天皇の称号は「万葉集編纂」の少し以前から使われ始めました。
その天皇の称号は過去「神武天皇」にまで遡って贈られました。
それ以前には、天皇は大王とか天王とか呼ばれて来たようです。
神武天皇の父親は山幸彦と海神の娘を両親とする神話の神です。
神武天皇は古事記・日本書紀に登場している初代の天皇でした。
天皇の称号を贈られた対象者は私たちと同じ現実の世界の人物。
ここに神たる天照大神と人間たる天皇との大きな違いが顕れた。
そして、それは神に決別した人間としての天皇宣言なのでした。
如何に「人間天皇」を民衆に浸透させるべきかが重要となった。
そう考える時、多くの天皇が万葉集に歌を詠んだ事実に頷ける。
天皇は民衆に別け入り、民衆と交わり、民衆を友としたのです。
それにしてもどうして雄略天皇が巻頭の歌を詠んだのだろうか?
万葉集編纂の 200年前を生きた雄略天皇を持ってきたのは何故?
雄略天皇って何者なんだ? それで延々と考え込んでしまった。
万葉集の「巻頭の歌」の特別な深い意味がなにか有るのだろうか?
雄略天皇は後世に「大悪天皇」とも「有徳天皇」とも称された。
大悪天皇の名前の由来は雄略天皇の振る舞いからきたのだろう。
有徳の由来は雄略天皇の偉業を後世の人々が称えて贈ったのか。
いずれにしても雄略天皇が並々ならぬ異能の持主であった証か。
雄略天皇は第十九代・允恭天皇の第五皇子として誕生している。
大泊瀬稚武皇子(おおはつせわかたけるのみこ)と呼ばれていた。
二人の兄を殺し・政敵を殺し、そして天皇の地位についている。
しかも後世に有徳と称されるに恥じない実績を残したとされる。
私にはそんな雄略がアマテラスの弟・スサノオに被って見える。
じっさい、暴力を振って奪い取った行為はスサノオと違わない。
スサノオが改心して善行を為すのを受け留める私は今変わり者。
それか私の感覚が由緒正しい日本人の魂とでもいうのだろうか?
報復が現代の民心であり、日本人の本音は雄略天皇を赦さない。
民衆から総理大臣までが殺せ殺せと口角泡を飛ばしている日本。
万葉集の巻頭に雄略天皇を置いた意味は替わってしまったのか?
マサカ、勝てば官軍・何でもありと大臣たち‥イヤイヤ 思いたくない。
ともあれ、平和主義者アマテラスの伝統に則りたい私ではある。
八百万の神は殺すために集まったのでないと知ってる私なんだ。