「どうしてあの人は○○なんだろう」
この考えは形の上では疑問形となり、理由を知りたいように見えるが、実は理由を知りたがっているわけではない。
単純に不満を抱いているという事、その不満は「自分にとっての普通」からきている。
「普通とはこうするべきなのに、どうしてあの人は○○しないの」
相手は自分とは別人格、相手の普通は自分の普通とは異なる、いくら不満を抱いても自分の思い通りに相手が変わることは無い。
片田智也さん
「どうしてあの人は○○なんだろう」
この考えは形の上では疑問形となり、理由を知りたいように見えるが、実は理由を知りたがっているわけではない。
単純に不満を抱いているという事、その不満は「自分にとっての普通」からきている。
「普通とはこうするべきなのに、どうしてあの人は○○しないの」
相手は自分とは別人格、相手の普通は自分の普通とは異なる、いくら不満を抱いても自分の思い通りに相手が変わることは無い。
片田智也さん
虐待された子供は、自分の感情を押し殺して言いなりになるしかない、それが生き延びるための術。
大人になっても、自己愛的なパーソナリティを持つ人に責められると、虐待された経験が蘇り体がすくみ冷静さを失う。
逃げたり闘ったりする手段が見えなくなる、過去の無力な子供にタイムスリップする。
暴言を受けて謝罪した自分、「自分が悪かった」しかし怒りを感じるのは何故?
この矛盾こそが悩んでいる本当の理由、不平等な関係がある事に気づくことが大切。
無意識の習慣に気づく事。過去の記憶と、今、目の前で自分に起きていることを区別する事。
今の無力じゃない自分に気付くこと。
「人は皆一人一人が違うものさしを持っているのに、それを理解していない人が多い」
「いじめる側のものさしに当てはまらず八つ当たりの対象になってしまう」
「皆、別々の生き物だとしっかり理解することが大切だと思うんだ」
「自分が、より幸せでいるために選んだんだと考えてほしい」
「人間は誰もがハッピーにこの人生を過ごす権利がある」
「自分が苦しくない選択をしてほしい」
小島よしお さん
頑張りすぎるのには理由があるのかもしれない。自分を大切にする事とは、大切にされる事とはそういう事だったんだ…私は頑張り過ぎていたんだと気付かされた言葉。
足指を骨折し5日目に、一日2万歩は歩く仕事に復帰した。仕事がほぼほぼ終わった時間に「早退してもいいのでは?」と声をかけられた、私は夫を迎えに行く時間があるのでと早退を辞退したが「骨折しているのに迎えに行くの?」と言われてハッとした。
思考の根底から、自分より他者を優先していた自分に気付いた、骨折していても他人に尽くすことが当たり前だった。常に「他人に対しては200%の力で尽くし、頑張ることが私の至上命題、迷惑をかけてはいけないのだから」。
これも間違った認知なのかもしれないと思い至った、自己犠牲し頑張ることが当たり前すぎて気付かなかった。「骨折していても歩けるのだから、多少痛くても仕事をしなくては!甘えてはならない!!」、「利き足ではなかったし車も運転できる、迎えに行くのは普通の事」、「夫はバスを逃すと乗換の関係で1時間ぐらい帰宅が遅くなるのだから、迎えに行くのは当たり前!」。
職場で気遣われることへの認知を変えて(=本心では迷惑だと怒っているという間違った認知)、素直に考えてみると当たり前の気遣いなんだけれど、母はこんな風に心配してくれたことは、実は一度も無かった。怪我であれ勉強の躓きであれ、私が困ることは「迷惑だ」と言われてきたのだ、母に酷い事をされてきたんだと改めて気付いた瞬間だった。
最近心に定めて言い聞かせている、勇気をもらう言葉。
「胸を張ろうと決めたんだ、誰に何を言われても、何度でも背筋を伸ばす」
(小学館「セクシー田中さん」芦原妃名子著より)