ずっと気になっている人がいる、関係性もこじれにこじれていると感じる。見ているとモヤモヤする、最近は接していても話しても怒りを感じる人だ。私に敵意があって私にだけ塩対応なのだが、ペアで仕事をするタイミングもあり業務円滑化を図るためなるべく話しかける、しかし最近はケンもホロロだ。「何でもいいです、どうでもいいです、あなたの好きにしてください、○○さんのいいほうでいいですよ」同じテーブルに腰かけるとあからさまに私から椅子を遠ざける、中年の女性である大人な私たちの誰もが「えっ」と戸惑う、微妙な雰囲気になってしまう程だ、他の同僚の気まずい視線が痛い。
仲良しには冗談を言ったり仕事中に手を振ったり、笑顔もまぶしく好意が溢れんばかりだ、自分の不幸を自虐的に話しては同情を引き、でも大丈夫ですありがとうございます!!と悲劇の主人公のようであり、子供のように同僚達から大事にされている。自分の手術や息子の怪我、娘の成人と聞かなくても連日エピソードを吹聴する、私には話さないが耳に入る大声なのだ。もちろん私にも問題があるからこその関係性なのだと理解しているが、彼女を見ると湧き上がる感情を掘り下げて最近気づいたことがある。
彼女に父のへらへらして自分勝手な部分、母の自己中な被害者的な部分、妹の脱価値化してくる部分、兄の頑固で横暴な部分を感じる。もしかしたら父や母や妹や兄、原家族への感情を転移しているのかもしれない。そして、深い心の奥底に眠っていた「哀しさ」に気づいた。無意識だった感情やトラウマがあるようだ。もしかしたら父母への未消化な怒りや「愛されたいとわかってほしい」という感情があるのかもしれない。やりきれない渇望は、好かれたい欲求は、解ってほしい理由は、誤解を解きたいという切なさは、父母に愛されなかった怒りと哀しさと孤独に行きついた気がしている。