滋賀県・京都府とその周辺の山と滝

比良・鈴鹿山等の滋賀の山や京都北山を中心とした、山登り・滝巡りなどを写真で綴る個人記録帳です。

2019.10.27 京都の滝/比叡山音羽川に音羽の滝を探して

2019-10-27 23:27:59 | 京都の滝(京都市内)
2019.10.27[修学院離宮13:18〜13:28雲母坂登山口〜音羽の滝〜京都一周トレイル合流〜15:54水飲対陣跡碑15:56〜梅谷〜16:23修学院離宮]

音羽川沿いは一般ルートではありません。
第4号堰堤(仮名称)は工事中で遊歩道の階段は撤去されている。階段跡の岩を登るが危険です。
第6号堰堤(仮名称)は左岸に固定ロープがある。
踏み跡が残っているが、消えている箇所、不明瞭な箇所が多い。


午前中は地域の防災訓練に参加。今日は体調は良さそうなので、午後から簡単に行ける面白い所はないかなと頭をめぐらす。そういえば先日比叡山に行った折に、京都一周トレイルで音羽川をまたいだ時、この下流にあったとされる音羽の滝は、現在はどうなっているのだろうと考えていたことを思い出す。そうだ、音羽の滝を探しに行こう。調べると修学院離宮前に新しくコインパーキングができているのでアクセスも簡単だ。

京都には音羽の滝が4つある。亀岡の半国山中腹にある音羽の滝をのぞけば、京都市内には3つ。一番有名なのは清水寺にある音羽の滝。これはもちろん人工の滝。人工の滝で一番人が多く訪れる滝ではないだろうか。2つめは山科音羽川にある音羽の滝。落差5mほどだが音羽川本流にあり水量多く、横を走る車道からも眺められる。そして修学院の音羽川にかかっていたと言われる音羽の滝。

修学院の音羽の滝は「平安の頃、比叡の嶺なる音羽の滝は、旧記によると三段の飛瀑をなし、九仭高く、翠岩にして樹木うっ蒼、淵を囲んで飛沫雨の如し」とある。古今和歌集にも、「落ちたぎつ 滝の水上 年つもり 老いにけらしな 黒き筋なし」(壬生忠岑)とも歌われたり、源氏物語の夕霧巻にて「耳かしかましうとどろき響く」と記されいるように、かつては名勝だったことが伺われる。
また、音羽川一帯は、白川砂という花崗岩の美しい白砂の産地ですが、花崗岩侵食作用が激しく、昔からこの川は、氾濫して土石流となって市街を襲ったと言います。石の産地で昔から石切・採石が盛んで、江戸時代にはすでに音羽の滝はなくなってしまっていたとされています。その後も氾濫は続き、1934年の室戸台風、翌1935年の集中豪雨の被害を受けて砂防工事が始まり、さらに1972年の台風20号による土石流の発生でその工事はより強化され現在に至っているようです。

なので滝は消滅していたと思っていたが、どうやらその一部は今も残っているらしいとのネット情報があったので、これは京都に住む滝好きの私としては行って調べてみなければと思った次第。

まずは修学院離宮前を右に折れて音羽川に出て、川左岸の遊歩道を上流に向かう。雲母坂との分岐を迎えると砂防堰堤が見える。第1号堰堤と呼んでおこう。2面ピラミット状の階段を登ると、すぐに第2号堰堤が見える。この上の河原ではバーベキュをしているファミリーがいる。
右岸に渡り第3号堰堤を左から越えると、工事道路に出会う。正面に補修工事中の巨大な第4号堰堤が見える。立入禁止だが今日は休日で工事も行われていないので進むことに。

