とにかくやってみよう!!

日々の発見や気づきなど書いてます。
どうぞおつきあい下さい。

できることをする

2011年07月27日 | Weblog
久々の更新になりました。
その理由・・・・
色々と書こうとおもったこともあったけれど
何を書いても今までと少し違う感覚がありました。

それは3/11の震災がきっかけです。

言葉がとても軽く感じられてしまい
とてもとても心に思うことを表現できなかった。

でも

考えこんだところで始まらない。

あれだけの惨事が起きても
努力して再生させようとする人々を報道でみると
私が思考を止めてたってなんら意味がないことがわかる。

2010年父を亡くした後、思考停止になったが
新しく気づく事もあり、今がある。
震災後またまた思考停止になりかけたが
また新しく気づく事もたくさんある。
いつでも、どんな時でも学びとる事はたくさんあるものだと実感。

できることを淡々と行う事が今すべきことかな。

関東地方はいつか地震がくると小さいころから言われてきた。
いよいよ来るのか・・・なんて思ってしまうが
東北の方々のように我慢強くいられるだろうか?
なってみないとわからない・・・・。

やはりできることを淡々と行う事にしよう。

あしあとがね・・・

2011年02月28日 | Weblog
gooあしあとがなくなってしまうそうですね。

訪問して下さる方のサイトに逆におじゃましたりして
私としてはいいサービスだと思っていたのになぁ

機能というのは新しくなっていくものなのでしょうが
同じようなことができるように何か考えてくださっている
ところなのでしょうかね?

うまくいかないこととそこから得ること

2011年02月12日 | Weblog
うまくいかないこと、ありますね。

私はここ数日で、自分を支えてくれる人に改めて感謝をする機会を得ました。

うまくいかなかったことは人間関係。
得たことも人間関係。
物事には両側面が存在する。

大人になってからの人間関係のことで考えれば
一番を争うショッキングな事な気がしたが

それをきっかけにより大切な人間関係に気付いたなら必然だったかな。
転んでもタダでは起きないわ

大事にする人を間違えたと感じるとそれまでのことが悔しくなったりします。
私もただの人間・・・NLPを習おうと何しようと腹が立つときは立ちます。
でも、消化する。
私が努力しようとすることを理解してくれる人がいる限り
力を出せるように頑張ろう


家族、友達、同僚、先輩、後輩・・・・
自分の未来は重要だが、
自分の「今」を支えてくれている人のありがたみを
忘れずに過ごすことを尊ぶ関係でいたい。

心の適応力

2010年07月05日 | Weblog
父が亡くなって1カ月。

最初は気が張っていたので、心には強い思いがありつつも、
不意に涙が出たりしていた。

でもだんだん、大きなものを亡くした失望感がリアルになり
かかえきれなくなりそうになった。
一人で居続けたら軽く狂ってしまいそうな気分。

でも私の周りの人々がかけてくれた言葉がそういったときに
意識にあがってきて支えになった。
言われた時は特に意識しなくても脳は覚えていてくれる。
そして必要な時に思い出されるから不思議。

私の強がる癖を知っている友人は「気丈にふるまいすぎるな」と言ってくれた。
私の上司は「立ち直れなくなりそうな時は言ってね」と言ってくれた。
昔の同級生は「辛いだろうが前に進むしかない」「できることがあったら言ってね」などと声をかけてくれた。

最初は頑張らなきゃ!と思っていたが、頑張れない自分がいた。
自分にがっかりする瞬間である。

「立ち直れなくなりそうな・・・」との言葉をくれたのは親を亡くした経験を
している方で、言われた時は「自分は消化できる、きっと」なんて思ったが
自分のダメっぷりを前にして救いになった。
私だけじゃないんだ、立ち直れなくなりそうな瞬間は、それぞれ大事な人を
亡くした人に襲ってくるもので当然なんだ・・・。そう思えた。

仕事は仕事なので、いつものようなパワーは出なくとも
なんとか毎日過ごしていたが、やっぱりなんだか気持と行動が伴わない感じがあった。
その時は「気丈にふるまいすぎるな」との言葉を思い出した。

