心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

自分以外の人間が正しいという思い込み

2022-12-07 19:00:16 | モヤモヤする事

自分以外の人間が正しいという思い込みがある。他者から何か言われた時「相手が正しい」と無意識に思い込み、無意識に対処している自分に気づいた。

「私が間違っていたから相手が怒っている」相手の言葉の内容を精査し対応しなければならない。「たった一つの真実=世の中の正義=相手の言葉」という思い込み、そして「私はできないが相手はできる」という思い込み、「だからこそ私を糾弾するんだろう」という思い込みだ。

指摘や非難は何のためにしてくるのか?

失敗した時に非を認め謝罪しても怒りを収めない人、大きく関係しない立場なのに責めるような言葉をかけてくる人、利害がない立場のはずなのに高圧的に人間性を貶めてくる人。謝罪しても許されないなら、下を向いて自分を責め続けるしかできない。消えてなくなりたい死ねば許されるのか「どうしていいかわからない」という大きな不安感に押しつぶされ、投げやりな気持ちになる。

以前カウンセラーに言われた言葉「何故鵜吞みにするのか?鵜呑みにしなくていい」

夫には「何故そう思うんだ?おかしな奴がおかしなことを言ってるだけだろう!済んでしまった事やどうしようもできない事を話し合っても無駄。どうしようもできない事を追及したところで無駄。おかしなことを言ってくる奴とは建設的な話し合いなどできない。反省する面は大いに反省し、善悪ではなく合理的な答えを導き出すのが正解だ。もしもそれ以上の事をグダグダ言ってくる奴がいたとしたら、それは合理的な人間ではないということなので、ああそうですか済みませんでした、それでいいじゃないか!なんでわからないんだ、前にも言っただろう!」

理由を問う必要のないもの、否は認め真摯に向き合う必要はあるが、貶めてくる言葉をかけられたとしたら受け入れる必要のないもの。それは「本当の意味では私の世界にはなかった」そんなことは知らなかった。喧嘩は買わないこと売らないこと。責め立てられたら対抗しなければ自分を守れない「それは違う!」と怒りを示すしか方法は知らなかった、しかしそれでさらに攻撃されたら最後は沈黙するしか手はなかった。

×→「自分以外が正しい」で、〇→「どちらが正しいかではなく、感情を交えず合理的に問題を解決する」これが最適解なら私は最初から誤っていたという事になるが、とりあえず取り入れてみることにする。認知の歪みがあるし、統合的に応用が下手なので何度も繰り返し覚え込ませる必要がある。こんな自分に失望がある、何故うまくいできないのか何故こんな思考回路なのか、受け入れるのは辛いけれどこれが私の現実で意識的にやっていくしかない、しかしそれは「本当はとても悔しい事」なのだと思う。

コメント

母親への複雑な今の心境

2022-11-26 00:50:28 | モヤモヤする事

母からの荷物が届いた、前日に電話もあった。便りには友人との楽しかった青森旅行と顛末、自信作である吊り柿についてもしたためられていた。

一個人としてなら、楽しく過ごせてよかったねと言ってあげられるが、娘としての母との関係には複雑な心境があり、素直に喜べない。母への嫌悪感を自己嫌悪はもうしないけれど、母にとって私の苦悩は理解できないものであり、過去のものなのだ。

前日の電話で私の近況を聞いてきた、勇んで話す私の話の内容に返事もそぞろで、直ぐに末尾の挨拶に向かう母、問いかけで義理は済んだというのだろうか。

私の愛されたいという欲求、母との一方的な嚙み合わない会話、昔から彼女は自分の世界で生きていて、そこに一人の人間としての私個人の感情は存在しないのだ。彼女は私には私の世界観がある事を理解できない、だからただ「なぞらえる様に」会話を進める。彼女が思っている世界は「彼女だけのものでしかない」ということを知らない。だから娘の感情や世界観は彼女の世界には存在しない、話しても理解できないのだ。

母と過ごす時間は子供の頃から何時もむなしい、感情の交流がないのだ。私が困っても悩んでも相談しても彼女には他人事のよう、理解できないと示し、母とは切り離したものとして実のない一般論を口にし、最後はうまくできない私を叱責する。

彼女は今幸せなのだろうか?

私はどうしたらいいのだろうか。母との関りを最低限に断っても、関りへの虚しさは消えない。

自分を振り向かない母への失望と執着、心理的離乳、母からもらえなかった無償の愛への渇望と、私個人の自立と成熟と愛着。何度でも取り組む課題なんだろうと感じている。

コメント

失敗を嗤わないでほしい

2022-11-26 00:26:23 | モヤモヤする事

失敗を嗤う人がいる、手を叩いて笑う、それは場を和ますため?

