新緑の 深山に巨大 煉瓦鉄橋
仰ぎ見る 深山鉄橋 明治人
二百万個の 煉瓦積み上げ
国内最大のレンガ造アーチ橋で国指定重要文化財にもなっている碓井第三橋梁、通称めがね橋。煉瓦二百万個の重量感とその高さに圧倒されました。そして、これまでの地震にも耐えてきたこのような巨大建造物を、このような山奥に、今のような重機もなかったであろう時代に造った明治の人の心意気に胸打たれる思いがしました。
インターネットによれば;
1885(明治18)年には高崎―横川間、その3年後には日本海側の直江津―軽井沢間の鉄道が開通したものの、横川と軽井沢の間には急勾配の碓氷峠が要害のように立ちはだかっていた。難題解決の為にアプト式が採用され、1891(明治24)年6月に着工。設計者はイギリス人技師のパウナルと古川晴一氏。約1万5000人もの工夫を動員する人海戦術で、わずか1年半で完成させた。横川駅近くに500人の殉職者を供養する招魂碑が建つ。明治26年(1893)4月に開通して太平洋側と日本海側が鉄路で結ばれ、昭和38年(1963)まで利用された。
明治維新は1867年、乃至は1868年。このめがね橋が作られた時代は、日本が欧米列強に植民地化されまい、はやく列強の仲間入りをするんだ、と国を挙げて近代化へ邁進していました。多くの殉職者を出しながら、太平洋側と日本海側を鉄路で結ぶめがね橋の歴史を知ると、改めて、明治の人は偉いな~と思いました。
熊とヒル 気をつけろと言われても
さて、めがね橋への登坂路口に「熊出没注意」、「山ヒル注意」との表示がありましたが、「出てきたらどうしよう」と不安を感じながらも登ってしまいました。
新緑や 深山にはるか 廃線架橋
旧信越本線の碓氷峠架橋
碓井第三橋梁からの新緑は、今は盛りと瑞々しさに満ち溢れていました。遠くに小さく廃線の旧信越本線の架橋が見えました。新緑の海に浮かぶ鉄橋を眺めながら、年々再生の大自然と朽ちゆく人工物の組み合わせに、儚さと愛おしさ、ちょっと寂しい思いもしました・・・