これから先を考えた時、しっかり頑張れる自分でいたい。
だったら悲しむのはやっぱり「今」でいいんだ。
悲しいんだから今はそれでいい。
だから今は無理をしない。でもそのかわり
ちゃんと前を向けたら力強く事に対処しよう。
そう思えた私は、我慢することなく、通勤の途中でも父を思い出しては
涙を流していたりしていたし、父の遺影の前で悲しんだり、
母と父の思い出話もたくさんした。
父が経験した一連の医療の流れにおいても自分がとった対処方法は
これで良かったのか、もっとできたことはないのか・・
もっとできたことがあったのなら、それをしなかった私が
父の命を縮めた事になるのではないかと自責の念もでてきた。
考えると辛い面もあったが、ごまかさず、でも強がらずに、
今は何が悲しいのか、心残りなのか、不安なのか、先々どうしたいのか
自分の考えをまとめながら過ごした事でそしてさらに、母との考えのすりあわせができるようになってきた。

そうなってくると不思議と落ち着きがでてきた。
難しく考えなくてもいいようになってくる。
けっこうシンプルに、その時必要なことをしていこうと思えている。
まだまだ力強くはないが、父の死について肯定的なことが中心となって
思いだされてきて、ホッとする瞬間が増えつつある。

私がNLPの講座で勉強した多くの事柄の中で、物事は見えている事柄が
必ずしも全てではなく、違う見方もできるということも学ばせてもらっていた。
ここ数年間に読んだ本もとても役にたっている。
そして周囲の人の言葉もありがたいな、と痛感する。

とらえ方次第で人生に無駄なことはない。
起きた事柄、感じた事柄、学んだ事柄、色々・・・・
すべてが今の私、これからの私をつくる。
父の死がもたらす多くの事を自分のこれからに役立てていければいい。
人としての存在そのものを失ってもなお、私には偉大な存在であり、
むしろ、私の人生にますます関わってくれる存在として感じられるように
になったのではないかとさえ思い始めるこの頃です。

心の変化というか適応力とは面白いものです。

何がですか?

2010年07月05日 | Weblog
「何がですか?」
この言葉、どうもひっかかります。

そう投げかけられたことできちんと覚えているのが2例あります。

仕事中にPCソフトの操作方法について質問している電話において
「何がですか?」と聞かれたのが1例目。
そして今日、洋服販売の店員の方との会話で「何がですか?」と、これが2例目。

これ、変ですよね?

でも何が変なのか、具体的に表現できません。

私は、こう言われると「ん?」と思います。
その先の話をしにくくなるのです。

PCソフトの操作を質問しているときに、「何がですか?」と
投げかけられて、「ん?」と思った私は
「何がですか?ってずいぶん失礼な言い方なさいますね」と言ってしまった。
ところが相手の方は私にそう言われた理由が分からないようで
それこそ「何がですか?」と思ったらしい。

少なからず、この表現には相手の言っていることがおかしいと思っている
ニュアンスがあるのではないかと感じてしまいます。

「国語」が苦手なので(日本語しか喋れないんだけど(笑))
詳しくわからないけれど、「何ですか?」のほうがまだマシな表現ではないか。
相手の言う事を積極的に理解する姿勢で聞いていれば
そういった表現はそもそも使えないと思うのに・・・
お友達感覚で「何が~?」と使う言葉を丁寧にしたつもり?が
「何がですか?」になるのだろうか??
自分も多くの人々と会話をする職業なので、表現には気をつけようと思う。

こういう話をしている時点で自分のオバサン根性がしっかり芽生えているなぁと
思うけれど、それは仕方ない




人生について考える

2010年06月20日 | Weblog
生活を共にしていた家族を初めて亡くしたことで
改めて人生とは何なのかな・・・と考える事が多くなった。

父は長年働いてリタイア後10年もしないで他界した。

きっと長年働く中にはいろいろと悩むことや
いっそ仕事をやめてしまいたい瞬間もあったことだろう。

それでも勤めあげたのは家族の存在も支えになっていたと思う。

でも子供、つまり私が父の理想通りに育ったとは思えないし
わがままも言う。
家族が精神的な支えになれているときもあれば
がっかりさせることもあっただろう。

色々なことが思うようになろうとなるまいと
ずっとその道を続けていた父を尊敬している。

リタイア後の生活をみていると
父がそれを楽しめていたのか・・と心配していた。
「毎日が日曜日」などと言っているわりには
あまり外出をしない父をみていて
多分あまり楽しめていないのだろうと私は思っていた。

