天守閣は南ばんずくり岩国城
錦帯橋を渡り右折すると土手下に「佐々木小次郎」像があり吉香公園を山の方に行くと、ロープウエー乗り場に到着
岩国城は山頂の要害と山麓の居館とから出来ています。
山頂の城は慶長十三年(1608)藩祖・吉川広家によって築かれたが、一国一城の命によって、完成後わずか七年で壊されました。
現在の城は昭和三十七年に再建されたもので、三階までは吉川家ゆかりの武具甲冑類が多く陳列され、四階は展望所となっています。
天主閣は「桃山風南蛮造り」という全国にもまれな山城で、学術的にも歴史的にも貴重なものだそうです。
岩国城と錦川、柳の下を飛び交うツバメ・・・・
下関の巌流島で宮本武蔵と決闘した、剣豪・佐々木小次郎は此処岩国藩に滞在中、錦帯橋河畔の柳の木の周りを飛び交うツバメを見て、あの有名な”つばめ返し”を生み出したのだそうです。
岩国市観光協会公式サイト・・・・・・色々掲載されてます。参考にどうぞ
防府天満宮はJR山陽線・防府駅を出て、天神通りを抜けると目の前に石段が見えます。
車では、山陽自動車道・防府西インターか防府東インターで降ります。標識に沿って進めば約10分程度で行けます。
防府天満宮
天満宮は菅原道真公をはじめ、公のご先祖の三命との四柱をお祭りしてありま す。
この天満宮は、北野(京都)・大宰府(福岡)と共に日本三大天神と称されています。
この地は道真公西下の途中立ち寄られ身は筑紫に果てるとも魂は必ずここに帰るであろうとお誓いになった由緒あるところです。
延喜四年(904年)天満宮が創建され文教の神として広く世にあがめられてきました。
梅庭園 梅花について
①野梅系・野梅性新梢は日焼けせず緑色。水皮の色と枝の切り口の色に関係なく白色。芳香が強い。
②野梅系・難波性一般的には白色で淡紅色・紅色もある。芳香があり、節の部分がふくれる。さし木、取り木が容易に出来る。
③野梅系・紅筆性蕾みの先が筆の穂先のようにとがり鮮明な紅色。新梢が日焼けし紅色となる。葉痕はふくれ芳香あり。
④野梅系・青軸性新梢は日光に当たっても日焼けせず緑色。 蕾みは緑白色。
⑤紅梅系・紅梅性本紅色が多いいが、白花淡紅・紫紅色もある。水皮や枝の切り口は紅色。新芽は赤く芳香あり。
⑥紅梅系・緋梅性紅梅性以上に濃紅色で花色は黒みがかった濃紅色。新梢は赤味が強い。
⑦豊後系・豊後性木の性質が出ているため枝が太く日焼けて赤みをおびる。芳香に乏しく梅と杏の中間的な取り扱い。
⑧豊後系・杏性花杏・杏梅とも呼ばれ枝が細い。水皮の色は青白色新梢は秋になると紅色をおびる。
二宮金次郎と梅
境内は眺望絶景の景勝地で大專坊(史跡)春風楼暁天楼などの建物があります。
後の二宮尊徳公の石碑と道真公の愛した梅が園内にあります。
しだれ白梅
こちふかばにおいおこせようめのはなあるじなしとてはるをわするな
紅梅
梅
菅公の碑
この碑は正徳五年(1715)に代官・上山経匡が建碑したものです。
碑文には菅原道真公西下の途中勝間浦にお着きになり四ヶ月滞在されたこと、また
周防の国司がこのお宮を造営したことなどが記されています。
この碑文が読解できたら台石の亀が感動して動くと言い伝えられています。
大野町は広島県廿日市市の南方に位置し、北原爆ドームで有名な平和都市・広島市、東は瀬戸内海を挟み対岸に安芸の宮島、南には石油化学コンビナート地帯を有する大竹市、西には温泉や渓谷で有名な佐伯町。
四季それぞれ楽しめる所が近くにあり空気の澄んだ環境のよいところです。
JR大野浦駅名の由来
昔、今川貞世(号・了俊)が九州操題として任地に下る時慶安四年九月二十一日当地で詠んだ歌
おおのうらを これかととえば やまなしの かたえのもみじ 色に出でつつ
駅名はこの歌からとられたものです。
眼下には、国道2号線とJR山陽線背後の山の中腹には広島岩国道路(有料)と交通の便は良い。
遥かに霞む宮島と広島名物・かき筏・穏やかな瀬戸の海です。この周りの海岸では魚釣りもたのしめます。
丸石漁港・・・漁港の側には沢山の「かき」の直売所があり、新鮮な{かき}や{魚}が食せます。
④大田神社の由来
当大田神社は、別名塩屋山祇社と言われ祭神は錐山祇尊(きりやまずみのみこと)です。産土神(うぶすながみ)としての神社であり、塩屋・丸石の人々が山祇尊(山の神)を祀り、地域の守り神として信仰されていました。
塩屋神社が大田神社になったのは、大田新開の傍に建っていた大田神社と合祀したのでこう呼ばれるようになりました。(松原丹宮代控書ヨリ)
①広島方面から来ると宮浜温泉の入り口にあります。
②現地までの距離・・・JR大野浦駅より約2Km。JR玖波駅より約3Km。
大野インターチェンジより約4Km.
