イラッシャイマセ!⑤回目を迎えた今回は、パナウマ湾沿線を通りオアフ島コナ地区に私のルーツを訪ねてドライブしてみます。
此処には「ポリネシアン・センター」がありますが、センターの見学は次回に予定しています。目的地・コナまではホノルルより、車で約4時間の予定です。
ここオアフ島ホノルルに日本からの移民者が上陸
かってハワイ州の経済は「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる、次に掲げる大手砂糖会社を筆頭とする複合企業郡ににより支えられていた。>①アレクサンダー・アンド・ボールドウイン②キャッスル・アンド・クック③C・ブリュワー④テオ・H・デイビーズ⑤アムファック
●これらの企業群は20世紀初頭に台頭し、1960年に至るまでハワイ州の政治経済を牛耳ってきました。
●1881年カラカウア王が来日し、明治天皇と会見し、明治政府との間で移民協定が結ばれました。
●1885年初の官民移民が日本からハワイに渡ります。◎明治34年に、当時農家の次男坊だった私の祖父母が一旗揚げるためにハワイに移民渡航したそうである。(私の生まれる40数年前の出来事である・・・)
ネムの木の下に眠る・・・・ホノルルの外人墓地
ハナウマ湾展望台
死火山の噴火口に海水が入り込んで出来あがった、三日月状の曲線が美しい入江です。珊瑚礁とエメラルドグリーンの海に多くのサーファー達が訪れるそうです。
ハナウマ湾の近くに在る「潮吹き穴」>海にせり出した熔岩の穴から、押し寄せる波が・・・
鯨の潮吹きを連想させる潮吹き穴
潮が吹き上がるとき、ドドド~・・と凄まじい音がします。
☆①コナの海岸> 昔、母達が泳いだであろう海岸の風景!
☆②コナの岬> 熔岩が流れ出て、冷えて出来たような小さな岬です。魚が釣れそうです。
☆③母達が住んでいた近所> カフクのこの付近に住んでいたらしい。母のパスポートから判断すると、近くらしい。!
☆④祖父母達が住んでいた所には、新しい住宅が・・・> 当時の住所の辺りには、新しい家が建っていました。
☆⑤母が卒業した・カフク中学校> 建物は新しくなっていますが、学校の位置は当時のままだそうです。母の懐かしい母校を見ました。!
☆⑥コナ地区・カフクにある。モルモン教ハワイ本部で> 当時の事情の解かる人がいないか訪ねてみましたが、英語が上手く使えないので、余り要領は得ませんでしたが、現在は3~4世の人たちで、1世の人はほとんどいないそうです。
☆⑦ヤシの並木>モルモン教の敷地の一角です。
☆⑧突然のスコールがあり、水溜りの出来たカフクの風景> この時期一日に一回はスコールが来るそうです。
岡の上にある・日本人墓地に参拝
1941年12月7日真珠湾が攻撃され太平洋戦争が始りました。
●ハワイの日系人は、日本人会会長や僧侶など、日本人を代表する一部の人々を除き収容所に収容されませんでした。
●当時のハワイの人口の4割を占める日系人を収容すれば、ハワイの社会や経済活動が崩壊しかねないとゆう事実があったからだそうです。
ハワイで生まれ育ち、合衆国の市民権を持つ日系の若者の多くは、自ら進んで志願兵となる事で祖国にに対する忠誠心を示そうとしました。
彼らハワイの日系人だけで組織された陸軍第100大隊(パイナップル部隊)は、後に本土の日系人部隊と合流し442連隊となり、欧州戦線に於いて多くの犠牲と引き換えに目覚しい成果を挙げました。
○彼らの献身的で勇敢な戦いは全てのアメリカ人に深い感銘を与え、ハワイのみならず戦後の米国社会における日系人の地位向上に大きく貢献しました。
~ハワイ州百科事典より一部抜粋~
ホテルの中庭で開催されている・アロハショー
先人達の努力のお陰でいまのハワイがあり、私達も安心して観光ができる事に感謝し、今回のルーツの旅を終わりたいとおもいます。次回は一般の観光旅行に戻り各地を巡ってみようと思います。またのお越しをお待ちしております。
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