心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

愛されたいことをわかってほしいのかもしれない

2023-01-16 00:20:31 | 新しい心持へ

ずっと気になっている人がいる、関係性もこじれにこじれていると感じる。見ているとモヤモヤする、最近は接していても話しても怒りを感じる人だ。私に敵意があって私にだけ塩対応なのだが、ペアで仕事をするタイミングもあり業務円滑化を図るためなるべく話しかける、しかし最近はケンもホロロだ。「何でもいいです、どうでもいいです、あなたの好きにしてください、○○さんのいいほうでいいですよ」同じテーブルに腰かけるとあからさまに私から椅子を遠ざける、中年の女性である大人な私たちの誰もが「えっ」と戸惑う、微妙な雰囲気になってしまう程だ、他の同僚の気まずい視線が痛い。

仲良しには冗談を言ったり仕事中に手を振ったり、笑顔もまぶしく好意が溢れんばかりだ、自分の不幸を自虐的に話しては同情を引き、でも大丈夫ですありがとうございます!!と悲劇の主人公のようであり、子供のように同僚達から大事にされている。自分の手術や息子の怪我、娘の成人と聞かなくても連日エピソードを吹聴する、私には話さないが耳に入る大声なのだ。もちろん私にも問題があるからこその関係性なのだと理解しているが、彼女を見ると湧き上がる感情を掘り下げて最近気づいたことがある。

彼女に父のへらへらして自分勝手な部分、母の自己中な被害者的な部分、妹の脱価値化してくる部分、兄の頑固で横暴な部分を感じる。もしかしたら父や母や妹や兄、原家族への感情を転移しているのかもしれない。そして、深い心の奥底に眠っていた「哀しさ」に気づいた。無意識だった感情やトラウマがあるようだ。もしかしたら父母への未消化な怒りや「愛されたいとわかってほしい」という感情があるのかもしれない。やりきれない渇望は、好かれたい欲求は、解ってほしい理由は、誤解を解きたいという切なさは、父母に愛されなかった怒りと哀しさと孤独に行きついた気がしている。

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母にしかできない仕事

2022-12-17 11:46:40 | 新しい心持へ

母に「あなたを一番愛してる」と言われたかった。

困った時に助けてくれて苦しむ時には寄り添うような、保護や無償の愛情や慈しみが伝わっていたら、無力な幼小期に「私は母親に愛されている」と信じることができていたなら、今こんなにも苦しんでいなかったのではないかという気付きがある。母親からの子供への肯定は「子供自身の自己肯定感」には不可欠だと思う、母親にしかできない仕事があると思うのだ。もちろん他の誰でもいいのだけれど、母にしかできない肯定というものは世の中に存在するのではないだろうか。

今も健在な私の母は、私の過去と現在の苦悩を知っても私に寄り添う事はしない。できないやらないではなくて、見たくない知りたくない対応したくないという回避が近い気がしている、生きていても得られない現在進行形の愛着の喪失感、母親と話すたびに心の傷が疼く。

そして世の中の「仲のいい母子」を正視できない、愛情を受け取っている人間に嫉妬と苦しみの感情が湧く。息子と夫の男同士の感情の交流は信頼関係を含め好ましく感じるが、私に娘がいたら夫から愛情を受けている娘を正視できないだろうと思う、憎しみと怒りとで娘を混乱させ傷つけるだろう。もしかしたら私の母親も、愛情を受けとる私に憎しみや怒りや未消化の想いがあったのかもしれない。

だからこそあえて、私は唯一の息子に「あなたを一番愛している」と伝える、この世の中で「私ががあなたの一番の味方だ」と言葉にして伝える。彼の母である私にしかできない仕事だと思うから、私のように「自己の肯定を得られず」苦しむような人生送らせたくないから。そして「母のような愛情を伝えられない可哀想な母」になりたくないから。

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たった一つの真実なんて存在しない

2022-12-04 21:17:39 | 新しい心持へ

私が感じている真実、私が判断の基盤にしている本能的な感覚は「実は極端な思考」らしい。私の感覚は大多数とは違うものらしい。気づきによって根底から変わる私の世界への認識「真実は一つじゃない」

人間は多重で多層だから、いろいろな思考があるという事、自分を妥協して生きていくことも正しいことの一つ。私の思う「たった一つの真実」の正体は「白黒思考」だったのかもしれない。だから私は苦しかったのかもしれない。「たった一つの真実のはずなのに」「これが正しい事なのに」と、上手くいかない度に悔しい思いをしてきた、多分そういう思い込みを抱えていたから苦しかったのだろうと思う。

