心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

一里塚②漠然とした中で浮き上がってくるもの

2023-11-26 19:51:45 | 新しい心持へ

ブログをはじめて2年弱、混沌とした自分の中の「何か」を思いつくままアウトプットしてきた。

感情的で気まぐれな未消化の「何か」をまだつかみ切れていないけれど、おぼろげながら見えてきたものがある。

発達障害と二次障害、虐待とアダルトチルドレン。

防衛反応、回避と抑圧。

記事を投稿し重ねていくとわかる「見えてくるもの」があるんだなと感じた。

 

自分を振り返って見つめ直していくと判る「自分自身」と「課題」。「人間という動物の生態と社会」を知るのも大きなファクター。「感情的」な視点から離れる事、辛かった出来事に照準を合わせても不毛なことという事。まだまだ先は長そうだ。

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悲しませたくない

2023-10-29 19:34:05 | 新しい心持へ

悲しませたくない、誰を、母を。

好きになってほしかった、私を信じてほしかった。

心に傷を負ったのは何時だったのか、深い心の底にあるのは「悲しませたくない」という思い。

母を悲しませたくなかった、母に笑ってほしかった、母が大好きだった。

でもいつも悲しませた、そして自分への無力感を感じていた気がする。

 

「自由人な姉は母に叩かれていた、姉を反面教師に妹である私は賢く立ち回ったの」ある会話の中の誰かの発言。

口に出さず考えたのは、本当にその方のお姉さんは自分勝手だったのかという事。もしかしたら母の定めたルールに従えなかったから、受け入れられないからこその反発だったとしたら。

私は母の与えた駄目なお姉ちゃんの役は嫌だった、愛されたいという欲求はあるけれど引き換えに本心を誤魔化すことはできなかった。ありのままを認めてほしいのに、自分勝手なお姉ちゃんという役を受け入れるなんてできなかった。

もし、慰め役が与えられていたら上手くいっていたのであろうか?否かもしれない、母の認識の不合理に子供心ながら反発があったから。常に回避して私は可哀想と自己防衛している母だったから、きっと相容れなかった。

今も関わる時の虚しさと空虚感は変わらない。もう好きになる努力はしていないが、この部分が罪悪感の根源な気がしている。自分の大好きな人が自分を好きか嫌いかは分かるもの、認めたくはないが「母は私を愛さない」という諦観が肝心な気がしている、辛すぎて受け入れられなかったから曖昧にしていた病巣、自己肯定感を損なうもの。この心の折り合いをどうつけるかはこれからの課題、私は母を諦められるのだろうか。

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重荷を下ろす

2023-10-11 21:03:34 | 新しい心持へ

歳月は経験値となり今の私を形作る、ここ数年の自分を見つめ直す努力も実を結んだと感じた出来事。

30年ぶりに学生時代の同級生と会う機会があった。「学生時代は壁を感じた」「一面しか見せないようにしてたよね」「家族が厳しいと言っていたよね」皆の前での過去の失敗を含めての声掛けに上ずってしまい、少し感情的になってしまった。

親元を離れたばかりの未熟な私には苦しかった学生時代、苦い思い出がトラウマとなっていて会うのが怖い気持ちは0じゃなかった。当時は皆が普通にできる事ができなくて悔しく強く恥じ入っていたから。勉強、ファッション、女の子らしい関り、楽しむことが苦手だったし皆が怖かった。そして、当時の自分は罪悪感でいっぱいだった、親元を離れて大学に行くことは親不孝であり家を出ることは罪であり、高卒で働きすぐに親を助けるのが務めだと言われて育てられていたから。「進学を許す自分たち親に感謝しろ」「親に迷惑をかけて」心重い自立の一歩だった。

感情的になって本音を暴露してしまった、未熟者だったという懺悔、しかし私は繕う事を避けた「自分でいる」ことにしたから。勇気を出して朗らかに、しかし自分を保ちつつ、相手を信じて自分を信じて、偽りのない本当の感情を口にすることにした。

次は感情のコントロールが課題だなと感じながら、話し合っていてこういう関係性もあるのだなと感じた。感情を話しても許される関係性、相手の望むことを取り繕う必要のない関係性、学生時代の「こうでなくてはならない」は存在しなかったのかもしれないなと感じた。そして、人生の節目節目に仕事や人生の悩みを打ち明けられていたら、苦しいばかりの人生でもなかったのかもしれないと感じた。

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これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのか

2023-05-28 21:21:39 | 新しい心持へ

自分に向き合い始めて6・7年になる。

道は見えてきたと思える日もあれば憂鬱になる日もあり一進一退だ。

だがしかし、今のこの状態を幸せと呼ぶべきだろうと言い聞かせている。

失敗しても笑って自分を許してくれる人がいて、何も特別なこともなく日々が過ぎる。

穏やかに一日を過ごす事を自分に許したい、そう思っている。

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あなたはかけがえのない大切な宝物

2023-04-16 14:34:17 | 新しい心持へ

私は子育てのひとつの役目を終えて彼の人生を彼に返す、バトンもタスキも渡して、今度は見ない振りをしつつも陰ながら寄り添うのだ。

息子と夫には母親に対する渇望や満たされぬ思いは存在しないらしい、私の心とは違って息子の愛着のバケツに穴は開いていないらしい。私には想像もできない世界、可もなく不可もなく親は空気であり当たり前に存在するものらしい。

機能不全家族で育ったアダルトチルドレンの私だけれど、母親として最低限の役目を果たせたのだろうか、私は息子に母の愛情を伝えられただろうか。

あなたが元気で幸せでいてくれたら、それだけで私は幸せだ。

あなたが嬉しい時でも、辛い時でも哀しい時でも、母親としていつでもあなたを思っている。

あなたは私にとってかけがえのない大切な宝物。あなたの成功を心から願っている。

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