秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

盧舎那仏 聖武(ひと)しのばるる秋の夕暮

2021年10月20日 22時32分32秒 | 旅行
盧舎那仏 聖武しのばるる秋の夕暮
          聖武:ひと 
 
 
 
 
 
 聖武天皇は724年に即位されました。
 天平9(737)年に大流行した天然痘では人口の約3割が命を落とし、当時政権を握っていた藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の藤原四兄弟もこの病によって全員死亡しました。天平時代は旱魃・飢饉が続き、大地震もあるなどして社会が不安にさらされた時代であったようです。おそらく、社会不安は今日のコロナ禍の比ではなかったと思われます。
 このような社会状況の中、聖武天皇は社会不安の除去と鎮護国家を念じて大仏の建立を発願したものと伝えられています。制作開始は745年、完成752年。
 仏像は、私には人の形を仮にしている精神性を秘めた「あるもの」のように思えます。
 今回、コロナ禍で奈良の大仏さんを拝観しがら、今から千三百年前、天然痘を始めとする自然災害に対応、苦悩されている聖武天皇をも想いました。
 そして、国家指導者としての聖武天皇を勝手に想像しながら、今回のコロナ禍での安倍元首相、菅前首相を思い比べていました。
 10月31日は衆議院議員選挙の投票日です。国政選挙は毎回大事ですが、このコロナ禍で露呈した日本の国力の著しい衰えを思いますと、今回の選挙は特に大切のように思えます。
 若者が主役となってこの国の形を作ってくれることを願って、このコロナ禍での2年間、更にはここ10年間、議員、国の指導者、政党の言ってきたこと、行ってきたことを今一度思い起こしながら、貴重な一票を投じたいと思います。

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娘より来る 総菜七品 つまにして 十六夜の月 酒も格別

2021年10月19日 19時06分24秒 | 日記
娘より来る 総菜七品 つまにして
    十六夜の月 酒も格別
        娘:こ
 
 10月18日、娘からいつもの美味しいパンに加え、総菜が七品が送られてきました。昼に味見し、これはいけると夕食時の酒のつまみにとっておくことにしました。
 折よく今宵は十六夜の月。日が落ちれば月は明るく静やかにおられます。お酒もすすみました。
 七品の総菜の内5品は酢の物でした。菊の花と利尻昆布。利尻の昆布はこの夏の私の礼文・利尻旅のお土産ですが、食べて美味しいし、出汁(だし)としても効いていて、さすが利尻昆布、と思いました。大根と輪切り唐辛子、利尻昆布。蕪とトマト。カリフラワーのカレー味。そして生姜です。
 残りの2品は和え物で、ピーマンとカツオフレーク、茄子と竹の子です。
 娘がこんなにも作れるのかとひとり感心していましたら、奥さんは「自分も若い頃作っていた」とのことでした。母親の影響なんでしょうか、母は偉大と改めて思いました。
 写真にあるもう一品は黒霧の水割り、です。
 この日は義父の命日でもあり、娘のお蔭で良いひと時を過ごすことが出来ました

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巨大山門 いにしへ人の心しのばる

2021年10月17日 23時18分06秒 | 旅行
巨大山門 いにしへ人の心しのばる
        東大寺南大門
 
 天平創建時(8世紀)の門は平安時代に大風で倒壊し、現存のものは鎌倉時代(13世紀)に再建され、国内最大の山門とのことです。
 これまでの旅で訪れたお寺で結構多くの山門は見ていたのですが、今回、この山門の巨大さに圧倒されたせいか、これを造り維持してこられた人々の宗教心の深さに思いを新たにしました。同時に、初めて次のような疑問が湧いてきました。西洋には日本の山門のように宗教的意味を持たせた「門」はあるのだろうか、少なくとも私が訪れた欧米の土地にはなかったように思います。立派な門としてはパリで凱旋門を見ましたが、宗教的意味は持たされていないようです。
 インターネット情報による私なりの勝手な解釈によれば、仏教とキリスト教における聖域(=神聖にして犯してはならないとされる区域)の範囲の差から「門」の位置付けが異なっているのかな、と思いました。
 仏教における聖域は金堂、五重塔などの建物を内包する境内全体で、この聖域を境内の境界線で守る役割を期待されて東、西、南の方角に山門が造られます。東大寺南大門には阿形、吽形のこれまた巨大な金剛力士二体が門の両サイドにでんと構えておられます。
 キリスト教における聖域は教会堂という建物内部だけで、従って仏教的意味での「山門」はなく、教会堂への出入口だけがある、ということなのでしょうか。
 旅は自分の未知をも教えてくれる、これもまた旅の楽しさの一つかな、と思います。
 大仏殿の前に江戸時代に建立された「中門」があります。南大門と比べると小ぶりですが、それでも大きく、しかも朱色が綺麗に残っていまして、南大門、大仏殿の往時の色彩を連想させてくれます。
 
