眼科の主任部長に「多発性硬化症」と告げられ私は確信したが、神経内科の部長はそれを認めようとしなかった。
その頃の文献では、予後が20年~25年と書いてあった。
私の場合、発症が17歳の時なのか20代後半なのか分からなかったが、いずれにしてもそんなに長くは生きられないと思った。
それまでは実家から職場に通っていたが、命が短いかも知れないと思い一人暮らしを始めることにした。
普通の人から見ればそれはおかしな行動かも知れないが、私には一つの目的があってそうすることにした。
母は反対はしなかった。
入院中に外出届を出してマンションを探した。KK病院には先生方の家を探す専属の不動産屋さんがいて、その方の紹介で「これは見る価値がありますよ」と言われ見に行ったら、新築の一人で住むには勿体ないくらいの3LDKの賃貸マンションだった。壁紙が白くて一目で気に入った。
家賃は高かったが、賃貸の場合、病院から住宅手当が4万円位出ていたから大した支出にはならなかった。
実家から私の家具を運び、足りない電気製品や何かはデパートで次々と決めて買った。
お嫁に行かない代わりと言って合計百万円くらいは使った。母が「ああ、気持ちいい!」と言った。
それからは残業もせず、自分のためだけに時間を使った。
私は自分のお城となったマンションで、部屋の電気を消し「ホイットニー・ヒューストン」を聴きながらひとり涙していた。