宮浜べにまんさくの湯
⑦どの浴槽からも瀬戸が眺める天然温泉です。自然の露天風呂と健康料理で楽しめます。外には足湯もあります。
③米山神社昔は豊作の神として祀られていましたが、現在は商売繁盛の社として11月に米山祭りが毎年行われているそうです。
次回は経小屋山や古い庭園公園の方を探索してみようと思っていますお楽しみに
柳井市大畠町の渦潮まく上に架かる「大島大橋」を渡り左折し、
国道437号線を進む。
右手に「潮風呂保養館」「長浦スポーツ海浜スクエア」の看板あり。
右折し狭い道(全農道)を上がると山の中腹にあり。
庄地古墳群1号墳
大島町内の二大古墳群の一つで、古墳時代後期(七世紀)に築造されたと推定される。横穴式石室古墳です。
三本松山(263m)の中腹標高50~80mに立地し、七基の古墳が知られているが、現存しているのは、1、2、3、7の四基の古墳です。
古墳周辺地図
古墳の所在地・・・・山口県大島郡久賀町大字久賀 久賀町指定有形民俗文化 財
庄地古墳2号墳
石材は主に花崗岩で一部安山岩を使用している。
庄地古墳3号墳
古墳よりの出土遺物は久賀町歴史民俗資料館へ保管展示されています。
宗光古墳(7号墳)
この地の古墳群の中で唯一中に「お地蔵様」が祭られてあり、時々人がお参りしているようです。
訪れた感想
ミカンの島、大島にはこの他沢山の観光名所があり訪れる人も多いと聞きますが、さすが古墳には少ないらしく樹木が茂り荒れていた。
少しでも皆に知ってもらい関心を持ってもらえればと思い投稿することにしました。
行き方・・・・国道2号線を周南市の方に下ると、右手に「岩国市周東総合支所」が あります。
そこの交差点を右折し進むと新幹線のガードがあり、それを過ぎて一つ目の道を左折し狭い道ですが進んでいると右手に看板があります。
行き方・・・国道2号線を周南市方面に下り欽明路トンネルを出ると玖珂町に入る。
平成病院の看板のところを右折し病院の方に進むと、病院の側にある。
北方古墳の由来
古墳時代後期(六世紀)ごろ玖西盆地を支配した、豪族の墓と推定される。 全長7.5mの横穴式石室をもつ古墳で、副葬品として鉄製の武器・馬具・工具・装身具・須恵器等が出土しました。 これらの副葬品は「周東図書館」で大切に保存されています。
臼田古墳の由来
今から約1300年前の古墳時代後期に築造されたものです。
現状では、内部主体の石室をおおう封土が流失していて、墳丘がみられないが石室をとりまくように周囲の地表下に残る周溝から推定して 直径約9m程度の小円墳であったと考えられます。
両袖単室の横穴式石室とよばれ山口県内では数少ないものだそうです。
玖珂盆地北部を支配していた首長の墳墓と考えられています。
玄室からの出土遺物は、須恵器のつき蓋・身・壺・はそう・高つき・などの土器、刀子(とうす)・鉄族・鉄釘・針などの金属製品のほか、女性と思われる大腿骨頭片が出土しています。