さて、この音羽川下流域は「音羽川砂防学習ゾーン」とされ、子どもたちに水害や砂防ダムの重要性などを学習してもらおうという目的で、遊歩道が京都府によって整備されている。いやされていた。と言うのもこの工事現場でその遊歩道は完全に遮断されてしまっている。この巨大な第4号堰堤の左には長い急な階段が設置されていたのだが、それが取り払われているではないか。
取り払われた後は花崗岩がむき出しになっている60度くらい斜面、というか壁になっている。またその取りつきまでも斜面が崩れている。段差があるので硬い岩なら容易に登れるかもしれないが、風化した花崗岩の壁で、岩盤の上に崩れた砂利がのっていて非常に滑りやすい状態。対岸は大きなコンクリートの段差となっているため登れそうもなく、この壁を登るしかない。
岩の上の砂利を丁寧に取り除きながらゆっくり登る。思わぬところでロッククライミングとなった。下から見上げていたよりも実際には風化が激しく、使えないホールドやスタンスが多い。それでも慎重に何とかあとすこしの所まで登ってきた。
ところがここからが最大の難所だった。草を掴んで大きな段差をひとつ登ると顔は堰堤の縁に出た。ということはあと1.5mほど。でもここは垂直の壁と堰堤本体のコンクリートの壁に挟まれて手がかり足がかりがない。懸垂で登るような力はわたしにはない。ここまで来て敗退か、下るのも恐いなあと思っていると、堰堤のコンクリートに打ち込まれた金属の杭が3㎝ほど僅かに出ている。さらに堰堤の上を見るとここにも僅かな杭が。階段設置の金具の残骸だと思われる。大股で右足つま先を堰堤の杭に乗せ、そこに全体重をかけて体重移動し右手をのばして堰堤上の5㎝ほどの杭を掴む。そして左足を無理矢理堰堤の縁まで持ち上げて、あとは力任せで登り切る。高度感があるだけにちょっと緊張する場面だった。

堰堤の上はせき止められた川の水が池になっている。その縁は動物の足跡だらけ。途切れていた遊歩道はこの上には残っているが、土砂で半分埋まっている状態。少し進むと第5号堰堤があり、この下に3mほどの滝がかかっている。ここで旧学習ゾーンは終了。

第5号堰堤は右岸に石段が設けられており簡単に越えられる。その上には美しい連続する流れが見られる。しばらく行くと小滝がありその上に第6号堰堤がかかっている。ここは左岸を少し登ると固定ロープが設置されている。その手前大岩の元には小さなかわいらしいお地蔵さんが鎮座。まだ新しいお地蔵さんだ。
緑の固定ロープを伝って、最後の3mほどは堰堤と岩の隙間にスタンスを取りながらロープに全体重を預けて登り切る。難所だが第4号堰堤の崖登りに比べると高度感もなく、お助けロープもあるので安心だ。

すぐに第7号堰堤と第8号堰堤が2段になってかかっているのが見える。ここは左岸の段々の古い石垣を登る。さらに第9号堰堤があり同じように左岸で越える。途中台地状の場所に石碑のようなものがあるが、文字が刻まれていたような跡はなく、自然とできたものだろう。
すぐにまた第10号堰堤で左岸に石段があるが荒れているので適当に斜面を登る方が楽。

この上には小滝があり、奥に3段に見えるやや大きな滝がかかっているのが見える。その上はこれも大きな第11号堰堤。この3段滝は落差が10mほどあり、これが音羽の滝の名残だろうか。水量も多く迫力のある雰囲気のいい滝だ。この滝が音羽の滝の一部だとすると、そのほとんどが消滅した音羽の滝は相当に規模の大きな滝だったに違いない。地形的にひとつの大きな滝というよりも連続する滝群だったようにも思える。ここは三脚を出して撮影。でもダイソーの500円三脚はやはり使い勝手が悪く、安定性もよくない。すぐに手持ちに変えて、手ぶれぎりぎりのシャッタースピードで撮影する。

この滝は左岸滝際を簡単に登れる。間近で滝を眺められ、水飛沫も浴びることができ楽しい。横から見ると、滝は正面から見ている時のイメージと違ってほとんどが滑り落ちる斜瀑で、長さ20mほどの間を方向を変えながらくねくねと白龍が下っていくイメージだ。上部は傾斜が大きく水の跳ねも豪快で、いつまで見ていても飽きない光景だ。

ここから左岸の崩れやすい斜面を登っていくと開けた台地に出る。人工的にも思え、砂防工事の時の資材置き場か何かだったのだろうか。一旦第11号堰堤の落口に下り、上から先ほどの白龍の滝を眺める。京都近郊の山とは思えない秘境だと改めて思う。
再び台地まで上がって踏み跡を辿ると第12号堰堤があり、堰堤の下には大岩の間を流れる小滝がある。左から越えるとすぐに第13号堰堤と第14号堰堤が2段になって落ちているのが見える。

