3月22日は4人で思いの丈を語り合いました。話の内容には個人的な事もあるので、南が編集をしています。
〇NHKのドラマ「きよしこ」を視ましたか?
□小説と映像とは違う
・視ていたけど、10分くらいで、少し苦しくなって来た。
・何だろう、私もそうだった。
・吃るシーンがリアルだったからかな?小説のような文字だけでは起きない感情が揺さぶられるのを感じた。
・自分が吃っている状態を思い起こさせられたのかな?
・なんか自分を外側から見ている感じ?
・もう一度本を読んだらどう感じるのかな?
・「きよしこ」の本を買いました。
□登場人物の描き方は
・お母さんの、きよしへの接し方にイラっとした。プレゼントを決めるシーンで、なんか押しつけているのを感じた。
・「あやまりなさい」という一言は、私達吃音のある人にとってはきついなあと思った。そういう強制のような事は起きる。お母さんには悪気が無いのでなおさらきついなあと思った。
・ここではお父さんも「ちゃんと喋れないと、人間としてだめになってしまう」というような事を言ってしまって、それをきよし君も聞いてしまっている。
・物語の最初の方で、転校してきての自己紹介の場面が嫌だった。言えない子に対しての子ども達の笑いやバカにする態度やことばは嫌だ。
・子ども会でも同じような場面があった。自分と違う人間を受け入れるのは当時も今も難しいのだろう。
※このシーン、教育畑にいた南にとっては、自分の経験と重なると同時に『先生何やってんの!きよし君を守ってよ!』と思ってしまった。
・お母さんの思いは、きよしが東京に行く事が決まった時に出してきた資料に表れていると思った。当時の吃音事情の中で、どれだけ子供の吃音の事を心配していたか、自分ができるだけの支援をしてあげたいと思っていたか、いろんな事が分かる。
・当時も今も、吃音について本人と正面から話し合うという事が出来なかった、勧められていなかったんですね。
※私たち吃音のある当時者と親との関係は微妙だなと思う。中には、吃る度に親から叱られた経験のある人もいる。信じられないかもしれないが、殴られて育った人もいる。愛し方、かわいがり方を知らない人の行動だという事だけでは説明できない事がある。わが子が吃音を発症したことで、まるで自分の子育てを責められているように感じているのではないだろうか。あるいは、怒りや憎しみのような感情が表に出てきてしまっているのではないだろうか。親自身が自分の吃音を隠して子どもに辛く当たっていた例もある。稀には、親自身の人生の辛さ、生き難さを子どもにぶつけているのではないかと思われる例もある。
だからこそ、専門家は正しい知識を親子で共有できるようにリードしてほしい。保護者を中心とした「吃音のある子どもと歩む会」が結成されている、私はその活動に期待している。「吃音のある子の親という当事者」どうしが語り合える場が必要なのだと思う。
※長くなりすぎるので、これ以上は書きません。どうぞ、マンデーナイト吃音カフェや各地の吃音カフェに話しにいらっしゃってください。
次回は3月29日(月)の午後7時から9時です。お待ちしています。
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