ラ・サール高等学校時代
60年前の思い出(昭和36年~39年)
ラ・サール高校に入学
宮﨑市立宮﨑中学校を卒業して、父の国鉄転勤により鹿児島市に移転しました。それで、鹿児島市の高校を受験することになりました。
私立ラ・サール高校と県立鶴丸高校を受験して、幸いに二つ合格しました。
どちらの高校に行くか迷いました。中学校の担任の先生は、ラ・サール高校は中高一貫教育なので高校から行くのは不利なので鶴丸高校に行くように勧めました。しかし、父親がラサール高校を希望したこと、住まいが宇宿町でラ・サール高校の近くであったことからラ・サール高校に入学しました。
入学時の成績は上位クラスでした。
授業風景
ラ・サール高校の生徒は、中学から上がってきた2クラス(80名位)と、高校から入学した2クラス(80名位)の計160名位でした。
3年生のときは、統合して3クラス(理系1,文系2)になりました。
ラ・サール高校は、外国のミッション系の学校なので英語の教育に熱心でした。外国人の宣教師が校長先生で朝礼では英語でしゃべりました(通訳付き)。英語の授業は、外国人の宣教師が英語で教えました。
倫理の授業、漢文の授業などもありました。
高校一年当時の校長先生
若くてハンサムな宣教師でした
高校に入り、英語が好きになり将来は外国に行きたいとの夢もあって、タイプライター教室で3年間タイピングの練習をしました。その成果もあり、裁判所に就職したときにワープロで書類作成するのにブラインドタッチで入力ができ役に立ちました。
英文タイプライター
用紙を載せてキーを打ち直接印字する
成績は下降線
中学時代は、数学(特に幾何学)が好きで成績も良かったのですが、高校に入ってからは、テレビばかり見て勉強しなかったことから成績が下がっていきました。
ラ・サール高校では、成績の悪い人(約1割)を落第させました。成績の悪い人は他の高校に転校したりしました。幸いに、私は落第は免れました。
反省
高校生活は、受験主体の授業であり、男子ばかりの殺伐とした感じで楽しくはありませんでした。
今思えば、ラ・サール高校より、中学校の担任の先生の教えどおり県立の鶴丸高校に入学していた方が良かったかと思いました。普通の高校の授業、男女共学など、楽しい高校生活が送れたと反省しています。
概観
フランシスコ・ザビエルの来日400周年を記念して、カトリックの鹿児島教区の男子校を設立したいとの要請で、世界に1,300高余りの学校を経営するラ・サール修道会が請ける形で昭和25年にラ・サール高等学校を開校、昭和31年にラ・サール中学校を開校する。
初代校長のマルセル・プティは、”Best amon the best"を掲げて社会に役立つ自覚形成と能力の最大限の発揮を目指した。
現在は、中学から160名、高校
から80名ほどが入学する。
兄弟校に函館ラ・サール中学、高校がある。
※Wikipediaより
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