OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

君ヲ想ウ

2011年05月10日 | 書かない書道!入門
書は、いつでもだれでも書ける。
記録はすぐメモる。
手紙はその時の思いをつづる。

結果的のそういうものが書の名品になっていることは多い。

はたまた、作品を作ろう(書こう)として作り(書き)、名品にしたものもある。

書は日頃、修練し、その上で、その時の状況で何かを書く。 というような事が多い。

また、書は上手さではない。
時に、子どもが書いたのにも驚く。

書は、その内容をただ書くことを要求されることがある。
そこでは、それにまつわることを瞬時に判断し、その期待に応えようとする。

そして他に、今はあたり前のようにいわれる表現としての書がある。

表現として大事なものは何か。
うけるセンスか。
誰も考え付かないようなことか。

時代が変わっても、表現として大事なことは、心に何があるかではないだろうか。
言葉と書線、墨色……、いくつかのことをジグソーパズルのように組み合わせていく。
そうしたなかの思いが形を作っていく。

その思いはしっかりした生き方が作る。
また、深い想いから生れ出ることもある。

想っていても、ありきたりの表現になることはままある。
だったら想わなくても、ハチャメチャに書いた方が、目新しいかもしれない。

そういうレベルがほとんどでありながら、また書を書く停滞気味の現世である。

それでも、意(こころ)を尽くせ。

遥かむかし、「君ヲ想ウ」とシルクスクリーンにしたことがある。
誰にも見せられない作品であった。
そのシーンは今も続いて、いつか作品になるか?
凡作にするかしないかは、生き方なのだろう。

書の善し悪しは、おおかた生き方で決まる。
書く前に生き方を見つめろ!

このご時世、存在感をアピールする輩も多いが、
また、ちまたには存在感のない書が多すぎる。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (へら彦 )
2012-12-30 08:46:32
はじめまして,おはようございます。「雑体書」で検索していたら,こちらに辿りつきました。

「ちまたには存在感の無い書が多すぎる」

 なるほど!”と思いました。此れから楽しく読ませてもらいます。ありがとうございました。
返信する
へらぶな (小熊)
2012-12-30 23:33:22
こちらこそ、はじめまして。
コメントありがとうございます。

最近は自己アピールだけの存在感のある書も気になりますが…。

へらぶな、からの、へら、ですか。
釣り人は、仙人みたいですよね。
ゆっくりみられませんでしたが、さっと、ブログ拝見。

また、よろしく、です。
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