心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

一里塚①発達障害の学びを深めて

2023-07-09 21:53:23 | モヤモヤする事

自分を知り他人を知り、多方面から発達障害について学びを深めている。

原動力は過去の疑問点。過去と現在の「人間関係の疑問」を「学んだ知識」とでつなぎ合わせ、新しい認知に置き換えている。つまり放置してきた傷を一つ一つ手当てしているのだ。

今悩んでいる苦しみの根源を探れば「自分が悪いから」「自分が至らなかったから」という認知に至る。この認知の上書きには自分の傷を追体験するような感覚があるので、非常に疲れるしとても億劫でなかなか進まない。

最近の大きな認知の上書きは、自分以上に実父に発達的な特性が強いという事。そして夫と舅と義姉、そして息子は同じようなASDの特性があるのではないのかということだ。誰でも持っているのかもしれない発達の凸凹に気づいた。

何故、自分にとって都合の悪い指摘を否定し感情的に怒るのか、激情が覚めた後に頓珍漢な理屈で責めたり嫌みを言ってくるのか。私は相手の最もらしい攻撃や怒りを信じて傷ついたり悩んだり、自分が至らないからだと自己嫌悪しながら受け入れて苦しんできた。

今こそ、私は彼らの暴言を全面的に受け入れる必要はなかったと、認知を上書きし自分に言い聞かせている。私は相手が正しいのだとずっと信じてきた、しかしそうではなかった可能性が高い。だって間違っていると指摘されたのならば素直に修正しアップデートすればいいだけなのだから、それが成熟した人間なのだから。彼らは何故かそうできない、その理由を知りつつある。

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わかってほしいの根源

2023-07-08 19:23:26 | モヤモヤする事

私の中の「わかってほしい」という強い欲求について、現段階の考察をまとめてみた。

両親や自身の発達的な特性、機能不全家族、時代性、愛着障害や複雑なトラウマ、自身が深めてきた傷つき体験、震災体験と適応障害。心療内科受診や医療機関や民間や公的機関のカウンセリング。自分を見つめ直す作業、心理への学びと気づき。

「原家族」

母がなぜ私を慈しまなかったのか、それは機能不全家族というのも大きかったが、母自身の成熟度が低かったことが一番の要因のような気がする、もちろんお互いの特性もあるのだろうけれど。

父はとても問題を抱えた人間だった、生まれ持った特性故に苦しんできたことは幼心にも理解できた、社会的想像力と社会性に欠けておりコミュニケーションに障害を抱えていた。アルコールに逃げ暴力を家族に向け、周囲との関りの中で様々なトラブルに直面していた、そして今も変わることなく人間関係にトラブルを生み出している。

母は常に被害者ポジションだった、母には離婚をする選択肢も2世帯同居の家を出る選択肢もあったがそうはしなかったし、思考停止している母は今も昔も自己の不利益(離婚)を回避したいと考え、現実から目を背け自己憐憫に耽溺している。家族のトラブルは他人事、私は可哀想という考えに終始し自分にばかり囚われていた。子供の情緒には全く考えが至らなかった、子供の困り事には「あんたが悪いんでしょ」と助けてくれることは無く、子供が殴られても無関心だった、殴られて当然というスタンスだった。

つまるところ私は機能不全家族の中で適切な養育をなされてこなかった不憫な子供だったのだ。私の苦しみの根源は父と母の関係性なんだと思う、そして発達的に問題を抱えて生まれついた私は、適切な養育と支援が必要な子供だった。父と母がどんな私でも愛し認めてくれて私の困りごとに対応してくれていたら、「自分は駄目な人間なんだ」と傷つきながら生きることは無かったのではないかと感じている。

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それは違うと思う

2023-05-29 09:11:50 | モヤモヤする事

「不得手だからって、始める前から挑戦しないのは、それは違うと思う」

子育ての他愛ない会話の中で引っ掛かった言葉だ。コミュニケーションが苦手だという特性の存在と、だからこそ個性に合った場所選びが大事なのだ、という私の言葉を受けての意見だったと思う。正直挑戦的な意見だと感じた、努力こそが報われる手段だとまだ思っているのだろうかとか、私は努力も挑戦もしてきたけれど負担はとても大きく、普通の当たり障りないコミュニケーションに全力を注いでいるのに上手くいっていないのにとか、そんな私に鞭打つ意見だな等と感じた。

モヤモヤした自分がいるが、何故なんだろうかと自己分析してみて一番しっくりしたのは「発達的な特性」「文章全体が読み取れない&文脈が消えてしまう」そんな思い込みの癖だ。幼稚な価値観の私は自分の延長線上に他人を見てしまうので「理解できる上限がある」気がしている、これまで考えてこなかった自分の外に真実があるのだという「暗黙知」に気付き始めている。もしかしたら、これがこれまで感じてきた違和感の正体なのかもしれない、私は誤解しやすいのだ。文脈が消えて断片的にしか理解できず誤解しているのに、それが真実だと思い込んでいる。それは誤解から生まれたとしても「私の中の真実」なのだ、私が感じたものが私の全てだから。

