうです。
明治時代よりのパッケージいろいろ
海外向けパッケージ
南極の石 豊田市に住む八丁味噌の愛好家で南極観測越冬隊員から寄贈されたもの。八丁味噌は極寒の環境でも変食しないので携行食品としてその優秀さが認められ毎回使われていたんだとか。
本蔵地蔵 江戸中期 蔵を建てる際に土の中から現れたお地蔵様 外に祀られているものはレプリカ
観光ポスター
製造現場 人力での袋詰め作業 八丁味噌はその硬さ故に機械で充填出来ないんだそうです。
最後に、お約束の試食コーナーで八丁味噌、赤出し味噌の二種類の飲み比べと田楽の試食がありました。
(ちなみに、赤出し味噌のだしとは出汁入りという意味ではありません。八丁味噌(豆みそ)と米みそを合わせたものを赤出し味噌と一般に呼ばれています。 こちらも先ほどのリンクページが詳しいです。自分も出汁入りと勘違いをしていました。)
正直赤味噌のお味噌汁は、今まで苦手だったのですが今回、思っていたほどクセも少なく美味しく頂けたので今後は、赤だしのお味噌汁や赤だし味噌を使った「味噌カツ」や「味噌煮込みうどん」など意外な組み合わせの料理もあるそうで、毛嫌いせず頂いてみようと思っています。
公式ページ:合資会社 八丁味噌/株式会社 カクキュー八丁味噌
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