派手な趣味はなかったが、ゴルフを楽しんでいた父。
それから園芸や写真など。

実際はどうだったのか、もう知るよしもない。

でも、そうだったのか・・・と思ったことがある。

いつもリビングの端っこに設置されたパソコンに
向かっていた父。
なんであんな隅っこにずっといるんだろう・・・と
私も、そして母も思っていた。
父が逝ってしまってから、その場所に座ってパソコンをみていてわかった。
そこからは、母や私の様子が見え、テレビの音も聞こえ、庭も見える。
とても都合よく、居心地のいい、安心できる場所だった。
そうだったんだね、いろんなことをあの場所で感じとっていたんだね。

そしてパソコンの中にあるファイルをみると
庭に咲く花の数多くの写真がきちんと整理されてあった。
写真が好きなのは昔からである。
当然花の写真が入っていることは予想していたが
こんなに庭の花で楽しんでいたとは思わなかった。
楽しんでいる様子が伝わってきて少し私はホッとした。

園芸は父が仕事をしているころからコツコツと続けていたもの。
それをリタイア後、それまでよりも楽しんで続けていられたのなら
私は嬉しい。

そしてもう一つ気付けたことは
家族の気配を感じながら過ごすことで得られる安心感の大切さ。

父と母は会話の数は多くなかっただろうが、それでも
「気配」のある、なしはそれぞれの心の持ち方に大きな違いがあったと思う。
今、母がどこか物足りなさを感じている様子をみていればわかることだ。
父がいつもいた場所から感じとれる家族の気配もきっと
父の精神状態を安定させていたのだろう。
この数年、自分が一人で暮らすようになって
それはまさに自由なのだが、特に目的のない自由というものは
案外面倒なもので・・・
安心できる人の気配がするということが大切だと再認識。

これはまた私には難しいハードルが一個増えたような気にさせられる。

私は自分の家族というものをこれから作る事が出来るのだろうか?
気配だけで安心させてあげられて、自分も安心できるような家族が
作れるのだろうか?
正直に言って想像がつかない。
私が子供として疑いようもない安心感の中で育ったのと同じような
幸せを次の世代に与えてあげることができるのか?
働くことと、楽しむことのバランスをどうしていくのか・・・
そして、ひとりぼっちになったとき、それでも強くいられるのか・・・
もともと寂しがり屋の甘えん坊が精いっぱい強がっているうちに
強がるのが習慣づいてしまった自分。
素直に考えたらひとりぼっちになるのは嫌だな。
それならどうしていったらいいのか・・・

そんなことを今、漠然と考える日々である。




旅立った父へ

2010年06月09日 | Weblog
お父さん、思ったより早い別れでした。
まだ5年、いや10年は一緒にいられると思っていたのに。
きっとお父さんもそのつもりだったと思う。

病が分かった時のお父さんの言葉はそれを意味していたと思う。
「晴天の霹靂」
本当にそうだよね。

お父さんの咳は年齢相応に呼吸機能が落ちてきたものだと
思っていたけれど、5月9日、あの日の咳はおかしかったね。

これはまずいと思った。
でも12日の検査でわかることは間質性肺炎の悪化だと思っていたよ。
お父さんもそうだよね。いよいよ肺炎が悪化したと思ったよね。
でも意外な病名だった。
まさか肺癌だなんて。

後になって考えれば、お父さんも若い頃に喫煙歴があった。
だから肺癌にならないつもりだったとしても
そんなの統計から考えたら勝手な思い込みだったのかもしれないね。

でも何十年も人一倍健康に気をつけてきたのに、
それに1年前の健康診断では異常はなかったのに、
それなのにこんなに早く命が奪われることがあるなんて。

敵がおよそ見当ついてからもお父さんは冷静を装っていた。
きっとお母さんや私のために、なるべく平気な顔をしていた。
でも、咳の症状が残念な現実を思い出させる。

それでも、久しぶりに実家にとどまって過ごした
2週間は私にとって貴重な時間でした。
お父さんやお母さんにとってもそうでしょう。
きっと今、私がこうやって記録しておこうとするのも
その時間をしっかり記憶に留めておきたいからなのでしょう。
普通にご飯を一緒に食べて会話する。
「いってきます」「いってらっしゃい」
「ただいま」「お帰り」を言う。
その日のニュースについて家族で会話する。
その普通のことが貴重だった。
気付いたかな?
私が最初はいつものように「こんばんわ」といってたのを
昔のように「ただいま」と言いかえてたこと。
お父さんの「いらっしゃい」ってのも好きだったけど
何となく昔のようにしたくなったんだ。
お父さんも「お帰り」って言ってくれたから気づいてたよね。

