千四百年遠忌で 初めて知るや太子廟
白秋や太子御廟に初参
白秋や思ひの深き三骨一廟
大阪府太子町 叡福寺にて
叡福寺 南大門
叡福寺 南大門より聖徳太子廟
叡福寺 聖徳太子廟
聖徳太子廟窟偈石碑
今回、法隆寺の方から、聖徳太子のお墓が大阪府太子町の叡福寺にあるということを初めて聞きしました。たまたまレンタカーで移動していましたので、早速叡福寺に向かいました。法隆寺から車で40分くらいのところです。
叡福寺のホームページによれば、聖徳太子自らが廟所として選定した叡福寺境内にある磯長廟(しながびょう)は、円墳(高さ7m、直径54m)で、内部は横穴式石室です。太子が亡くなられる2か月前に母后・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が、太子ご逝去の前日には妃・膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)が逝去されました。そして、太子と共に埋葬され、「三骨一廟(さんこついちびょう)」と呼ばれるようになりました。御廟内の石碑には、太子が遺言の形として記された偈文があり、そこには母は阿弥陀仏、太子は救世観音、妻は勢至菩薩の化身と書かれています。
この御廟には太子を敬う空海や親鸞、叡尊、良忍、一遍、證空、日蓮など諸賢聖が参籠されたとのことです。
この聖徳太子廟の近くには敏達、用明、推古、孝徳天皇陵や小野妹子、大津皇子のお墓があります。
この地、太子町は、今回初めてですので現在の状況は分かりませんが、かつては太子信仰のメッカだったのかな~、と思いました。
太子とお母さんと奥さんとが一緒に仲睦まじく埋葬されている。しかも、太子自らこの三人を仏と菩薩の化身と宣言されている。事実かどうか分かりませんが、このストーリーは人を惹きつけるだろうな、と思いながら暗くなり始めた奈良の道をホテル目指して車を走らせました。