嗤われることへのトラウマがあるのだと思う。失敗の多かった子供時代、虐められていた時の同級生の談笑。今の職場で新人の頃のミスに「笑わないで」と初めて伝えた、それを言葉に出すのは勇気のいる作業だった。その時の相手の面くらった顔を思い出す。

同じ空間で失敗した人を嘲笑うのは、やはりおかしいことだと思う。優しくない世界、品位、人間性とかいう理論武装よりも、私が笑われるのが嫌なんだと思う、トラウマなんだろう。

人にもよるし状況にもよるし、人の失敗を嗤うのは人間だからでもあるから、社会性優位の為の方策な訳だし、場を和ますために人の失敗があった時笑うのはあっても仕方が無いのかもとは思う。

しかしその口で私は今日、他人の些細なミスを関係ない人と笑い合った。「あなたも笑ったよ」と言われてハッとした。当人を前にして笑わなければいいのか?同じ口で矛盾していると自己嫌悪した。

人間だから失敗も、優位性を図って笑ってしまうのもあるんだなと感じた。もう少し分解が必要な心の動きとトラウマ。私はどうなりたい?嫌悪じゃなくそんな自分を受け入れることから始めようと思う。

コメント

好かれたいの愛されたいの

2022-11-26 00:11:06 | モヤモヤする事

よく思われたいんだね、違うよ愛されたいんだ。

誰に愛されたいの?多分母に愛されたい。

仕事でも家庭でも関わる人のちょっとした顔色の変化に、嫌われたかな?と不安になる。

何故不安なの?よく思われたいというよりは、好かれたい愛されたいのだと思う。

嫌われたくないと思うから好かれたいと思うから、恐れから不安が生まれる。だから自分から奴隷になる、自分で勝手に縛られて苦しくなる。今日だって「嫌われたっていい、好かれなくたっていい」と思えていれば不安も疲弊も少しで済んだのかもしれない。

あなたが好かれたいと感じる人はあなたを大事にしていますか?

愛されなくたっていい、自分には自分がいて、自分を認めてくれる人もいる、それでいい。

愛してくれない人に期待しない、好かれたいと恐れなくてもいいのかもしれない。

コメント

悪口言われてると教えてくれなくていいよ

2022-11-03 18:45:40 | モヤモヤする事

 

「あなたが上司に告げ口した話を教えてくれたと〇さんが話していて、その場面を△さんが見たと言っていた。それに怒った□さんがあなたのグループの人にいきさつを陰口していたよ」

確かに〇さんにそれらしい話をした、しかし憶測が憶測を生み、真実とは似て非なる話が事実のように出回っていることを知った。「悪口を言われてる」と教えてくれた人はこれが二回目で、何故教えてくれるのかよくわからなくてモヤモヤしたが、もしかしたら彼女は彼女自身の問題とオーバーラップして混乱し、苦しくなって私に教えてくれたのかもしれない。私と同じような自己肯定感の悩みを抱えているACだから。

悪意ある態度への対応には学びを深めてきた。理性的に対処する事、相手にしないこと、彼らの問題、自分が悪いと鵜呑みにしない事、怯む必要は無いという事、信頼に値しない人だという事。自分を信じる上で間違っていないと思うのならば、対立は避けられないということ、人間は社会的な生き物、嫌われるのも対立があるのも自然なことだということ。「次からは私の悪口を聞いても教えてくれなくていいよ」そう伝えた。

しかし昨日今日と悩んで寝込んでしまった、悪意は無くても自分の悪口を聞かされるのはやはり傷つく、それが判るからたいていの人はそのことを本人にわざわざ伝えたりしない。どうしても伝えなければならないのなら「〇さんがあなたの話を吹聴しているよ、気を付けてね心配している」という位でいいのだ。

自分に向けた悪意ある噂話を、理性では相手にする必要がないことを理解していても、体は正直だ、多分私は傷つき怒っているんだと思う。悔しくて裏切られた気持ちでかなしくて堪らないのだろうと思う、だからモヤモヤしているのだろうと思う。

私は間違ったことをしたのではない、私の信念に関わる事だから上司にコロナ対策の強化について進言した、再三注意されているのに守られてなかったから、そしてグループ内で感染者が出たばかりだったから。信頼に値しない人間に話してしまった私の迂闊さ、境界線の甘さが招いたこと、その話が曲解されて悪用されたのだ。自分以外を正しい人間だと思い込んでしまっている認知、遜ることが正しいと思い込んでいる認知があったから、これからの課題として人を見極める目が必要なのだと思う。

コメント