きっとお父さんの最後の不本意、心残りは
覚悟をして入院したのではなく
検査日にそのまま入院になってしまったことだね。
なんにも家の後のこと準備もできずに入院になってしまったから。
必死に、本当に必死に家に帰るため、何が必要なのか
病床で考えているお父さんを目の当たりにした。
あの真剣な様子、印象的でした。
入院中困らないように色々持っていこうかと思ったのに
お父さんはいらないと言った。
それですぐにわかったよ。
長くいるつもりはないし、まず家に帰る事を目標にしてるから
病室を居心地良くする必要なんてないという意味だったんだよね。
私はそう受け取った。
長いことお父さんの娘やってるから全部説明されなくても
わかるよ。

お父さんには内緒にしていたけれど
私は検査後帰れなかったことは相当まずいことだと思っていた。
それでも、苦しいのに、息をするだけでも苦しいのに
食いしん坊でもないお父さんが
一生懸命ご飯を食べている姿を見たとき、
私が勝手にあきらめてはいけないと思ったんだ。

5月29日
お母さんと私にドクターから宣告があったんだよ。
詳しい検査の結果、小細胞肺癌と確定した。
しかも肺炎を併発している。1~2週間かもしれない。
私はこれでも医療に携わっているから
1年未満であれだけ大きくなった腫瘍ということだけで
手ごわすぎる相手、つまり小細胞肺癌だろうとは思っていたが
あたってしまった。
肺炎の併発、それが意味することは癌以外の部分の呼吸機能も
おちて危険な状態になるということ。
そしてお父さんの場合にはそれが細菌性だか、
いわゆる間質性肺炎の悪化なのかわからなかったんだ。
それがこんなにも早い別れになった要因のひとつなんだよ。
できる限りドクターはお父さんに説明してくれたね。
こんなに詳しく告知するのか、と正直私は驚いた。
そんなときでもお父さんはやや動揺した姿は見せたけど
毅然としていた。あっぱれだったよ。

すべての話をきいて唯一の手段の化学療法をやってみることを決めたね。
効いてほしい、効いてほしい、そう思った。
現実は厳しかった。
効いて呼吸が少しでも楽になってほしかったけれど…

31日
出血。
携帯の留守電に「緊急事態…」と入っているのを聞いて
身が凍る思いがした。
急いで病院にいってお父さんに会えた時は本当にほっとした。
でもお父さんはあの日、私がこれまで見た中で一番あわてていた。
興奮して多言になっていたよ。
苦しいんだからしゃべらなくていいのに…
何度も何度も時計と酸素飽和度を見ていた…

6月1日
前日よりおちついたお父さんがいた。
良かった。つらそうだけど酸素飽和度もそこそこ。
少しおしゃべりもできた。
「あなたの仕事も大事なんだから」だって。
「あなたの体調はいいのか」だって。
大丈夫だよ、そんなのあとでどうにでもなるのに。
たわいもないこと、普通の会話がとてもうれしい日だった。
帰る時、手を振ってくれた。長めに長めにね。

2日
前日より寝ている時間が多い。
きっとつらくなってきていたんだね。
化学療法が効いてくるまで、よく寝て、なんとかこの調子で
眠って呼吸を安定させながらすごしてほしい。
私の願いはそれだけだった。
この日も手を振ってくれた。やっぱり長めにじっくり。
そして、それがお父さんの最期の姿になった。

3日
お父さんに大事だと言われた仕事。
だからこそ出勤したよ。
お母さんにお父さんの様子をメールしてくれるように
頼んでおいたの。
途中それをみたらやっぱり前日より状況が悪い。
無理か…
その日は仕事上でも大事な日だったから早退もしなかった。
終業後すぐに電話でお母さんに状況を聞いた。
「もしかしたら今夜あたりって先生が…」
奇跡は起きなかったか。

