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心の適応力

2010年07月05日 | Weblog
父が亡くなって1カ月。

最初は気が張っていたので、心には強い思いがありつつも、
不意に涙が出たりしていた。

でもだんだん、大きなものを亡くした失望感がリアルになり
かかえきれなくなりそうになった。
一人で居続けたら軽く狂ってしまいそうな気分。

でも私の周りの人々がかけてくれた言葉がそういったときに
意識にあがってきて支えになった。
言われた時は特に意識しなくても脳は覚えていてくれる。
そして必要な時に思い出されるから不思議。

私の強がる癖を知っている友人は「気丈にふるまいすぎるな」と言ってくれた。
私の上司は「立ち直れなくなりそうな時は言ってね」と言ってくれた。
昔の同級生は「辛いだろうが前に進むしかない」「できることがあったら言ってね」などと声をかけてくれた。

最初は頑張らなきゃ!と思っていたが、頑張れない自分がいた。
自分にがっかりする瞬間である。

「立ち直れなくなりそうな・・・」との言葉をくれたのは親を亡くした経験を
している方で、言われた時は「自分は消化できる、きっと」なんて思ったが
自分のダメっぷりを前にして救いになった。
私だけじゃないんだ、立ち直れなくなりそうな瞬間は、それぞれ大事な人を
亡くした人に襲ってくるもので当然なんだ・・・。そう思えた。

仕事は仕事なので、いつものようなパワーは出なくとも
なんとか毎日過ごしていたが、やっぱりなんだか気持と行動が伴わない感じがあった。
その時は「気丈にふるまいすぎるな」との言葉を思い出した。

これから先を考えた時、しっかり頑張れる自分でいたい。
だったら悲しむのはやっぱり「今」でいいんだ。
悲しいんだから今はそれでいい。
だから今は無理をしない。でもそのかわり
ちゃんと前を向けたら力強く事に対処しよう。
そう思えた私は、我慢することなく、通勤の途中でも父を思い出しては
涙を流していたりしていたし、父の遺影の前で悲しんだり、
母と父の思い出話もたくさんした。
父が経験した一連の医療の流れにおいても自分がとった対処方法は
これで良かったのか、もっとできたことはないのか・・
もっとできたことがあったのなら、それをしなかった私が
父の命を縮めた事になるのではないかと自責の念もでてきた。
考えると辛い面もあったが、ごまかさず、でも強がらずに、
今は何が悲しいのか、心残りなのか、不安なのか、先々どうしたいのか
自分の考えをまとめながら過ごした事でそしてさらに、母との考えのすりあわせができるようになってきた。

そうなってくると不思議と落ち着きがでてきた。
難しく考えなくてもいいようになってくる。
けっこうシンプルに、その時必要なことをしていこうと思えている。
まだまだ力強くはないが、父の死について肯定的なことが中心となって
思いだされてきて、ホッとする瞬間が増えつつある。

私がNLPの講座で勉強した多くの事柄の中で、物事は見えている事柄が
必ずしも全てではなく、違う見方もできるということも学ばせてもらっていた。
ここ数年間に読んだ本もとても役にたっている。
そして周囲の人の言葉もありがたいな、と痛感する。

とらえ方次第で人生に無駄なことはない。
起きた事柄、感じた事柄、学んだ事柄、色々・・・・
すべてが今の私、これからの私をつくる。
父の死がもたらす多くの事を自分のこれからに役立てていければいい。
人としての存在そのものを失ってもなお、私には偉大な存在であり、
むしろ、私の人生にますます関わってくれる存在として感じられるように
になったのではないかとさえ思い始めるこの頃です。

心の変化というか適応力とは面白いものです。

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