倉敷市児島にある野崎家は日本の塩田王と呼ばれた野崎武左衛門がその気宇にあわせて天保から嘉永年間に次々と築いていった民家です。昭和52年に岡山県指定史跡となり保存されている。
野崎家・お成り門
お成り門は、貴賓の出入り口で、表玄関から表書院へと通じており、通常は閉ざされています。
野崎家塩業歴史館入り口の長屋門
長屋門の石段は鉢巻積みの工法によるもので、七段の石段を上がると右に桃座敷、左に南座敷があります。
このような門造りは、江戸時代の大庄屋建築の中でも特に壮麗であり、天保9年に竣工しています。
観 曙 帝
庭の築山にある二畳台目の茶室で、杉材を用いて建てられています。天保14年8月13日、ここで月見の宴を催したきろくがあります。
庭園は、江戸末期に出来た枯山水の庭園です。この庭園は表書院からの眺めに中心をおいたものです。
表 書 院
野崎家の中心となる建物で、貴賓の応接に当てられたものです。上の間・下の間・茶室・玄関・相の間等から出来、北山杉や栂が使われている。
庭園入り口にある>さざれ石<
日本の国家「君が代」に出てくる石がこの石です。
き~み~が~あ~よ~おわ・さ・ざ・れ・い・し・の~・・・
水 琴 窟
庭先の手水場にあり、心落ち着く琴に似た音色が楽しめる
表書院の座敷にある”鉄斎”作の屏風
臨 池 帝
石は島・・苔は池・・を象徴します。その池の側にあり、世に知られた茶室です。
母屋(中座敷・向座敷)天保4年建築で南北に二十三間(約42m)
中座敷~向座敷の床の間の鎧を見る(約42m)
容 膝 帝
容膝帝と命名したのは大徳寺の国師・松月です。
裏千家の名席「又隠(ゆういん)」を写したもので、細部まで正しく模してますが、唯一にじり口の位置だけが違っています。
丁度時間と成りました~!この続ずきは、次回で~す。おたのしみに!!