MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

御言葉によって

2023-11-09 15:03:34 | 信仰

母はこうして家庭集会で救われた。

救われるとはこういうことだ。

 

 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよ   

 めてくださいます。                           (ヨハネⅠ 1:9)

 

罪とは法律的な罪ではなく、神を知らないで(無視して)生きてきたことだ。

 

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

                                        (マ タイ11:28)

 

 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものは      

 みな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であるこを 

 知っておられます。だから、神の国とその義を第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与 

 えられます。                       (マタイの福音書 6・31~33)

 

これらの御言葉に頼ることで肩の荷が降り人生が楽になり、自然と前向きになれるのだ。

 

母の好きな御言葉は、

 空の空。伝道者は言う。

 空の空。すべては空。

 日の下で、どんなに労苦しても、

 それが人に何の益になろう。

 私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。               

                                    (伝道者の書 1:2.3.14)

これは栄華を極めたソロモン王の言葉だ。ダビデ王の息子でどちらも実在の人物だ。

母は自分の人生を振り返って、自分の人生と重なったのだろう。

聖書の御言葉は不思議で、今まで何も気にせずに読んでいた御言葉が自分の心の中にすっと入ってくる。

そしてその御言葉が自分のものになって、自分を助けてくれるのだ。

私の人生も御言葉に助けられて、今まで40回近く入院しながらも今まで生きてこれたのだと思っている。

聖書は日本人には縁のない書物だと思われている方が多いと思うが、読んでいるうちに神様の言葉だと分かってくる。

 

聖書を読めば生き易くなるわけではないが、世の中とは無関係にしっかり立って生きることは確かである。

「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は、聖書である」

                         インドの指導者 ガンジー

               聖書協会共同訳 中型聖書革装 SI58

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家庭集会

2023-11-07 21:29:15 | これまでのこと

私が独り立ちをしたのは、自分の家で「家庭集会」を開くためだった。

家庭集会とは、メッセンジャー(聖書を分かり易く読み解く人)をお迎えして、集まれる方が集まってお茶や食事をしながら自由なひと時過ごす会だ。

私は母に救われて欲しかった。母は不幸な結婚生をしていたから・・・。。

母は親としては申し分ないくらい優しく、綺麗で友達からは羨ましがられていた。

でも、私の記憶の中では俳人の「杉田久女」の様にいつも台所の片隅で考え事をしており、笑いが見られなかった。
私は母を笑わせたかった。それには信仰を持つことしか考えられなかった。

私が病気だったから、家庭集会をする時はいつも手助けに来てくれた。お掃除もしてくれて感謝している。

家庭集会を開くとき一度に出来ないので、案内状を出す日、買い物をする日、お料理又はケーキを焼く日、お皿類を並べる日、と分けて少しずつ準備した。

母は仕方なく来ていたが、皿洗いなどの家事をして、最初は家庭集会には参加しなかった。

それでは意味がなく呼び寄せて参加するようにし、色んな人の問題を聴いているうちに、不幸なのは自分だけではないのだと、少しずつ心を開いていった。

ドイツ人宣教師のベックさんも来てくださり、母は洗礼を受けるまでになった。

母には拝んでいる偶像(熊野摩崖仏)があったから、信仰は行きつ戻りつしながらも漸く笑顔が見られるようになった。

私の作戦は見事成功したのだった。

      写真

          家庭集会にて                   熊野摩崖仏

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「多発性硬化症」と告げられて

2023-11-04 20:01:20 | 多発性硬化症

眼科の主任部長に「多発性硬化症」と告げられ私は確信したが、神経内科の部長はそれを認めようとしなかった。

その頃の文献では、予後が20年~25年と書いてあった。

私の場合、発症が17歳の時なのか20代後半なのか分からなかったが、いずれにしてもそんなに長くは生きられないと思った。

それまでは実家から職場に通っていたが、命が短いかも知れないと思い一人暮らしを始めることにした。

普通の人から見ればそれはおかしな行動かも知れないが、私には一つの目的があってそうすることにした。

母は反対はしなかった。

入院中に外出届を出してマンションを探した。KK病院には先生方の家を探す専属の不動産屋さんがいて、その方の紹介で「これは見る価値がありますよ」と言われ見に行ったら、新築の一人で住むには勿体ないくらいの3LDKの賃貸マンションだった。壁紙が白くて一目で気に入った。

家賃は高かったが、賃貸の場合、病院から住宅手当が4万円位出ていたから大した支出にはならなかった。

実家から私の家具を運び、足りない電気製品や何かはデパートで次々と決めて買った。

お嫁に行かない代わりと言って合計百万円くらいは使った。母が「ああ、気持ちいい!」と言った。

それからは残業もせず、自分のためだけに時間を使った。

私は自分のお城となったマンションで、部屋の電気を消し「ホイットニー・ヒューストン」を聴きながらひとり涙していた。

           アットホーム】北九州市小倉北区黒原から探す新築マンション・分譲マンション購入情報

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中心暗点

2023-11-02 12:56:48 | 多発性硬化症

20代後半から、排尿障害や疲れやすさ、記憶力の低下はあったものの、排尿障害のための「ウブレチド」という重症筋無力症の患者さんが使う薬を神経内科で処方してもらっていた。

37歳の時、左眼に時々黒いものがちらちらしていたが、そのうち消えるので気にしていなかった。

そのうち、黒いものが左眼全体に及ぶようになり、それでも4.5日で消えたので少しは気になったが無視していた。

そしてまたなった。それは1週間経っても消えずにさすがに不安になって、KK病院の眼科に飛び込んだ。

先生方が一変していた。みんな京都大学の出身だった。

「このままだと見えなくなるよ」と叱られながらステロイドの内服が始まりったが埒が明かなかった。

それで入院してステロイドの点滴が始まった。初め回復が見られなかったが、数日後にかすかに光が見えてきた。

そして完全に回復した。先生の方から「色が違って見えませんか?」と言われ、自分で思って言い出せなかったことを言われたので凄い!と思った。

眼科的には「球後視神経炎」だったが、主任部長から「多発性硬化症です。」と告げられた。

私はこれまでの症状に納得がいったので安堵した。

しかし母はこれまで見たこともないくらい号泣した。

           

          気になる目の症状|札幌市中央区テレビ塔近く眼科・内科の札幌そうせいイーストクリニック

             桜も緑の芝も全く見えずに真っ黒だった

            

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする