OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

単純にひたすらに繰り返す事

2011年10月12日 | 書かない書道!入門
たぶん、の話である。
見えないものの話であるから少し怪しいかもしれぬ。
怪しいと思ったらこれ以上進まないほうがいい。

座禅の奥羲は、呼吸である。

気功の奥羲も、ただ立っているだけ。息をしているだけである。両手で抱える姿勢をとるのもその延長である。
次に、両手の前後のぶらぶらであったりする。

つかみたいのは呼吸であると同時に、無意識の細胞単位の変革である。
腹式呼吸をただ単純にひたすらに繰り返す座禅。
セノトリンをだしながらα波状態へ。

そのように、ひたすら繰り返し、書く書道。
気に入るまで、同じところを何枚も何枚も書いていることも日常の書の風景。
そして墨磨りである。

墨磨りは、書く前に精神を集中させて……などというなかで、前近代的と捉えられた面もあるが、その書の古臭さの印象は、新たに素晴らしい文化であることと捉え直さなくてはならない。

私は教える時は基本的に墨を磨らせる。
そこは墨色が無限の色調であったり、筆とのタッチが変わったり、紙との相性を肌で覚えるのにはもってこいであるからでもある。

たぶん、の話であった。
ちなみに私は、状況に応じて、時に墨汁、たまに墨磨り機も使っているのが正直なところであるけれど。

バカにされがちな、単純にひたすら繰り返すことの美しさ。
そこここにあるだろう。

書では、大きめな硯に水を数滴ずつ、まず体全体を使って力を入れず墨を磨りつづけ、ゆっくり深い呼吸と一体になってみることのすすめである。


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4 コメント

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Unknown (美鼓)
2011-10-15 02:04:22
先生、ありがとうございます。

できるかどうかは?ですが、
よく見つめ直してみたいと思います。
返信する
あやしい占い師のように (小熊)
2011-10-14 10:40:52
というわけで、呼吸で何でも変わる、という言い方は、キャッチコピーにはいいのですが、人間は、日常に生きている方がほとんど。
いい環境を作ることが大事なんでないでしょうか。

その気になって変わっていくきっかけをつかむ事もありますよね。
返信する
たぶんの話しⅡ (小熊)
2011-10-14 10:30:48
大家じゃないので、偉そうなことはいえない。
たぶんである。

北京にいる時、朝六時から公園にいってただ立っているだけ、の練功をしていた時期あり。ただ、結果はなにを得られたかわからない。

その後、少しずついろんなことに接してきて確信できることは、人間は頭で考えてしまうことの多さ。赤ちゃんのように自然に存在できれば。
呼吸を私は大事に考えています。リラックスの状態を常に保ちたい。

でも、その方法は、無理しないことじゃないでしょうか。はじめは大きく深呼吸。意識は丹田に、程度でいいんじゃないでしょうか。
あらためて深呼吸の気持ちよさが体感できたら、自然に。
座禅も無理して呼吸してませんよね。自然に、ゆっくり吸って、尚ゆっくり吐く。

一日ワークショップで、磨って書いて磨って書いてを一日繰り返す。
時に何も考えないで墨を磨っている状態になっている方がでます。見てても気持ち良くなります。たとえ、いい字が書けなくてもその瞬間が尊いと思えるほど。

急に変わることはないと思います。習慣じゃないでしょうか。
これは技法とちょっと違う。

「書とうまくかかわれば健康になる。私は悪いとこばっかりですが」といってます。苦し紛れに「書聖王羲之も悪いとこばっかりだったようだ」と付け加えて。

何も考えない方がいい時があるようです。
自然に身を委ねることができれば。

たぶんの話しⅡでした。
陽を浴びて、にこっとして、鼻から息を静かにすって、口から全身の息を出し切る。それを数回繰り返してみてはいかがですか。
気持ちいい程度でいいんじゃないでしょうか。
返信する
ゆったりと (美鼓)
2011-10-13 20:31:40
ゆったりと大きな呼吸、落ち着いた呼吸のとき、人はどんなふうに変わるのでしょうか?

心から大きく変わるということは有り得ますか?

やはりそれも継続し続けることでしょうか・
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