モヤモヤしたけれど客観視してみれば、彼女は私の「努力しても上手くいかないという葛藤」など知らないのだから、私に当て擦った訳でもないのだろうと思う。会話の中で誤解して一人怒るという思い込みの世界、ひとりよがりな癖を自覚した出来事だった。

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嫌いなのに気になるあの人

2023-02-07 17:23:17 | モヤモヤする事

嫌いなのに離れられないのは、無意識に相手に求めているものがあるから。だから執着しているということ。敵対的依存。

「無意識に親を投影している、目の前の関係ない彼女に」

未完了の抑圧した感情がある。幼少期に傷つけられた「癒されていない傷」を彼女を使って癒そうとしている。

「私は愛されたかった」「父に母に大事な存在だよと認められたかった」得られなくて自分を責め否定した。「どうせ私は駄目な人間だから」「私は母に嫌われているから」幼い私は、この自己否定感が辛くて抑圧したのかもしれない、愛されない自分を受け入れられなかったのだろう。

自分を殺して相手の望む自分でいれば絶望感や孤独の恐怖を感じなくて済むという利得。嫌なことは我慢して飲み込んで抑え込んで、自らが悪かったのだと悪役を買って出ていれば家族は維持された、繋がれるという間違った認知を持っていたのだろう。

 

私は本当の感情を直視してみる事にする。

「私は父母に愛されたかった」

「叩かれるのは本当は嫌だった」

「できないことを何故できないんだと怒られるのが嫌だった」

「一人ぼっちになりたくなかった」

「私を大切にしてほしかった」

「父母の感情次第で私だけ怒られるのは嫌だった」

「自分だけ怒られるのは悔しかった」

「上手くできないことには突き放すのではなく親切にコーチしてほしかった」

「私を見て幸せそうに笑ってほしかった」

「慈しみ深く私を愛してほしかった」

「凄いねよくやったと言ってほしかった」

「本当は父母が好きだった」

「私を信じてほしかった」

ああ、私は愛してほしかったんだ。こんなシンプルな感情をずっとずっと抑圧して感じないようにしてきたんだ。ずっと我慢してきたんだ。そんな自分を認めたい、そんな苦しい思い込みを抱いていた自分を癒してあげたい。ここに私がいるよと教えてあげたい。

 

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人はなぜ意地悪をするのか

2023-01-10 21:40:06 | モヤモヤする事

人はなぜ意地悪するのか?それは人間は社会的な生き物だから。利害関係は変化するもの対立が起こるのは自然なことであり、雨が降るのと同じ事。全部の対立は避けられないものであり、ある程度受け入れていくしかないもの。正しいと信じてした行為が対立を生んだならそれは仕方がないという事。

小中時代の同級生からの意地悪、社会人になってからの職場の人間からの意地悪、妹や母からの悪意、今の職場で感じる嫉妬と悪意。これまで何故なのかずっと疑問だった。理由を知りたかった、知れば対処できるから、私が間違っていたのなら直せば誤解は解けると思っていた、だから嫌われたならその理由を知りたかった。

私には意地悪される大きな誘因がある。それは発達的な問題で他者理解や自己理解が浅いから、統合的な判断ができていないから空気を察せないのだ。そして私は「のほほん」としているように見えるのだろうと思う。正直と真面目を気取っているように見えるのだろう、うまく人に合わせられないために真面目に誠実に生きるしかできない愚直な私は、気を付けていても空気が読めない。そのために対策と戦略を練り良い人であろうとあの手この手で関わる、それがうっとうしいのだろうと思う「見ているとイライラする」のだろうと思う。無意識に失礼なことをして地雷も踏みまくりだったように思う。そんな愚かで間抜けな私は格好の標的でもあったと感じている、憤懣のある人間にとって意地悪されるだけの理由があるし膨らませやすい不器用な人間なのだ。

努力しても幼稚な愚かさは根本的には治らない、それは特性だから、無策で政治力がないし腹芸ができない。嫌味は高等技術であり皮肉など言えるほど練れていない。軽率な一言は純粋に軽率だから口から出てしまう。学びを深めていくと、意地悪する人間にもその人なりの課題があり未熟さがあるという事を知る。成熟した人間は相手が愚かでイライラしてもあえて意地悪はしないのだ、それが人徳であり優れた人間性なのだ。もちろん人間だから意地悪な気持ちもあるがコントロールできるのだ、限界はあるだろうけれど。

夫曰く。関わらない、知ろうとしない、意地悪な人間に好かれる必要は無い、嫌うような人間には嫌われたままでいい、嫌われる理由を考えるのは無駄なこと、基本関わらないこと。知れば対策したくなるから分析もする必要なし、当たり障りのない関りで十分、喧嘩を売られても買わない。私には無いコンセプトだった。

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