ひろし曽爺1840のGooブログ

世界遺産の島・宮島がある廿日市市~写真と三枝弘の動画を投稿し皆さんとブログ交流を楽しんでいる83歳の高齢者です!

⑤旅の想い出シリーズ>ハワイ・オアフ島旅行<ヌアヌパリ~ルーツ編

2007年07月01日 | 旅の想い出>ハワイ旅行<

      イラッシャイマセ!⑤回目を迎えた今回は、パナウマ湾沿線を通りオアフ島コナ地区に私のルーツを訪ねてドライブしてみます。

此処には「ポリネシアン・センター」がありますが、センターの見学は次回に予定しています。目的地・コナまではホノルルより、車で約4時間の予定です。  

    

ここオアフ島ホノルルに日本からの移民者が上陸

かってハワイ州の経済は「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる、次に掲げる大手砂糖会社を筆頭とする複合企業郡ににより支えられていた。>①アレクサンダー・アンド・ボールドウイン②キャッスル・アンド・クック③C・ブリュワー④テオ・H・デイビーズ⑤アムファック

●これらの企業群は20世紀初頭に台頭し、1960年に至るまでハワイ州の政治経済を牛耳ってきました。

●1881年カラカウア王が来日し、明治天皇と会見し、明治政府との間で移民協定が結ばれました。

●1885年初の官民移民が日本からハワイに渡ります。◎明治34年に、当時農家の次男坊だった私の祖父母が一旗揚げるためにハワイに移民渡航したそうである。(私の生まれる40数年前の出来事である・・・)

ネムの木の下に眠る・・・・ホノルルの外人墓地   

   

ナウマ湾展望台

 

 死火山の噴火口に海水が入り込んで出来あがった、三日月状の曲線が美しい入江です。珊瑚礁とエメラルドグリーンの海に多くのサーファー達が訪れるそうです

      

ナウマ湾の近くに在る「潮吹き穴」>海にせり出した熔岩の穴から、押し寄せる波が・・・

               

鯨の潮吹きを連想させる潮吹き穴  

    

潮が吹き上がるとき、ドドド~・・と凄まじい音がします。  

    

☆①コナの海岸>  昔、母達が泳いだであろう海岸の風景!

    

☆②コナの岬> 熔岩が流れ出て、冷えて出来たような小さな岬です。魚が釣れそうです。

     

☆③母達が住んでいた近所> カフクのこの付近に住んでいたらしい。母のパスポートから判断すると、近くらしい。! 

    

☆④祖父母達が住んでいた所には、新しい住宅が・・・> 当時の住所の辺りには、新しい家が建っていました。

     

☆⑤母が卒業した・カフク中学校> 建物は新しくなっていますが、学校の位置は当時のままだそうです。母の懐かしい母校を見ました。! 

    

☆⑥コナ地区・カフクにある。モルモン教ハワイ本部で> 当時の事情の解かる人がいないか訪ねてみましたが、英語が上手く使えないので、余り要領は得ませんでしたが、現在は3~4世の人たちで、1世の人はほとんどいないそうです。

     

☆⑦ヤシの並木>モルモン教の敷地の一角です。

 

☆⑧突然のスコールがあり、水溜りの出来たカフクの風景> この時期一日に一回はスコールが来るそうです。

岡の上にある・日本人墓地に参拝

1941年12月7日真珠湾が攻撃され太平洋戦争が始りました。

●ハワイの日系人は、日本人会会長や僧侶など、日本人を代表する一部の人々を除き収容所に収容されませんでした。

●当時のハワイの人口の4割を占める日系人を収容すれば、ハワイの社会や経済活動が崩壊しかねないとゆう事実があったからだそうです。

 ハワイで生まれ育ち、合衆国の市民権を持つ日系の若者の多くは、自ら進んで志願兵となる事で祖国にに対する忠誠心を示そうとしました。

彼らハワイの日系人だけで組織された陸軍第100大隊(パイナップル部隊)は、後に本土の日系人部隊と合流し442連隊となり、欧州戦線に於いて多くの犠牲と引き換えに目覚しい成果を挙げました。

