舅(享年60)が亡くなり 長い一人暮らしの知恵として 話し相手はテレビだったからだ。
テレビ相手に話し 例え会話にはならなくても 語彙は減るコモもなく 流暢に
また、テレビからは反対意見などの応答が帰ってこないから、持論を延々と展開し続け 満足感も味わえているようだ。
そんな姑(93歳)は 認知症にもならないですんでいる。
聞こえは悪くボリュームいっぱいの音量で、イヤホーンをつかっている、
難聴の為 普段の 私達との会話は成り立たないことが多いのは仕方がない。
朝の挨拶も こちらからに対して 昼過ぎに初めて顔を合わせたようなときもある。
実家の母はもつと 難聴である。
木曜の夕方 金曜は都合が悪くなったから「土曜に行くね」と、電話をしハイハイと答えていた母なのに、
私が着いた時には 手押し車を押し 家から出るところで、
「あれ!今日は来ないと、電話で聞いたのに」と、驚いている。
母は、自分の幼少期の不遇な生活や、
父の浮気 近所の方への不満(良くしてくださる方には感謝を述べているが)
を、母と過ごす時間中
延々と続く。これも堪らない。
難聴の為 大切なことは紙に書き 壁に貼付けて来る、母は私が帰ったあと 見直しているようだが。
アラ90迄生きているのだから、仕方がないとは分かっていても、
二人とも介護の域ではないのも助かっていることも承知している、が、
傾聴ボランティア と割り切れない私は ぼやいている。
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hibinouturoi
ふ~みん
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