自分以外の人間が正しいという思い込みがある。他者から何か言われた時「相手が正しい」と無意識に思い込み、無意識に対処している自分に気づいた。
「私が間違っていたから相手が怒っている」相手の言葉の内容を精査し対応しなければならない。「たった一つの真実=世の中の正義=相手の言葉」という思い込み、そして「私はできないが相手はできる」という思い込み、「だからこそ私を糾弾するんだろう」という思い込みだ。
指摘や非難は何のためにしてくるのか?
失敗した時に非を認め謝罪しても怒りを収めない人、大きく関係しない立場なのに責めるような言葉をかけてくる人、利害がない立場のはずなのに高圧的に人間性を貶めてくる人。謝罪しても許されないなら、下を向いて自分を責め続けるしかできない。消えてなくなりたい死ねば許されるのか「どうしていいかわからない」という大きな不安感に押しつぶされ、投げやりな気持ちになる。
以前カウンセラーに言われた言葉「何故鵜吞みにするのか?鵜呑みにしなくていい」
夫には「何故そう思うんだ?おかしな奴がおかしなことを言ってるだけだろう!済んでしまった事やどうしようもできない事を話し合っても無駄。どうしようもできない事を追及したところで無駄。おかしなことを言ってくる奴とは建設的な話し合いなどできない。反省する面は大いに反省し、善悪ではなく合理的な答えを導き出すのが正解だ。もしもそれ以上の事をグダグダ言ってくる奴がいたとしたら、それは合理的な人間ではないということなので、ああそうですか済みませんでした、それでいいじゃないか!なんでわからないんだ、前にも言っただろう!」
理由を問う必要のないもの、否は認め真摯に向き合う必要はあるが、貶めてくる言葉をかけられたとしたら受け入れる必要のないもの。それは「本当の意味では私の世界にはなかった」そんなことは知らなかった。喧嘩は買わないこと売らないこと。責め立てられたら対抗しなければ自分を守れない「それは違う!」と怒りを示すしか方法は知らなかった、しかしそれでさらに攻撃されたら最後は沈黙するしか手はなかった。
×→「自分以外が正しい」で、〇→「どちらが正しいかではなく、感情を交えず合理的に問題を解決する」これが最適解なら私は最初から誤っていたという事になるが、とりあえず取り入れてみることにする。認知の歪みがあるし、統合的に応用が下手なので何度も繰り返し覚え込ませる必要がある。こんな自分に失望がある、何故うまくいできないのか何故こんな思考回路なのか、受け入れるのは辛いけれどこれが私の現実で意識的にやっていくしかない、しかしそれは「本当はとても悔しい事」なのだと思う。