○彼らの献身的で勇敢な戦いは全てのアメリカ人に深い感銘を与え、ハワイのみならず戦後の米国社会における日系人の地位向上に大きく貢献しました。

                        ~ハワイ州百科事典より一部抜粋~

      ホテルの中庭で開催されている・アロハショー

 先人達の努力のお陰でいまのハワイがあり、私達も安心して観光ができる事に感謝し、今回のルーツの旅を終わりたいとおもいます。次回は一般の観光旅行に戻り各地を巡ってみようと思います。またのお越しをお待ちしております。 

           【ひろし爺の動画】更新中 !

 

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④旅の想い出シリーズ>ハワイ旅行<この木なんの木?編

2007年06月30日 | 旅の想い出>ハワイ旅行<

      ようこそ、お越し下さいました。本日④は、テレビ・コマーシャルで有名な木の見学とカメハメハ大王の激戦地「ヌアヌパリ」を訪問します。

ホテルの部屋より、ワイキキビーチを望む  

↓日本のテレビコマーシャルで有名な「この木なんの木」がある

モアナルア・ガーデンに到着です。

この木は、樹齢130年のネムの木です

    

この木・なんの木?・きになる木・・・

 

英語名で、「モンキーポッド」と言います。

●和名はアメリカネムと言います。

●ハワイ語では、Ohaiと呼びます。

●猿がこの木の実を好んで食べる事よりついたそうです。

●ハワイや熱帯アメリカに分布する、マメ科の植物で、ネムノキの仲間なので夕方や雨が降ると葉を閉じたり、枝をたたんだりする、可愛らしい習性を持っています。

●この木でカヌーや家具が作られます。

     

♪この~木♪なんの木 ♪気になる木~

♪なまえも知らない木ですから~

♪なまえも知ら~ない~♪ 木に~なるでしょう~♪

1973年(昭和48年)、日立製作所のCMソングとして小林亜星・作曲、伊藤アキラ・作詞で作られました。

●1~10番までの曲と1~17番までの曲と2種類の歌詞があります。

~この木なんの木~より

なまえのしらない木と元美女(?)2人の観光客  

    

虹とモンキーポッドの木

     

虹とモンキーポッドの木  

         

 最近の、日立のテレビコマーシャルに登場してくる小鳥を、ネムの木ある公園の駐車場で見つけ写しました。

☆多分、1870年以前にカリフォルニアから持ち込まれた「メキシコマシコ」だと思うのですが・・・?

     

沢山の錦鯉が泳ぐ中にセティングされた・レストラン

       

ヌアヌパリの展望台より

 ヌアヌパリ>常に北東からの強い風が吹きぬけ、歩行が困難になるほどの名所としても知られています。視界の良い日はモロカイ島を眺める事が出きるそうです。

1795年、ここヌアヌパリでカメハメハ大王がオアフ島の軍勢を破り、王国を統一した記念の地です。

 

☆ヌアヌパリ☆  

    

西部劇に出てくる回転式の銃と旧ロシア製「トカロフ」の2種類の拳銃で的を狙い打ちましたが、中々当りません。!

トカロフは、打った時の反発が大きいので、両手で持って打てとの指導をうけました

      射撃遊び

 撃ち方、弾の充填方法、安全装置の外し方、などの指導を受け、銃を握ったら何故か興奮しました。人間、武器を持つと平常心を失うようです

ワイキキ公園から、ホノルルのホテルとヨットハーバーを望む!

