私の中の「わかってほしい」という強い欲求について、現段階の考察をまとめてみた。
両親や自身の発達的な特性、機能不全家族、時代性、愛着障害や複雑なトラウマ、自身が深めてきた傷つき体験、震災体験と適応障害。心療内科受診や医療機関や民間や公的機関のカウンセリング。自分を見つめ直す作業、心理への学びと気づき。
「原家族」
母がなぜ私を慈しまなかったのか、それは機能不全家族というのも大きかったが、母自身の成熟度が低かったことが一番の要因のような気がする、もちろんお互いの特性もあるのだろうけれど。
父はとても問題を抱えた人間だった、生まれ持った特性故に苦しんできたことは幼心にも理解できた、社会的想像力と社会性に欠けておりコミュニケーションに障害を抱えていた。アルコールに逃げ暴力を家族に向け、周囲との関りの中で様々なトラブルに直面していた、そして今も変わることなく人間関係にトラブルを生み出している。
母は常に被害者ポジションだった、母には離婚をする選択肢も2世帯同居の家を出る選択肢もあったがそうはしなかったし、思考停止している母は今も昔も自己の不利益(離婚)を回避したいと考え、現実から目を背け自己憐憫に耽溺している。家族のトラブルは他人事、私は可哀想という考えに終始し自分にばかり囚われていた。子供の情緒には全く考えが至らなかった、子供の困り事には「あんたが悪いんでしょ」と助けてくれることは無く、子供が殴られても無関心だった、殴られて当然というスタンスだった。
つまるところ私は機能不全家族の中で適切な養育をなされてこなかった不憫な子供だったのだ。私の苦しみの根源は父と母の関係性なんだと思う、そして発達的に問題を抱えて生まれついた私は、適切な養育と支援が必要な子供だった。父と母がどんな私でも愛し認めてくれて私の困りごとに対応してくれていたら、「自分は駄目な人間なんだ」と傷つきながら生きることは無かったのではないかと感じている。