 
 
 

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巨大木造大仏殿 焼失再建 繰り返し 千三百年を 生きて今ある

2021年10月17日 02時02分32秒 | 旅行
巨大木造大仏殿 焼失再建 繰り返し
  千三百年を 生きて今ある
 
 
 奈良ホテルでチェックインして一息入れた後、東大寺に歩いて行きました。2007年3月のお水取りの時以来です。鹿さんもたくさんいましたが、気のせいかどこか精気が感じられません。 
先ず南大門が見えてき、大きいな~、と思いました。次に中門、受付口を通ってお庭に出て大仏殿を見ましたが、マッコト大きい!
 大仏殿の創建は751年で今から1270年も前です。1181年と1567年に戦火で焼失し、現在のものは1709年に再建されました。正面の幅は58m、奥行き51m、棟までの高さは49mで、記録によれば、創建時のサイズは、奥行きと高さは今のものとほぼ同じですが、正面幅は86mもあったとのことです。
 東大寺の大仏殿は木造建築物では世界最大級と表現されていますが、木造軸組建築としては現在でも世界最大とのことです。今現在、世界最大の木造建築物はスペインで2011年に完成した「メトロポール・パラソル」といわれており、地下にはローマ遺跡を展示する博物館、1階には飲食店や市場、2階には多目的広場があるとのことです。 
 今回改めて思いました。1300年前に建てられた巨大木造大仏殿が、正面幅は狭くなったものの、そして、2回も焼失で無に帰したものの、日本人はその都度建て直し、おそらく、基本的には1300年前と同じ姿・雰囲気で今日まで伝えられている。これは素晴らしいことだ、と思いました。
 換言すれば、巨大仏殿は、それが焼けて物理的に無になっても大仏殿を大切に思う人々の心の中では生き続け、国費と民衆の寄附・浄財で再建されてきました。この日本人の心性と日本の文化は、美しいというか、素晴らしいというか、日本人に生まれてよかったとしみじみ思いました。

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奈良の秋ホテルも古き歴史しのばる

2021年10月16日 00時12分50秒 | 旅行
奈良の秋ホテルも古き歴史しのばる
         奈良ホテル
 
 
 
 これまで奈良路の旅は友人宅にお世話になっていましたが、今回初めて宿に泊まることになりました。で、どうせ古都に泊るなら歴史あるところが良かろうということで探しましたら、奈良ホテル本館は1909年、明治42年に関西の迎賓館として建てられたとの説明文に惹かれて予約してしまいました。
 建物の外観と内装、調度品、そして天井の高い部屋等々、期待に違わずに歴史を感じさせてくれました。大正11年にエドワード英国皇太子、アルベルト・アインシュタイン、昭和12年にヘレンケラー女史も泊られ、アイシンシュタインが弾かれたピアノも置かれていました。
 館内に飾られている絵画も美術館で見られるような素晴らしいもので、上段左の絵は「池田寒山 片岡山の飢人に施衣」という日本書紀に出てくる聖徳太子の飢人伝説を題材にされた絵とのことです。
 このホテルから興福寺、東大寺、奈良町は徒歩圏内です。
 このホテルと周辺の世界遺産のお蔭で、奈良平安から明治・大正時代までを偲ぶひと時を過ごすことが出来ました。

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