ホテルの部屋よりワイキキビーチを望む。遥か彼方に、日本が・・・

http://cliplife.jp/mypage/

↑試しに,上のURLをクリックしてみてください。

本日はおつき合い頂き有難う御座いました。次回⑤は、オアフ島の南側を観光しながら、私のルーツを求めて旅をする予定です。

 

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③旅の想い出シリーズ>ハワイ旅行<ホノルル市内編

2007年06月29日 | 旅の想い出>ハワイ旅行<

      今日は、「The Busで行くオアフ島」と言うことでホノルル市内をバスに乗ったり、降りたりしながら巡ってみようと思います。  

    

アラモアナ・センター発の【52番】の、市営バスに乗車

52番バスはセンターのターミナルを出発すると、カピオラニ通りをダウンタウンに向います。

ワード街との角にある州最大の屋内アリーナ、ニール・プレイズデール・センターは、プロレス、日本の大相撲、ブロードウエイのミュージカル、さらにロックコンサートまで幅広くイヴェントが開催されて来た所です。

バスは間もなくベレタニア通りに入ります。  

    

州議会議事堂

 ホノルル・ダウンタウンの入り口となるこの一帯は、州とホノルル市の心臓部で、↑の州議会議事堂↑などのある司法、行政地区となっています。

      

旧ハワイ王朝のイオラニ宮殿

 海側のキング通りには、州政府ビルやホノルルの市庁舎、州最高裁判所、さらに↑旧ハワイ王朝のイオラニ宮殿↑などが連なっています。

 ●イオラニ宮殿1882年、カラカウア王によって建てられた宮殿は、別名「天国の鳥」と呼ばれるビクトリア王朝風の華麗なものです。以来、ハワイ王朝が滅びるまで使用されたこの宮殿には当時の雰囲気がそのまま、保存されています。

     

広場にある、ククイとヤシの木

             

             ククイの木  

    

ホノルルのダウンタウン

 ホノルルのダウンタウンは急速に近代化していますが、特に港の方には1900年代初期の古い建物がモダンなビルに挟まれて幾つか残り、かすかに昔の情緒を忍ばせます。  

    

☆チャイナタウン☆

 まうなケア通りの左手で、港の近くを流れるヌアヌ川のワイキキ河にある約15ブロックは、ホノルル名物の一つ、チャイナタウンです。

バスを降りて最初に目に付くのは、立ち並ぶ小さなお店で、中を覗くとショウウインドウに色とりどりで出来た「レイ」が下げられていました。小売店の店頭には、ローカル色の強い野菜や地元で獲れた漁肉類がスーパーより格安で売られています。

食べ物はバラエティーに富んだ食べ物を楽しむ事が出来ます。

     

ホノルル・旧鉄道の駅

 チャイナタウンへの西側の入り口となるヌアヌ川を越えると、右手にアアラ公園、その筋向いに、情緒ある建物が目に入ります。

この建物は19世紀の末に建設され、当時のハワイの政治・経済のカギを握っていた砂糖産業の耕作地を連結した。駅だったのです。

現在は州政府が使用しているそうです。  

 

ワイキキ・ビーチ通り

アラモアナを出発してダウンタウンを通り、オアフ島の中央からノースショアに抜けて東海岸周りでホノルルに返るバスの旅も終わりに近ずいてきました

。ショッピングセンターで、52番のバスとお別れです。

          

アラモアナ・ショッピングセンターで、案内役のEさんと休憩していたら飛んできたのですが、人馴れした小鳥でした。

Eさんに名前を教えてもらったのですが、忘れてしまいました。

はて!・・・私(鳥)は誰でしょう?    

         

アラモアナ・ホテルとホテルの正面玄関↑↑↓↓   

          

       

ホテルの部屋のベランダに来た幸せを呼ぶ白鳩

 バスに乗ったり、降りたり、今日一日ご苦労様でした。次回④もオアフ島の旅をしたいと思います。

 ひろし爺のぶらり名所旧跡めぐり・のトップページ右側欄の「ブックマーク」を、クリックして下さい。

Clip Lifeマイページ【ひろし爺の動画】に移動します。ここの一番下の「かんたんリスト」が私の作品です。

画面を押して頂くと再生します。

 

 

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②旅の想い出シリーズ>ハワイ旅行<海と山編

2007年06月28日 | 旅の想い出>ハワイ旅行<

      ②の今回はワイキキ・ビーチより船と潜水艦艇でアトランティスサブマリンの海底探検とカウアイ島のワイメア・キャニオン・ロック公園の眺望見学(カウアイ島のご案内は後日の予定)に出かけてみようと思います。

     

ビーチ桟橋(ピア)より、潜水艇まで、後ろのシャトルボートでクルージングします。移動時間は約10分ですが、その間に野生のイルカや冬場には鯨が見えることもあるそうです。

             

ワイキキ・ビーチ桟橋(ピア) くじらは居ないかな??

