心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

本当は直面したくない自分の現実

2023-02-19 21:55:25 | 気づかされた言葉

自分よりも相手の欲望を満たすことを優先し、理不尽な扱いをされても自分が我慢すればいい。

他人からの評価で自己認識するので、いい評価を得るため相手の欲望を満たそうとする。

現状への不満に自ら改善せず他人を頼るために、相手の身勝手を拒まず要求に応えようとする。

自分にとって不都合な真実に直面する恐怖から逃れたい姿勢で生きている。

他人を頼り、闘う恐怖から逃げている。

相手に従うしかないと思う事で好きでやっているわけではないと逃げ道を作っている。

いい人と思われたい為に本来どうでもいい人にまで気を遣って相手の要求を受け入れている。

謙虚でありたいと願う私は、何故なのかと問われたら「いい人だと思われたい」のかもしれない。自分が正しいと思い込み攻撃する人と、何でも自分が悪いからと受け入れる人、同根なのかもしれない。本当は直面したくない「自分の現実」を受け入れる時が来たんだと思う。

 


私の苦しみの根源は自分自身

2023-02-19 21:31:39 | 気づかされた言葉

「根源的に抱えている問題があるからこそ、間違った方法で自尊心を得ようとする。」

「再び自信を失ったとき不安になった時、何をもって自制するか、抑制する事の困難さがある。」

無知とは罪であるという言葉を思い出す。

原因は私自身、根源的な問題は私の資質。発達的な資質からくる世界観の幼稚さが苦しみの一翼であるのだ。

私の苦しみの根源に向き合うことが解決への糸口と分かってはいても、原因が判れば対処できるという強がりも、今の私の苦しみの原因が自分自身にあるのだと知ることは苦しい事である。

 

 

 

 

 


どうして普通に覚えられないの?

2023-01-15 20:10:07 | 気づかされた言葉

研修している人の事で教育係がこぼしている場面に遭遇した。指示を確認する作業で上司と部下の認識とのすり合わせの時、教育係は言い直されることがストレスなのだという。「何故普通に覚えられないのか?」「何故、黙って指示されたとおりに言い直すことが出来ないのか?」「彼だけにこんなやり取りを繰り返すのは疲れる」「彼は何故こんなやり方なのか?」「記憶できないの?」

認識のすり合わせは誤解や間違いを防ぐためには重要だと思うし、幾通りにも受け取れるあいまいな指示は(受け手側にとって)確認せざるを得ないものだと思うのだが、彼女たち教育係にとっては使う単語が違うことが引っ掛かっているようだった。耳の痛い話だった、何故なら私も同じように、聞いた指示を自分の言葉で認識し直す作業が必要だから。曖昧に認識してした失敗の数々、同じ失敗をしたくないという思いがある。教育係にストレスをかけるのは百も承知だが、このやり方でないと認識できない。

発達障害やグレーゾーンの勉強をしていく中で知ったことは、独特の覚え方は「脳の特性」という事、一つ一つの知識が個別にあり統合していない、体験と体験を結び付けていくマテリアルが少ないという事、自分の一部にしていく作業が必要という事、甘えや努力不足ではないという事だ。

ルービックキューブを連想した。人は皆、一つ一つの升目に記憶と知識がインプットされているルービックキューブを持つとするなら、定型の人が完成されたルービックキューブ、発達的な特性を持つ私はバラバラのキューブということかなと感じた。日常生活の対応の時、定型の人はキュキュッと記憶と知識を組み替えて多彩な面を構成できるが、発達的な私は対応しなければならない事象の確認から始まり、目的に合わせてバラバラのキューブを探し組み合わせて、健全なルービックキューブが存在するかのように振舞う。目的別に合わせてフレキシブルにキュキュッと組み合わせは変えられない、いったん止まってまた再構築するのだ。いちいち一回一回組み直して維持することがどれだけ大変か。教育係は分かっていないのだ、普通を装うことがどれだけ大変か、創造性や多様性が無いのだ。私はそこに思いやりのなさを感じるのだが、通常、関りの中でそんな配慮はしないのだろう。

誰かがそんなやり取りを知っていて「大事に育てられてますよね」と言った、私は意地悪で嫌みだなと感じた。特別な対応が必要な彼に嫉妬と蔑みを感じターゲットにしようとしている意図を感じた。誰だって上手くいっていないことを関係ない部署の人間に噂されていい気分はしないと思うのだけれど、同僚たちはまるで評定を下すもののような態度で話をする。印象操作、そして自己愛、誰かをやり玉に挙げていれば自分の問題に直面しなくて済むから。


不安に支配されて行動してしまう

2023-01-08 23:54:44 | 気づかされた言葉

「不安に支配されて行動してしまう」

私の話しかけたい何とかこの場を和ませたいという欲求が「不安」、実際にTPOを逸脱していても話しかけてしまうのが「行動」という事なのではないか?とおぼろげながら気づいた。私はほぼ「常に」不安に駆られている、何故ならば、常に話しかける行動をしていないと気が済まないから。これは常に支配されているという事なのだろう。

孤独の恐怖からくる「わかってほしい」という思い、結局のところ他者に依存して「私を承認してほしい」欲求なんだろうと思う、他者承認に依存しているのだ。話しかける内容を吟味してTPOに合わせるようつとめても、心では好かれたいという欲求で下からコントロールしようとする行為なのだと気付いている。そんな自分に嫌悪を抱く、罪悪感と自己嫌悪がある。止めたいのにやめられない、よくないとわかっているのに話しかける行為を止められないという依存症のような気がしている。


本能に従わないことが大切

2023-01-08 23:52:00 | 気づかされた言葉

いつも自分の心の声に従っていた。奥底から湧き出る自分の本髄こそが指針だったのだ。それは私にとって自然なことだった。しかし社会生活を送るには、本能こそが抑えなけれなならないものだったのだ、指針がまったくもって間違っていたという事だ。これがずっと自分が感じてきた違和感の一つだ。

生きるコンセプトが違い過ぎた、なぜこんな風に生きていたのだろうか。それは感情のまま本能のままに生きる「困った親」というお手本が身近にあったから。父や母のような生き方を呼吸するように学んでいたのだ、そしてそれ以外の関り方を知らなかったのだ。彼らが望むように生きなければもっとひどい目に合うのだから、父母の望むように私は育ったのだ。

根本は親心から生じたしつけだったとは思うが間違っていたのだ、間違いかどうかも知らず彼らは間違ったやり方を暴力でもって私に強要したのだ。彼らは分かっていなかった、人間として成熟していなかった。自分の人生の欲求不満の捌け口を子供に向けたのだ、正しい子育てという大義名分をもって。

虐待を受けなかった人は想像もできない世界だろう。愛しながら憎いという相反する感情で引き裂かれそうな子供時代だった。愛は伝わらなければ愛情と感じられないものなのだ。「いつか愛されるだろう」と希望を持ちながら絶望する、そんな子供時代だった。痛みや辛さを愛情と思わなければ生きてこれなかった。

「自分の中の感情や本能に従わない」という指針は衝撃的だった、そんな考えはなかった。自分に正直であることが誠実なんだとはき違えていたのだ。「人との距離の測り方や境界線の取り方の設計図に必要な大事な指針」を取り入れていきたい、成熟した人間になりたいから。