真実は人それぞれであり、それが正解であり現実だなんて知らなかった。ずっと「たった一つの真実=私が認識する世界観=皆が求める正義」だと考えてきた、皆がそのたった一つの真実を目指して生きているんだと思っていた。だから上手くできない私を皆が責めているんだと思っていた、至らないから糾弾されるんだろうと考えてきた、努力してもできない私は駄目な人間なんだろうと考えてきた。

思い込みを手放して楽になりたい、今は他者からも押し付けられて苦しいけれども。人はそんな間違いを間違いと知らず生きているのだろう、これまでの私のように。今回の私の失敗は済んだことであり変えようがないから、脇の甘さが招いた敵意を受け入れることにする。嫌われた事実を受け入れる、彼女にとって私が信頼できない人になったように、私にとっても同義となったということだ。

至らぬ自分を受け入れることにする。怒りも衝動性もひらめきもいったん保留して、本能に従わないこと俯瞰的に考えること。その上で楽観的な気持ちを大切にして人生に挑むこと。きっと変われると自分を信じてみることにする。

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私の世界観が幼く未熟だったという盲点

2022-11-23 22:28:24 | 新しい心持へ

私にとっての当たり前が、実は思い込みの激しい未熟な世界観だったとは思いもしなかった、それは盲点で、実は第三者には明らかなものだという事を最近知った。

「努力すれば正しくなれる、いつかできるようになる」妖怪人間ベムのようにいつか人間になりたいと、上手くいかない時に漠然と考えていた。未熟さを嘆く切っ掛けであり、また更に精進邁進するか、うらぶれた気持ちになるか、最後には立ち上がるしか道が思いつかなくて、またそんな体当たり路線である自分を嘆くのだ。

自分が育つ中の私の認知にある世界観や「私」という実感が「思い込み」だなんて自然に気が付くことなどできるのだろうか?各々が自分の世界観を信じてやり抜くものだが、存在する社会は一つで、それに近づくために皆頑張るし、そこから外れているからこそ虐められた糾弾されたりするんだろうと思っていた。

「みんな違う」という認知自体が皆ぞれぞれに「認知している世界観自体も違うのだ」というのなら、自分と違うからと正義感ぶって糾弾したりすること自体がおかしなことだ。私は知らなかったけれど皆もわかってないということだ。

「みんな違ってそれでいい」自体が、「千差万別の受け取り方をされている」だなどと気が付いている人などいるのだろうか?わかっていない人も多いんだろうなと思った。そしてそれでも生きていけるのだ。

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いま私自分軸だった

2022-11-03 21:00:45 | 新しい心持へ

私は変わるために努力してきたのだ、自分のこれまでのためにそしてこれからのために。これまで努力し続けていたから、今の私があるのだという気付きが私を励ましている。今回の件を聞いても私は最初動揺しなかった、体の反応もなかった重苦しくて泣き出したくなるような動揺を感じなかった、むしろスーッと「バカじゃないの」と相手の愚かしさに思いが至った。「いま私自分軸だった」そんな自分の成長の気づきが嬉しかった。

嫌な人が悪いのだから自罰的になる必要は無いという事。

考え方を柔軟にして自分を再教育する事。

他者への依存をエスカレートさせないこと。

揺さぶられても自分軸を貫くこと。

真面目に受け取り過ぎないこと鵜呑みにしないこと。

暗黙知を意識して中道を目指すこと。

極端な考えにならないよう気持ちを整理する事。

愚痴や意見の発露はTPOを弁えること。

嬉しくなって調子に乗らないこと。

揺さぶりに動揺して自暴自棄にならないこと。

大多数の最大派閥に無関心な意識されない立ち位置を目指すこと。

自己肯定感と境界線を強化する事。

自分を信じること。

粗末な扱いを受け入れる必要は無いという事。

哀しいストーリーを抱えた意地悪で未熟な人間は多く存在するという事。

人間なんてこんなものビビりすぎる必要は無いという事。

心を整理し楽観視する事。

自己理解他者理解のもと用心深く生きること。

以前の私なら自分の悪口に気づいたら、自分の未熟さを嘆き、思考が停止して恐慌状態になり、自虐的になり抑うつ状態になって、自分を責め続けていただろう。しかし今は、嫌われたかもしれないそんな数人のほかに、肯定的な態度を取ってくれている人もいるように感じる、全員に嫌われているという事ではないのだと思う、これは客観視が育ち、思い込みが減ってきたからだと感じる。ビビり過ぎる必要は無い、仕事がしにくいかもしれないけど辞めるほどでもない、そう思っていきたい、新しいルートのために。

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