明朝の様式を模して建立されたユニークな門です。その下で手をたたくとワンワンと響くことから、別名「わんわん寺」と呼ばれています。このあたり一帯は、国木田独歩お気に入りの散歩コースだったといわれています。すぐ近くに独歩旧宅があるので訪ねてみよう
錦帯橋を渡り、左手奥の方に進むとお城山登山入り口に達する。その麓に在るのが「紅葉谷」である。写真左側奥手が龍門寺で「一勺」の二字を刻んだと言われる崖がある。この公園は名のとうり紅葉で有名であるが、二月ごろの白梅も見事で訪れる人も多いい。
県庁を過ぎ国道9号線を上つっていると左手に看板が見えます。常栄寺は毛利隆元の菩提寺で、寺宝として隆元の自画像や貴重な文書等を所蔵しています。庭園は29代大内政弘が室町時代中ごろに雪舟にめいじて築庭したものといわれています。国の史跡名勝に指定されています。縁側に座って眺めれば、心が洗われる様な気持ちになります。
山門をくぐり石段を上がると右側に観音堂があります。正面に大きな数珠玉がぶら下がっており八玉正確に落とすと煩悩が払われるそうです。試してみてハ正面右側にはお賽銭を体の悪い部分に置いて念じればそこが直ると言い伝えられている、石で出来た台があります。
昨年1月、50年に一度しか開帳しないと言われる須弥壇が開放されました。行くチャンスがなく残念でしたが、今年土~日に限り一般に公開するとゆうのを知り行ってみました。このような円形唐様須弥壇は類例のない珍しいものだそううです。内部には左側に阿弥陀如来像、右側に大内義弘のブロンズ像が安置されています。瑠璃光寺は、文明三年{1471}陶弘房の夫人が、夫の戦死を弔うために現在の山口市仁保高野に創建した寺で、はじめ安養寺と称していたが、明応元年{1492}に瑠璃光寺と改称した。
この五重塔は大内義弘が応永六年{1399}泉州堺で戦死したので、弟大内盛見がその菩提を弔うために、この地にあった香積寺の境内に建立を計画したといいます。竣工は嘉吉二年{1422}であるとされています。元禄三年{1690}に瑠璃光寺が「仁保」からこの香積寺の旧地にうつり、現在に至っています。
建造物:明治36年4月15日国指定国宝山口市香山町7番1号曹洞宗保寧山瑠璃光寺
駐車場も完備され、楽しく半日過ごせました。
山口商工会議所や間口お宝展実行委員会発行より転写
建造物:明治36年4月15日国指定国宝山口市香山町7番1号曹洞宗保寧山瑠璃光寺
駐車場も完備され、楽しく半日過ごせました。
山口商工会議所や間口お宝展実行委員会発行より転写
岩国市が世界遺産に申請準備中の錦帯橋は延宝元年{1673}吉川三代藩主広嘉公によって創建された。翌年一部流失したが直ちに再建された。昭和25年{1950}9月のキジア台風により再び流失。昭和28年1月に再建されました。現在橋は「平成の架橋」でリニューアルされ、四季折々の風情に彩られ訪れる人々の詩情を限りなく駆り立てています。
橋面にそった長さ{210m}木造五連の太鼓橋。
橋面にそった長さ{210m}木造五連の太鼓橋。
北方遥かに弥山の霊峰が見られ、そそり立つお城山。ロープウエイで一気に登ることが出来る。眼下には美しい公園、軒を連ねた住宅のあいだを大曲折する錦の清流、波間にかすむ遠近の島、小鳥の奏でる樹影、四季折々の自然の美、岩国市の動と静とが美しい絵巻物となって一望の下に展開される。
今年より「ひろし爺の名所旧跡めぐり」に出発します。
よろしくお願いいたします。
初心貫徹すべく元旦の朝、近所の山に初日の出を見に行きました。
あいにくの曇りでしたが、どううにか写真に収めることができました。
イノシシの様うに目標にむっかて猪突猛進今年も頑張ろう