     

船上よりホノルル市内を望む

 ☆ハワイ州の州都はホノルルで、ハワイ州の最大の都市です。

☆1959年8月21日にアメリカ合衆国の50番目の州として、加入しました。

      

アトランティスサブマリン(海底探検潜水艇)↑↑ ↓↓  

    

この時の、観光客は全員日本人でした。

☆観光については、>年間約740万人あり、内アメリカ国内から、約525万人、国外からは約215万人、その内の日本からは約152万人がハワイに訪れるそうです。

     

いよいよ、潜行開始です。海底は初めての経験で、胸がわくわく!興奮します! ●椅子に座ると目の前の多きな窓に青い世界が、一面に広がります。操縦席も見えるようになっていて、沢山の計器が最先端の技術を実感させます。

     

黄色いハワイアン・チョウチョ、しま模様のムレハタタテダイ、真っ黒な色をしたクロモンガラ、細長いアカヤガラなどの魚が泳いでます。??解かりますか???

●水深計が深度を表示し始めると、海底の白い砂が近くなってきます。潜水中は、クルーさんが漁礁や海の生物達の事を日本語で解かり易く説明してくれます。

●サブマリンは、日本の化学会社が開発したグラスファイバー製のリーフ(サンゴ礁)、飛行機や沈没船をゆっくりと巡ります。 ☆ハワイ州の魚は、フムフム、ヌクヌク、アプアア、(過去公認され、一旦非公認と成っていたが、2006年再度州の魚として公認されました。)

     

水深30mの神秘的な世界を悠々と泳ぐ魚達や沈没船の甲板に海がめの姿を見つけたり、運が良いとエイやサメも姿を見せたり、そうこうしている内に、あっという間に40分が終了します。

     

潜水艇甲板より、ダイアモンドヘッドを望む。

 ☆海からの、ダイアモンド・ヘッドも素晴らしいですが、ダイヤモンド・ヘッドから見る、日の出も素晴らしいそうです。(旅の中で後ほど、ご案内します。)

パール・ハーバー(真珠湾)

私の生まれた年の、1941年12月7日(日本時間12月4日)ここ真珠湾(パール・ハーバー)が、「新高山登れ」の合図のもとに攻撃され、太平洋戦争が始りました。この時、戦艦「アリゾナ」も沈み、今も湾内にあり記念場所となっています。

     

ホノルル・アリゾナ記念館にあるオアフ島のモニュメント   

   

カウワイ島・ワイメア州立公園

 国立公園局の管理及び保護に置かれている地域は、>

Ala Kahakai NationalHistoric Trail(ハワイ島)

ハレアカラ国立公園(Kula)

ハワイ火山国立公園(ヒロ)カラウパパ国立歴史公園(カラウパパ)

Kaloko-HonokohauNatioanlHistoricalPark(Kailua-Kona)

プウホナウ・オ・ホナウナウ国立歴史公園(ホナウナウ)

PuukoholaHeiauNationalHisutoricSite(カワイハエ)

それと先ほど訪れたアリゾナ記念館(ホノルル)が、あります。  

    

雲の中のワイメア・キャニオン

     

キャニオン・ロックに反射する、太陽!  

