姫路・播磨の条里制・その方向について。 (その1)。
1、条里制と、条坊制とについて。
◎ 「条里制」って・・・・?
『条里制』という言葉は、いつ習ったのだろうか?
・現在、小学6年生では習わないようだ。
『小6社会教科書』に、「口分田」「班田収授」「公地公民」は出てくるが、「条里制」は、ないようだ。
(昨日、本屋さんで見てきた、が・・・)
・では、むかし習ったのは、中学校 . . . 本文を読む
写真は、姫路・明治時代の地図? この地図は、
◎ 『高町のあゆみ・英賀瓦工の里・高町』(姫路)より転写させて頂きました。
(原典・原図は、もっと鮮明です。)
・姫新線が無い。(姫路ーー余部は、昭和5年)。
・山陽電車が無い。(姫路ーー明石は、大正12年)
・飾磨街道と山陽道が・・・直角の関係。
(山陽道は、旧山陽道)
・江戸時代(初期)の推定・海 . . . 本文を読む
写真は、「中央南北幹線」構の歩道橋(飾磨西中学校前歩道橋)より、北方望。
[撮影:土井治道] (正確には、北23度東方向を望む)
・前方の高架は「姫路バイパス」。
・背景の山は、広峰山。その最高部を「白幣山」という。(真正面)
ここに吉備真備(きびのまきび)を祀る廣峯神社の「吉備神社」がある。
・そのライン上には、琴丘(薬師山)の「大 . . . 本文を読む
写真は、秋分の日の頃の播磨灘の落日。姫路港(飾磨港)沖から西望。(家島航路にて)
・落日は、ほぼ真西。赤穂御崎方面か。あるいは唐の都・長安の方向か。
======================
伝説・廣峯神社。
「吉備真備」きびのまきびの お・は・な・し。
奈良時代、朝廷は役人や学者、僧などを遣唐使として、難波津から瀬戸内海を通り、
唐の国への使いとして . . . 本文を読む
写真は、『津田の細江』から、広峰山の方向を見たモノ。(前回の写真のほぼ反対側)
・右の赤い欄干の橋が、「思案橋」。
・目前のマンションのスグ右、広峰山の上が「廣峯神社」。
・船の上の、緑の上の、山上の建物は「ハイランドビラ姫路」。
======================================
3.『都太乃細江』から、「廣峯神社」を見てみる。
・『津田の細江』 . . . 本文を読む
写真の思案橋は、 国道250号線の飾磨の「思案橋」のスグ南にあります。
この写真は、海の方を向いての撮影です。
=====================================
姫路市飾磨区思案橋。 (国道250号の旧道)。
最も有名な「思案橋」は、長崎の「思案橋」でありましょう。
◎ 哭いているような~、長崎の街~
・♪長崎から船に乗って . . . 本文を読む
写真は、姫路・駅南大路 (南行き車線)。(飾磨区三宅の付近から北望)
・右の高いビルが、姫路市役所。(直線部分は約2km続く)。
・この大通りのツキアタリは、姫路駅。 方向;北23度東。
・さらに、向こうの山は、広峰山・増位山・随願寺あたり。
====================================
2、姫路市役所付近。(飾磨区三宅)
姫路市役 . . . 本文を読む
1、姫路城下町と、その周辺。
姫路城下町(城南地区)で育った私は、
姫路城下町の街並み街路が真北に対し、約14度ほど時計回りに傾いている
ことは知っていた。
◎「姫路市史」にもあるよう、
姫路城下町は、 築城ライン (北14度東。)
総社ライン (北 5度東~0度。)
条里ライン (北22度東 )
. . . 本文を読む
『風水都市・姫路』 と云われて久しい。
(ねっとでは、2002年:松岡肇氏からか?)
★ おしらせ?。
この記事の前に、「風水ー1」もあります。
姫路バイパスの方向性に関する、たわごとです。
夏至の日の、日の入りの方向??
興味のあるお方は、ーーー前記事へ遡って下さい。
ーーーーーーーーーーーーーー
『風水都市・姫路』
東西南北。
東--青龍
西--白虎
南--朱 . . . 本文を読む
気になるので、昨日(H、22,6,24)(夏至の日の3日後)
夏至の頃の、姫路バイパスの入り日。の写真を撮って参りました。
時刻は、午後7時ごろ。
やはり、正面より約7度ほど北に寄っています。(西30度北の方向)
◎ 記事は、前回の記事をご覧下さい。
このページ最下部の 「前の記事へ」をクリックしてね。 . . . 本文を読む