心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

強く自分を信じるんだ

2023-10-29 11:28:20 | 気づかされた言葉

「強く自分を信じるんだ、可能なんだってずっと信じるんだ」サッカー選手ロナウドのインタビュー記事から得た言葉。

自分を信じたい、でも恐怖がある。

何故怖いの?それは怒られるから、自分でいると怒られるから。

自分を信じたって無駄だから、自分を信じて否定されてまた傷つくのが怖いから。

誰かの気分を損じたら、私が良いと思った出来事の価値は無になるから。

間違っていないと言ったところで信じてもらえないから。

だったら初めから自分を信じなければいい、自分は駄目な人間だと思っていれば安心だから。

 

「だけど自分を信じたいんだ、自分には価値があるんだって信じたいんだ」

勇気を振り絞って自分を信じる、罪悪感をグッとこらえて、これまでの自分を上書きする。

大丈夫、自分の感情を信じて大丈夫、自分の信念を信じて大丈夫。

悪口や嫌味を言われても大丈夫、あなたはあなたの為に生きていても大丈夫。

私は私を信じて大丈夫、努力して生きてきたこれまでが私の価値。

出来るだけ合理に寄せて、感情に支配され過ぎないこと。

私が感情的に納得できなくても、社会的常識に照らして合理的であるならそれが正解。

感情があるのは人として当たり前の事、それは人間社会で当たり前の事、間違っていても生きていていいのだ。

 

苦しんでいるのは「自分を信じる事」に罪悪感があるから、さらに掘り下げてみると防衛反応に気づく。自分を空にして誰かに決めてもらうほうが楽、だってそうすれば自分の責任じゃなくなる、自分は否応なしだった不可抗力だったと逃げられる、被害者になれるから。それが私のいつもの癖、間違った認知なのだ。モヤモヤと苦しみの根源なのだ。

 

 


自分よりも相手が優先だから

2023-10-12 11:54:06 | 気づかされた言葉

「自分ばかり話過ぎてしまった」(反省)

「あの言い方は良くなかった」(自責)

「相手は嫌な気持ちになったのでは」(不安)

自分が言いたいことよりも、相手が言ってほしい事を選び、自分の機嫌よりも相手の機嫌を優先する。自分が楽しくても相手がつまらなさそうならば失敗であり駄目なこと。自分が楽しむことよりも相手が楽しむことを大切にするのが当たり前、最優先事項。

自分の考えや意見を言う事は良くない事という思い込み。良い事であっても悪い事であっても、相手が否定したらそれは駄目なこと。自分の感情は在ってはいけないもの迷惑なこと、自分が自分でいることは迷惑なこと。感情を消せなかった私は「自分勝手」、家族も言い学校の友人も言い、そして自身も自分勝手だと信じていた。誰の為の都合なのか、そして誰の為にそう信じ込んだのか。親の為の都合?私が自己保身の為に信じ込んだのか?

当時の私は認知を間違えたんだ。私は自分勝手なんかじゃない!もう誰かの都合に振り回されたくない!私は私の為に生きる、それは「誰か」には自分勝手に見えるかもしれないけれど、自分が自分の大切に思う何かの為に自分を使う事は間違っていない。自分を信じる、誰かに否定されたとしても。


あなたが怖いんじゃない?

2023-09-10 16:12:06 | 気づかされた言葉

見破られるかもしれないという恐れが母にはあるのかもしれないな。

何を見破られるというのか?

私を好きになれないことを?

娘が好きになれない罪悪感を?

見たくない本当の自分の事を?

母は、未熟な自分を「無知でいること」によって守っているのかもしれない、無意識に。

今の職場にもそういう人がいる、私に話しかけない、業務上私から話しかけても逃げるように立ち去る。母も彼女も、他の大多数にするような態度で私に接してくれればいいのに、最低限の他者への敬意でいいのに。怖いものから逃げるような態度を取られることで私は傷つくし、他者から気づかれることで屈辱を感じる。

どうしようもない事と分かってはいる、人間なんてそんなものだ。職場の人間の態度には腹立たしくても折り合いはつけられるが、母からの態度の「この気付き」は苦しい。私はこの感情を引き受けることができるだろうか、自分のためにこの苦しい夜を越えたい、愛されない自分を許せるようになりたい。


存在しない理想の母親を求めてる

2023-06-04 13:47:02 | 気づかされた言葉

不安だ不安だと言い過ぎている自覚はある。この甘えは愛着ゆえの苦しみの産物で、要は、母を求めて誰彼構わず愛着を結ぼうとしているから、話しかけている気がしている。誰だって不安や恐れはあり、私だけではないことは自覚している。しかし依存的な関りは自戒していても、気づくと不安をさらけ出している自分に気づく。

不安の吐露が悪いという事なのではなく、自他の境界線が緩いことが問題なんだという気付き。人と状況を選択することが大切で、つまり誰彼構わずが良くないのだ。コンディションが悪い人にも自分を嫌う人にも甘えて依存しようとするからトラブルが起こるのだ、自分に意地悪な人でも関わろうとするのは自分が寛容だからとかではなく、人間関係においては迷惑な部分であり幼稚で相手への配慮に欠ける態度なんだと実感する。

今の自分の課題として「成熟する」がある、しかし成熟するためには未熟な自分を自覚して上書きしなければならないから苦しい。葛藤やモヤモヤを掘り下げ、過去に感じた小さな違和感と自分の中のささやかな声に耳を澄ませて進む。自分を嫌う相手への配慮と自他の区別の配慮「相手は自分と同じではないのだから」これこそが尊重の真実なのかもしれない。字面は分かっていても知るという作業は実に痛くて、最近は自分に向き合う苦しさに煩悶している。


失う事を恐れているのか?という問い

2023-05-28 21:29:52 | 気づかされた言葉

体調が悪く憂鬱で楽観的になれない。

定期的に通院している婦人科で最近の体調を問われそう答えた。診察後、看護師さんとの会話の中で子供が自立した為の空の巣症候群、もしくは女性としての機能の衰えに焦っているのか?と聞かれ少々ハッとした、確かにそういう側面はある一般的にそういう時期だから。

そして、今の私は一般的な悩みの下にある自分としての土台が揺らいでいるのだと気付いた、自分に向き合い自分のこれまでを振り返って少し落ち込んでいるのだ、疲れてしまって当然なのかもしれない。