先ずは、おもしろ看板・広告などを私なりにで感じたのを掲載した
切実さが伝わってくるよ
もやし専門なの?
深い意味はないよな
神様ありがとう
いいね~
喫茶店のようだが開放中、新装オープンだとかよく分らね~
研ぎやギーボー、ヘビメタだよ
〇や食堂?
髪切り屋、和むね
借りてください、お願いします
歩いてると、このようなチョー・ロングタイムアゴー・ポスターにも会える
沖縄の人は暗い、過去を追いすぎ、これもまたオキナワだ
懐かしさのあまり、思わず抜き打ちの竜
銀・恋の裕次郎だよ、チョットー
赤木圭一郎、懐かしい
由美かおるがチラッと
大御所、美空ひばり
オードリーヘップパーン
おおらかなオキナワ人、物事を深く考えないウチナンチュ
イージーなネーミングにはかぶとを脱ぐよ
思わず目がいって、頭を抱えてしまったRだって、何で?
何でホームランだよ
そのまんまだよ
これまた、そのまんまだよ
カップメン、これ以上何も言えねえ
三角地にあるから三角食堂
ネーミングだけではない、色使いも跳んでる
懐メロだ、オールドロックだ
まるでインドだよ
地味なウチナーンチュとは程遠い
まあ、これもオキナワということで
アメリカを探して国道58号線(最近は“ごっぱち”と呼ぶらしい)を行く
泊港(泊高橋)を北へ進むと天久がある、新都心としておもろまちと一緒に開発された
昔はフェンスに囲まれた広大な外人住宅街だった
右側のフェンス内の外人住宅跡はかなり開発さたが、左側の開発は取り残されてる
そこには以前、沖縄唯一のアイススケート場やライブハウスなどがあったりして当時としては進んでる地域だった
エッカホテルもあったと思うが、いまは跡がわからない
さらに進んで安謝橋を越すと浦添市に入る
すぐに勢理客と言う地名がある、読める?
沖縄には読みにくい地名が多々あるけど、この地名はジッチャクと呼ぶ
ジッチャクを過ぎると、元基地の町・屋富祖がある
今は基地ゲートは閉ざされ、人気も少ない、多分近いうちにこの基地は返還されると思う
そのゲート前の屋富祖通りをアメリカを探して散策した
昔は米兵街としてバブリーだった時期もあった
さすがに今はアメリカを探すことはできなかったが、かなり古い家屋を目にした
当時は米兵で繁盛してただろう
歴史を感じる家屋はまだ少し残ってる奥に行くと飲み屋街がある
58号線をさらに進むと右側に港川がある
昔の外人住宅を利用したカフェや雑貨店などがある
最近はメディアでも紹介されたりしてる
山羊もいたりして
次に牧港、ここを越すと宜野湾市に入る
この周辺には私にとって、これぞアメリカだと思わされる店が二つある
先ずは左手にブルーシールまさしくアメリカンデザインだ、車で通るたびにワクワクする
次に右手にはA&W俺のアメリカはこれだよ
アメリカングラフティだよ
日本で始めてのドライブイン式のファーストフード店だ(この店ではないけどね)注文すると車まで持ってきてくれる、勿論ローラースケートは履いてない
ここは暑い日中に来るとこではない、夕方以降涼しくなってから、車を降りないで窓を開けたまま飲食するのがグーだ
特に深夜、当初から24時間営業だった
わざわざ那覇から普天間~コザ間にあるA&Wに深夜行ったことを思い出すね
宜野湾市・大山のアンティーク家具街の通りを越し、右に81号線を上って普天間に至った
普天間はほかとは違った、品のある基地の町のイメージが大きいSHOPがシャープに聞こえると言うことで、当時よく使われてたようだ
だとするとCOFEEもコーヒーではなく、カフィーのような気がするけど当時を彷彿させるね
米兵向け不動産屋だろう
AMERICAダイレクトだね
カーウォッシュ日本語と英語の連絡先がある
英字だけだ
当時はメインドインアメリカが主流だった
しっかり英字でフォローしてる
当時のバーを思い描くね
勝手にオールドアメリカをイメージした
まさしくアメリカのイメージだ
この辺りの住所は英字で書かれてるのが多い、基地との結びつきを強く感じるね
大山の58号線と宜野湾バイパスの間にあるターンム(田芋)畑を散策した
ターンム畑が広がってる
近くには湧き水群がある
きれいな湧き水で足を洗ったり、釣りをしてる子供たち
この子は湧水を飲んでしっかりポーズをした、私も飲んだが美味いとはいえない
環境は亜熱帯でかつ島国のオキナワ
全く、本土とは植物環境が違うので、ガーデニングの考えも違う
沖縄の大胆でワイルドなガーデニングを独断で紹介する
適当にタイトルをつけた
<住宅ガーデン>
ガーデニングと言えるのかどうか
ほとんど手入れはしてないね
放置しすぎじゃない
<屋根ガーデニング>
屋上緑化は当然のごとく、屋根だってガーデニングの対象だい
何でもあり、てーげーなぁ沖縄精神だ
<壁ガーデニング>
