播磨灘のメモ帳。

時空を超えて、播磨灘の周辺を徘徊する
姫路の市川のほとりに住む
豆石煌、豆石光と、市川のカッパのメモ帳です。火山豆・

〔風水- 3〕姫路城下町と、その周辺。

2010年06月28日 | 風水
1、姫路城下町と、その周辺。


姫路城下町(城南地区)で育った私は、
姫路城下町の街並み街路が真北に対し、約14度ほど時計回りに傾いている
 ことは知っていた。

  ◎「姫路市史」にもあるよう、
     姫路城下町は、 築城ライン  (北14度東。)
                総社ライン (北 5度東~0度。) 
                条里ライン  (北22度東 ) 
              などが複合して形成されている。

  かし(昭和35年ごろ)姫路駅の南には南部の飾磨地区との間に、
田畑が広がっていたとは思うが、当時の状況を私はヨク知らない。
しかし、山陽電車(姫路~飾磨)の線路と平行する「飾磨街道」を歩いて通った覚えはある。
その周辺が開発され、大通りも出来た。
縦横に直交するキレイな区画の街並みが作られた。

     ◎姫路市の区画整備事業は、スゴイ!!

この部分は、姫路城下町部分との、方向性は異なる。

当然!城下町の方を基準に考え、駅の南は奇妙に曲がっている、と私は思っていた。
「大手前通り」に対し、「駅南大路」は曲がっている。と・・・。

姫路の町のメインストリート大手前通りが北14度東であるのに対し、
この駅南地区の傾きは「北21~23度東」なのである。

姫路の街並みは、姫路駅の南北では、その差、約8度のズレがある。のである。
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では、ナゼそうなったか。
駅南地区の再開発にあたって、市が強権を発動し、線引きした?。
そうではないらしい。

どうも、
駅南地区の街並みは、奈良時代の条里制を踏襲するものらしい。
  それが証拠?に、姫路城の、北部の花北地区、
                   城西の南新在家地区、
                   東部の市ノ郷地区など、 
      姫路城外は皆、同一方向(駅南地区と同一)を呈している。

すなわち、姫路城下町部分のほうが変位しているのであって、
城下町以外が、「北21~23度東」の向きになっているのだ。←では、なかろうか??
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   !注!:この意見には、根拠がありません!
            私は、「条里制の研究」は、しておりませんし、
            考古学における『姫路の条里制の範囲』も知りません。
            まあ、フィーリングですね。
          ◎ 詳しくは、学者先生にお確かめ、くださいませ。

     参考図書:・「播磨国の国衙をめぐる諸問題」(東郷松郎)--N20°E説。
            ・古地図。  
     ◎ :昭和初期の地図と現在の地図とで「北」の方向が1~2度異なるモノもあります。
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    ◎ まるで、姫路城下町は、大海に浮かぶ小島のようです。
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    その気で、地図を見れば、このことは、一目瞭然であろうと思われます。

    その地図は「 姫路 城下町 街路 地図z」などを、ご検索ください。

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                                姫路・豆石煌 記。

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1 コメント

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姫路西高校の位置。 (カッパ)
2016-03-15 22:31:22
姫路西高校の位置は、姫路駅や、

姫路城より、東にある。


地図で確認を!!
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