左岸の踏み跡を辿ると草地の斜面となり、横断して踏み跡が続いている。下方には小滝が見える。踏み跡から外れて滝を見に下りる。滝の手前は倒木で遮られているが、落差3mほどの滝壺を従えた立派な滝が見られる。
この先には堰堤はなく、流れは穏やかになってくる。時々小滝が流れ、常に楽しませてくれる。踏み跡はずっと左岸についている。左に支流を2本分けるのが樹間より見える。この支流は水飲対陣跡碑から京都一周トレースを下ってくる途中に渡る2本の谷で、地形図を見ると音羽川との合流付近の等高線が密になっているので、滝でもあるのではないかと思っていたが、対岸からだが見る限りそれはなさそう。支流を分けた先からは川を渡って踏み跡は右岸についている。概ね歩きやすくなってきて、さらにいくつかの極小さな小滝を見て平流となると、京都一周トレースの合流する。

今日はここで終了、水飲対陣跡碑から赤山禅院へと軽く走って下りていく。

今日は急遽思い立っての山行だったので下調べをしていなかったが、帰ってからゆっくりとネット検索するとブログで1件、ヤマレコで2件の音羽川遡行記録があった。なんとそのうち1件のヤマレコはyamaneko0922さんのものだった。復習しながらyamaneko0922さんの感想を読ませてもらいました。それによると春のクリンソウの時期も良さそうだが、第4号堰堤を登るのはもうイヤなので、行くとしたら上流からかな。

因みにこちらで京都府の音羽川に関する資料を見ることができます。
http://www.pref.kyoto.jp/kyotodoboku/documents/otowapdf.pdf#search='音羽の滝+修学院'



修学院離宮から音羽川へ南進、ここから川を遡ります。


しばらくは左岸の遊歩道を行きます。


雲母坂への道を分けると、音羽川学習ゾーンにもなっている散策路へ。ところどころこのような看板があります。


第1号堰堤横の階段


学習看板2つ目


第2号堰堤


学習看板3


第3号堰堤


学習看板4


学習看板5


第4号堰堤
左奥の花崗岩のボロボロ斜面を登ります。


第4号堰堤を横から


第4号堰堤を登り切りました。
かなり高度感があります。
写真左端中央やや上にある柵設置金属の残骸に右手をかけて体を引きずりあげました。


第4号堰堤上


学習ゾーン遊歩道は半分土砂に埋もれています。


学習看板6


第5号堰堤と前衛の3m滝


第5号堰堤前から振り返る。柵のある箇所が学習ゾーンの終点


第5号堰堤は石段を登る


第5号堰堤上の美しい流れ


第5号堰堤上の美しい流れ


小滝を従えた第6号堰堤


第6号堰堤


第6号堰堤横のお地蔵さん


第6号堰堤はお助けロープで登る。


ロープ場を上から


第7号堰堤、上に第8号堰堤も見えています。


古い段々の石垣を登ります。


第8号堰堤の上は平流、緑が眩しい


第9号堰堤


逆光の緑が眩しい


ここも段々の石垣を登ります。


石碑のような石
奥は第10号堰堤


第10号堰堤


第10号堰堤の上は流れが傾斜を増し、奥に滝が見えてきます。


この川最大の滝、音羽の滝の一部でしょうか。
奥には第11号堰堤


音羽の滝?


音羽の滝?


音羽の滝?を登る途中から


音羽の滝?上段


巻く途中から音羽の滝?を見下ろす


上の方が明るくなり台地に飛び出します。


突然の広場


第11号堰堤の上から音羽の滝?を見下ろす


第12号堰堤と岩間の小滝


岩間の小滝をアップで


第13号堰堤と第14号堰堤


3mほどの小滝
滝壺を従えた立派なものです。


3m小滝の下流は平流


その後もごく小さな滝がいくつか続きます。


小滝の中では最大、1.5m滝


小さな落差だが広い滝壺が美しい


さらに遡ると


京都一周トレイルが横断します。
ここで音羽川から離れ帰路につきます。


水飲対陣跡碑から赤山禅院へと下っていくと、このケルンがあります。


梅谷?にかかる橋がいい感じ


下りてきました。


私個人の主観で作っていますので、人により実際と異なって感じる箇所があるかもしれません。
※谷沿いなので大雨が降るなどした場合、ルートや地形が変わってしまうかもしれません。地図の間違いや事故等などの責任は負いかねますのでご了承ください。

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