OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

すべて一画である

2011年01月21日 | 書かない書道!入門
なかなか進まない
「書かない書道講座」は③である。

書というものが、誰でも接するものであるのに特別扱いをされるようになって、「芸術」の分野に取り入れられて久しい。
それほど昭和の書は、革新的に書く人の意識は変わり、作品もきらきら輝いて、書は世界のアートシーンで語られる時代もあった。
それは幸運であった。ただそのことばかりを追って、そのまま書を背負っていくと、形骸化してしまう。昔の芸術的作品は今は変わったお習字に過ぎないということに成りかねないのである。

理論家や研究者も多いが、書に頭は必要だが、頭で書くのではない。
前置きが長くなったが、今日の「書かない書道」は、結果が観られないという「書かない」であって、書いてしまうレッスンである。

書はカラダで書くのである。何も持たず、身体の芯を揺らしながら探る。
おへその下の方というか、おへそから肛門にかけてというか、いわゆる丹田をまずは意識してみるといい。
そこからコマのように芯から外に徐々に体を揺らしながら、手、指と自然に伝道するようにしてみる。
指先が動いたら、それが筆の動きにつながる。
書は呼吸である。基本的には静かで長い呼吸をとってみよう。腹から吸って長く吐く。さらにつま先まで呼吸するイメージである。

そしたら中指の上に隣の人指し指を軽くのせて、身体を使って空中に大きな「十」を書いてみよう。膝も自然に柔らかく使おう。全身を使うのである。
次に空中に「大」を書いてみよう。

空に向かって書けば、くよくよすることはなくなるかもしれない。
さて、「十」も「大」も画数は二画や三画ではないことに気づいてくれたと思う。
空中でかくと「雲」も「龍」もすべて一画である。

実際に書き表す時も、この気持ちが大事である。ここに書が書である醍醐味があり、絵画やデザインとの大きな違いである。
駅のホームでもやってほしい。ゴルフの練習をするおじさんより怪しがられること必至である。
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