お母さんのこの日の判断はあとで考えれば的確だったよ。
お父さんが家に帰ってこれるように必死でその部屋を片付けた。
夜も遅いのに作業を続けるお母さんの真剣な姿を
きっと私は忘れることはないよ。
病院から連絡が入る前に片づけることを二人で決めた。
できるだけのことをして、お父さんを迎えにられるようにして床についた。
それから50分後…
電話が鳴ってる。
呼吸状態が悪化してきたとの連絡。
急きょ病院に向かう。
50分しか寝ていないのに、私もお母さんもあの日は
とてもよく寝たかような錯覚があった。不思議な感覚だった。
なんとか間に合いたい。待っててねお父さん…

慌てて事故を起こさないようにお母さんは必死だったよ。
あんなお母さんも初めて見た。
大丈夫だよ、大丈夫だよ。

着いた。急いだ。
でも…
看護師さんからほんのちょっと前に呼吸および心臓も停止したと…
家族が来るからといっていたんだけど…

そこに寝ているお父さんを見て悲しかったのは当然だね。
苦しい思いをしていたから楽になって良かったねと思ったり
やっぱり待っていてほしかったと思ったり。
お父さんが動かないということが信じられなくて…
あんなときは一言で言えるような感情ではなかったよ。

お父さんわざとだったの?
あんなに見ていた腕時計、お父さんが家に帰ってから
針がとまったんだよ。しっかり4日を指しながらね。
こんなのありかね?
まるで家に帰ったことを確かめて満足したかのような。
止まっている時計を見つけた時、驚いて、せつなくて、涙があふれたよ。
本当に魂が抜けたのは、その時間なんじゃないかと思ってしまう。

私のこれまでの人生には困った時にいつでもお父さんがいた。
「親ができることは教育だけだ」と言って
私を猫っ可愛がりするわけでもなく、育てる、見守ることで
愛情を表現してくれたよね。
一時は見守ってくれてることの本当の意味が分からずに
全く認めてもらえないんだと勘違いした時期もあったけれど
今はちゃんと分かっているよ。
本当はもっと、もっと、教えてもらいたいことがあったよ。
まだ時間があると思っていたのに。
でももう直接会話できないね。これが現実だ。
お坊さんによると仏様になったらみんなのそばにいるんだって。
そうなの?私のそばにいる?
きっとそうなんだよね。
だからこれからも相談するよ。
そして自分なりに解決策を導けるように頑張るから応援してね。

これまで絶対的な安心感と愛情をありがとう。
お父さんから受けた数々の教えを私のこれからの人生の随所に
刻み続けながらすすんでいこうと思います。
最期までかっこつけて、弱みを見せないで逝ってしまったお父さんに
いつか、いつか笑いながら再会できるように
今の自分に課せられていることにひとつひとつ対峙します。

大好きな、私の最大の理解者であるお父さん、お疲れさまでした。そしてありがとう。






2010年05月15日 | Weblog
強敵が現れました。

家族の病気。

自分が日頃、薬剤師として仕事をするなかで
いろいろ感じることがあります。
患者さんや家族の虚しそうそうな様子。
ご苦労されている様子。
それでもがんばってらっしゃる様子。
色々なことを目の当たりにさせてもらい
自分なりにできてくる命への思いや価値観・・・。

でも

突然自分の家族の身に起こった出来事を前にして
仕事がら客観的にみてる自分と、
なんで?なんで?と納得しようとしない自分。
どこか嘘なんじゃないの?と思ってしまう自分。

患者さんの家族の気持ちってこんなもの?
もし何も病気について、薬について分からない方なら
どれだけの不安を抱えることか・・・。

自分の病気がみつかった昨年もいろいろ悩んだが
今回は悩むひまさえないかもしれない。
むしろひまじゃないほうがましなのかもしれない。

これから戦わなければならない敵が見えつつあるところ。
人生の総まとめをしようとする家族を前にして
私にどれだけ支えとなる力があるのか。
家族がそれぞれに、後悔しない形にできたらと思う。

桜も・・・

2010年04月11日 | Weblog
いつのまにやら今年も4分の1が過ぎ、新年度です。
すっかり桜も満開に

さてさて、かなりご無沙汰してしまいましたが
この3カ月ほどの間、なんの更新もせずに何をしていたかといいますと・・・
ここ数年で、自分がしなくてはいけないこと、今しておかないと
先々マズイと思っていたことに手をつけていました

