悲しませたくない、誰を、母を。
好きになってほしかった、私を信じてほしかった。
心に傷を負ったのは何時だったのか、深い心の底にあるのは「悲しませたくない」という思い。
母を悲しませたくなかった、母に笑ってほしかった、母が大好きだった。
でもいつも悲しませた、そして自分への無力感を感じていた気がする。
「自由人な姉は母に叩かれていた、姉を反面教師に妹である私は賢く立ち回ったの」ある会話の中の誰かの発言。
口に出さず考えたのは、本当にその方のお姉さんは自分勝手だったのかという事。もしかしたら母の定めたルールに従えなかったから、受け入れられないからこその反発だったとしたら。
私は母の与えた駄目なお姉ちゃんの役は嫌だった、愛されたいという欲求はあるけれど引き換えに本心を誤魔化すことはできなかった。ありのままを認めてほしいのに、自分勝手なお姉ちゃんという役を受け入れるなんてできなかった。
もし、慰め役が与えられていたら上手くいっていたのであろうか?否かもしれない、母の認識の不合理に子供心ながら反発があったから。常に回避して私は可哀想と自己防衛している母だったから、きっと相容れなかった。
今も関わる時の虚しさと空虚感は変わらない。もう好きになる努力はしていないが、この部分が罪悪感の根源な気がしている。自分の大好きな人が自分を好きか嫌いかは分かるもの、認めたくはないが「母は私を愛さない」という諦観が肝心な気がしている、辛すぎて受け入れられなかったから曖昧にしていた病巣、自己肯定感を損なうもの。この心の折り合いをどうつけるかはこれからの課題、私は母を諦められるのだろうか。