小春日和

58歳・おひとりさまの日々雑感(*^^*)

2022/9/17 朝散歩

2022年09月17日 16時33分00秒 | つぶやき






四十九日が明け

正念入れはまだですが小さな仏壇を出して

葬儀から四十九日の間の仏具を引き取ってもらいました

花台が大きかった


亡くなって、病院から葬祭場に移動し、憔悴してる時に

葬儀の段取りや仏具など決めても要領もわからず頷くだけがほとんど

これだけ不要だった、葬祭場の儲けかと見てました

あれは再利用するのか、ゴミになるのか…

同じ葬祭場で積立をしてるから自分のプランを作りに行っておこうかなと思った



昨日は食欲もなく呆然としながら過ぎました

長女と長男が居てくれて良かった

法要のお経が始まると、女性の声が聞こえた

疲れてる、気のせいと思ってたら

長女は、女性がお坊さんと一緒にお経をあげてた

長男は、僕も声が聞こえた

気のせいじゃなかった

母は自分の不遇を信仰で埋めようとして祈り信仰心が厚かった

お経も経本なしであげてた

母だったのかな



法要の際、母がしてたように

簡単な持ち帰りの巻き寿司などの弁当

菓子、季節の地元の果物など持って帰ってもらったら

次は要らないというメール

 母だったらこうするかなと用意しました

 次はシンプルにしますと返信

遺品整理の期日を要求してくるメール

 遺品整理は年内に終わらせますと返信


ざけんな!と思うけど、争う気はない

そうなんだで終われせます



台風がきてるから

母の家の台風準備

物干し台、物干し竿を倒して、少し草引きしてきた

大きな仏壇の正念抜き、こちらの小さな仏壇の正念入れのお願いもしてきました



法要中、母かなという声を聞いて

そばに居てくれるんだと思っても

やはり、居なくなったことが悲しく

知的障害の長男が、母に語りかけてる姿を見て

現実だけを見てしまう私は、まだ切り替えられない

けれど、四十九日という節目で少し落ち着きました

波はまだあるでしょうけど

母が望むような法要をできたかなと落ち着けたように思います



場所などキーワードのように思い出す苦しさも

充分でなくても、それだけ一緒に過ごせたということなんだと気持ちが変わってきた

誰かや、何かを、責めたくなるけど

そうじゃないと見方を変えることができるようにもなってきた

遺品整理も、半分は業者に処分してもらい

見直したい物は、ここに来るけど

それも供養と少しずつ、寄付したり、役立つ方法で片付けていきたい


母への不満も

母は精一杯だった、悪意なんてない

頼るところを知らなかった

ゴミ捨てさえカッコ悪いと体裁を気にしてた

だから、頼る人も居なかった、頼れなかった

私にもたれかかってた

子どもが全てだった

許すような感情に変わってきた

けれど、それは母が居なくなったから

健在ならば、関係は拗れてたと思う

今だからの思い

手紙でも謝れた、感謝を伝えられた、看取れたことは大きい




シルバーウィーク

もう子どもを連れて母に敬老の日を祝うこともない

寂しい連休になった



ロウソクと線香の日々が終わったので

少し、自分を励ますような、楽しいと思えるような時間を作っていこうかなと思います