NLPの講座に通っているころから色々なワークを通じて
自分がしたいことなどに目を向ける機会がありましたが
まだ取り組みたいことはぼんやりした部分が多いものの
課題だけははっきり浮き彫りに

まずは日頃の運動不足解消
家の中の機能を根本的に見直すこと

なぁ~んだ・・・
と思った方もいらっしゃると思いますが
私の中のしたくても取り組めない事柄をひも解いていきますと
結局ここにたどり着くのです。

運動不足がよくないことはたいていどなたでも
気が付いていることと思います。
私は体の機能、たとえば胃腸の調子がおかしかったり
肩こり、首こりがひどかったりしていることを
つきつめていったとき、姿勢を支えるための筋力が
足りないことが最も良くないと確信しヨガを始めたいと思いました。
今年から取り組み始めましたが、
その中でピラティスのクラスもありまして
そちらに参加したところ、ずばり自分の課題に取り組むに
必須のトレーニングでした。
ヨガとは違いますが、私には両方楽しく、日頃肩こりで悩んでいたり
ついダラッとした姿勢をとってしまう方にはおすすめしたいです。

家の機能については
ついつい一人で自由に暮らしているとどんな事でも、つまり
仕事でも趣味でもなんでも使いやすいところ1か所で行ってしまいがち。
私の場合はそれがダイニングテーブルでした。
そうすると・・・・
ダイニングテーブルなのに、仕事の書類、郵便物、通販のカタログ・・・
と並びはじめ、食事に適さない環境に!!
そんなの当たり前だと思われる方、その通りです。
でも現実的に私がしていた失態なので、そんなことでは友人も
呼べないし、何しろ自分だってだんだん居心地が悪くなるんです。
ということで、それぞれの機能をどの部屋のどの部分に振り分けたら
散らからず、効率的に過ごせるようになるのか
色々プランを書きだしたり、本を読んだり、友人の家を見せて
もらったりしながら自分の状況に合うように検討し
アウトラインができました。
それに合わせてコツコツと実行中です。
モノがあふれる時代といいますが、本当にそうで、
かなり処分しなければならないものが出てきています。
しばらく着てない洋服などなど。
持っているものを把握して、余分なものはおかず、
こまめに捨てるって大事と痛感です。

嬉しいことにその結果、寝室にヨガマットがひくのに
ちょうどいい空間ができました
二つの主な取り組みを合わせて実行できる空間を作れたのが
自分としては嬉しく、アウトラインの中にヨガマット購入の
プランも入りました。
ピラティスやヨガのおかげか、姿勢を維持するのが
楽になり胃の不調が減っています。

新しいことに取り組むためにも、今までしていることをより効率的に
パワフルに取り組むためにも体づくりと環境づくりは欠かせません!
引き続き頑張ります

早いもので・・・

2009年12月02日 | Weblog
もう12月です!!!

気がつけば11月はまったくブログを更新せずに終わってしまいました。
そんな中でも根気よく訪問して下さった方々ありがとうございます

なぜ更新が滞ったかというと
記事を書く時間がとれなかったからなのですが
その理由は・・
自分との約束で料理することにウェイトを置いた
1か月だったからです。

今、食事と栄養、体の機能について私なりの視点で
ほりさげて勉強しようと思っています。
いつか薬剤師の知識とくっつけて何か発信できればいいなと
考え中です。
つい、漠然とした知識や情報を出しっぱなしにしてしまいがちな
薬剤師ですが(そうでない薬剤師の方、ごめんなさい。)
実際にこうすれば生活の中でも無理なくできる!とか
具体的なアドバイスがしたいなと思うと、
せめてちゃんと自炊くらいしてないと何も言えないなぁと思い
気分に任せていた料理を、「毎日一品は作る!!」と
決めて取り組んでみました。

結果、食材についての興味が今まで以上にわく自分を感じますし
続けることが大の苦手だった私にはちっちゃな、ちっちゃな自身も
芽生えましたし、とにかくトライして良かったです
でもひとりで色々つくると朝も昼も夜も組み合わせが違うだけで
似たようなものを毎日食べることになります(笑)

12月も引き続きトライしながら
新しい年に向かって進歩する1ヵ月にしたいと思っています