もちろん壁だって上等さぁ
かなり芸術的な家もあるねぇ
家主のセンス次第さぁ
<路地ガーデニング>
スージグァには庭のない家が多い
路地も庭の一部だよ
これまた、何でもありだね
<道端の植物>
バナナの木も普通に道端にあったり
ガジュマルは沖縄のシンボル、どこでも見かける
農連市場が再開発で無くなる?(実際は数年後)と聞いたので行ってみた
この辺りは本来、那覇の活動源だ、市民の台所だ
この辺りの食堂や惣菜やなどは他よりローカルプライスだ
この食堂のソーキそばは何と350円
昼間の農連市場周辺は閑散としてる
昼寝してるね
市場内も閑散としてる
かなり老朽化してる、戦前から在ったらしい、やむおえないかな
ずーと変わらず続いた光景
このファンの老朽化は歴史を感じる
農連市場近くにある開南はある意味、那覇市のへそだ
この辺りは庶民生活の中心なので、バスや人の往来が非常に激しい
南部にある糸満にいったとき、那覇バスターミナルから乗ったら、わざわざ開南を経由し、戻ってきて、再びバスターミナル横を通り南部方面へ行った
開南はやはりローカル人の中心だと思った
隣の樋川一丁目は丘の町
ご覧のように、那覇市が少し見渡せるよ
なぜか墓も多い
近くに裁判所や拘置所がある
次は海岸側の若狭と辻を散策
若狭は昔、ラブホテルの町だった
今でも少し残ってるが、かなり減少した
辺りホテルだらけの異様な雰囲気を覚えてる、今は公園などの再開発で明るいイメージに変わってる
近くに波の上ビーチがある
景色は良くないが、空港に近いので出発までの空いた時間で利用できる
また、那覇在住でも気軽に日光浴が楽しめる
隣に公園があるので木陰で休むこともできる
地元人はこの公園でビーチパーリーをやってるさぁ
隣の辻町へ行った
辻は昔、遊郭の町だった、その後米兵相手のバーやクラブの社交街になった
その頃、アメリカ人向けに“ジャッキー”などのステーキハウスができ、現在も沖縄名物の1つになってる
酒を飲んだ後、深夜未明、仕上げにステーキを食べに行くのがノーマルだった時代があった
そのステーキハウスにはジュークボックスがあり、ソファーはオールドアメリカ式だった
古そうなコーヒー屋があった
琉球ベストコーヒー、独自のコーヒーメニュー
独自性の強い沖縄だけど、コーヒーと沖縄の繋がりは記憶に無い
知人に聞くとコザにもこだわりのコーヒー屋があるとの事、B級こだわりコーヒーだ何でも屋
このスーパーは古い、店員に聞くと50年になるらしい
この界隈、最近はソープランド色がますます強くなってるようだ
無料案内所をよく目にする
風俗店を紹介するのだろう?、まだまだ影のナハは健在だなと
オキナワと言えばアメリカ
沖縄とアメリカは切り離せない、沖縄は独自の文化とアメリカからの影響文化がある
良きも悪きもアメリカとの共存の今日がある
那覇のおもろまちから宜野湾市の大山辺りまでパイプライン通り(251号線)を自転車した
パイプライン通りとは戦後アメリカ軍によって送油管が作られた通りのこと
かなりアップダウンがある道路で、炎天下の中、この小さなではきつい
がんばらないがもっとうの私には、疲れたと思ったら押して歩いた
浦添市から宜野湾市に入り途中、34号線を右に曲がり坂をあがったところに真栄原がある
おもしろ看板があると言うことで、マイナー好きな私は立ち寄った
いいね、手作りのB級感がいいね、和むよね
再び、パイプライン通りに戻り北上した
大山に来たら、やはり基地近くの町、辺りに外人住宅がちらほら!
通りの右手には、誰でも知ってる普天間基地がある、通りからは見えない
気持ちいい自然の中にぽつんぽつんと外人住宅がある
勿論現在は外人は住んでなくて、民間に開放してると思う
リニュアルしてるのもあれば、使い古したのもある
外人住宅は殆どが平屋でコンクリート作りだ
窓だけではなく出入り口のドアにも網戸がついてて風通しがいい、ここに魅力がある
台風の多い沖縄ではコンクリート造りの家が多い、戦後にできたこの外人住宅に影響を受けたと聞いてる
パイプライン通りの終わる辺り、58号線に出たこれが58号線から普天間基地への入り口
58号線沿いの大山辺りはアンティークの店が多い、特にアメリカ家具が
いいね~、特に左側の店、アイアンとレザーのイス、私のフェイバリットだよ
58号線にはこの光景がマッチする、アメリカだね
1940~1970、20世紀中期、50年代アメリカ製
木製の脚立、など
近くにジミーズ・ベーカリーがある、昔からある
近くのマクドナルドで100円のアイスコーヒーを頼んだ
するとミルクとシロップ入れてもらい、なおストローまでさしてくれた
びっくり、感激、申し訳ないなどなど帰りはバスで、暑い中無理はしない
このように折りたたみ、バスに持ち込んだ