不安だ不安だと言い過ぎている自覚はある。この甘えは愛着ゆえの苦しみの産物で、要は、母を求めて誰彼構わず愛着を結ぼうとしているから、話しかけている気がしている。誰だって不安や恐れはあり、私だけではないことは自覚している。しかし依存的な関りは自戒していても、気づくと不安をさらけ出している自分に気づく。
不安の吐露が悪いという事なのではなく、自他の境界線が緩いことが問題なんだという気付き。人と状況を選択することが大切で、つまり誰彼構わずが良くないのだ。コンディションが悪い人にも自分を嫌う人にも甘えて依存しようとするからトラブルが起こるのだ、自分に意地悪な人でも関わろうとするのは自分が寛容だからとかではなく、人間関係においては迷惑な部分であり幼稚で相手への配慮に欠ける態度なんだと実感する。
今の自分の課題として「成熟する」がある、しかし成熟するためには未熟な自分を自覚して上書きしなければならないから苦しい。葛藤やモヤモヤを掘り下げ、過去に感じた小さな違和感と自分の中のささやかな声に耳を澄ませて進む。自分を嫌う相手への配慮と自他の区別の配慮「相手は自分と同じではないのだから」これこそが尊重の真実なのかもしれない。字面は分かっていても知るという作業は実に痛くて、最近は自分に向き合う苦しさに煩悶している。