    

雲がきれて、キャニオン・ロックが見えてきました。

本日も、おつき合い頂きまして有難う御座いました。次回③は、オアフ島ホノルル市内観光をしてみようかと思っています。次回も、またお越し頂きお楽しみ下さい。

 

 

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①旅の想い出シリーズ>ハワイ旅行<日本~ホノルル編

2007年06月27日 | 旅の想い出>ハワイ旅行<

 

皆様よく御越し下さいました。

皆様ご存知のごとくハワイ州は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の50番目の州で、ハワイ島、マウイ島、オアフ島カウアイ島など主要な8つの島と100以上の小島からなる諸島で構成されています。

今回は、州都・ホノルルのあるオアフ島を手始めに、島ごとに旅の想い出を、お届けしたいと思います。

過去3回訪問した分整理し、お届けしますので時期が前後している所もありますのでご容赦ください。  

    

太平洋上空

日本を夕方、出発して約8時間で、オアフ島ホノルル空港に、朝早く到着します。機内放送で今日の天気や気温などの情報が流れます。

     

眼下にオアフ島が見えてきました。

到着前に少しハワイの歴史を、お話しましょう。>ハワイ諸島に人類が移民してきたのは、4世紀~8世紀頃で、南方のテ・ヘヌア・エナナ(マルケサス諸島)からと考えられています。この際に使用されたと考えられているのが、双胴の航海カヌーとスター・ナヴィゲーション、ウインドコンパスなどと呼ばれる、リモート・オセアニア海域で広く用いられた航法技術です。

 ちなみにハワイえの移民がテ・ヘヌア・エナナから行われたとの説はビショップ博物館所属の日本人研究者、篠遠喜彦博士の釣り針編年研究が基礎となっているそうです

     

眼下にはホノルルの住宅が見えてきました。もう少しでハワイ到着です。

 1885年に初の官約移民が日本から船で、1週間以上かけハワイに渡っています。

ちなみに、私の祖父母もハワイに移民しており、母はハワイうまれのハワイ育ちだったので、後日「ルーツの旅」をしてみようと思っています。現在、私達は、飛行機で、8時間足らずでハワイです。・・・・いい時代になりました。  

    

ホノルル国際空港(HNL)

各島間の交通は、現時点では飛行機のみですが、2007年より、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島の4島間を結ぶハワイ・スーパーフェリーが就航予定と成っているそうです。手族を済ませ出ると,歓迎のレイの花束をかけて貰い車へと案内されました。

     

リムジンで、お出迎え!

【交通】主要な州間高速道路はオアフ島のみにH-1、H-2、H-3、及び2005年より州道78号線が高速道路に昇格してH-201となり、合計4路線となりました。

交通機関は、オアフ島ほぼ全域をカバーするBUSがあるほか、本数は少ないが、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島の一部にコミュニティバス路線が、存在しています

                

☆ハワイ・ホノルル・リーゼントホテル☆

公用語は、ハワイ語と英語ですが、どこのホテルやショッピングセンターに、行っても日本語が通用し、滞在期間中、言葉に不自由する事は有りません。

リーゼント・ホテルの部屋より望む

☆此処ハワイは、日本人にとって人気の観光地であり、旅行会社などハワイ在住の日本人駐在員も多く、その数は、私の叔父、叔母、従兄弟を含め2万人はいると言われています

     

ワイキキ・ビーチ

 ワイキキ周辺では、日系人以外でも日本語を理解できるものが多いが、聞き取りは出来ても話せないか話せても、下手だから使いたがらないと言う人も多いそうです。

     

太平洋に沈む太陽!!  

    

ホノルル市内の夜景!!  

                 

ハワイ先住民純粋な先住ハワイアンは現在かなり減少しています。先住ハワイアンと言われる民族は約10万人程度だそうです。

しかし、これらの人々の中でも純血と言われる人はまれで、現在広く用いられているのは、1920年に成立した「ハワイ人住宅寄託法」で示された「キャプッテン・クック来航以前にこの島に住んでいた人々の血を50%以上引いていること」とゆう定義があるそうです。

 夜も更けてきました。明日は、山と海の探検に行ってみようと思います。それでは、皆さん・・・

 

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