過集中とこだわりが「わかってほしい」という欲求と繋がる、そこに衝動性が加わることで欲求が暴走する、止められない。
私がわかってほしいと居ても立っても居られないのは、衝動性があるから。
過集中で止められない欲求と、察する力の弱さ、統合的な判断力が私は一般の人より劣る。
相手が本気で怒るまで気づかない、空気の読めなさ察しの悪さ。
人の言葉の奥、踏み込んでいいかどうかの境界線が読めないからこそ、真に受けるし境界線がわからない。
好きでこんなやり方をしている訳では無いのだけど、ふと気づけば突き詰めたくなる。
疲れるがしないよりはしたほうが自然なのだ私的には。
しかしこれは一般的には努力の足りない未熟者になる。
「大人なんだからわかっているべきでしょ、子供じゃないんだから手取り足取り教える事じゃないでしょ」
その普通のことが、努力しても注意してもどうやっても理解しきれない苦しみを知らないのだろう。
努力で何とかすべしと認識する人が多いのだろう。そんな私にとっての理不尽さ。
相手の不快感情の発露で、読みを外したのだと知る。そして自分に失望する、もう疲れてしまった。
それでも立ち上がるしかない自分がいる、生きることは投げ出せない。
私に与えられたメーカーオプション、新たな次元で受容が必要な部分。
悔しくても受け入れて対応を続ける、明るく生きる未来のために、自分のために。
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