自分を知り他人を知り、多方面から発達障害について学びを深めている。
原動力は過去の疑問点。過去と現在の「人間関係の疑問」を「学んだ知識」とでつなぎ合わせ、新しい認知に置き換えている。つまり放置してきた傷を一つ一つ手当てしているのだ。
今悩んでいる苦しみの根源を探れば「自分が悪いから」「自分が至らなかったから」という認知に至る。この認知の上書きには自分の傷を追体験するような感覚があるので、非常に疲れるしとても億劫でなかなか進まない。
最近の大きな認知の上書きは、自分以上に実父に発達的な特性が強いという事。そして夫と舅と義姉、そして息子は同じようなASDの特性があるのではないのかということだ。誰でも持っているのかもしれない発達の凸凹に気づいた。
何故、自分にとって都合の悪い指摘を否定し感情的に怒るのか、激情が覚めた後に頓珍漢な理屈で責めたり嫌みを言ってくるのか。私は相手の最もらしい攻撃や怒りを信じて傷ついたり悩んだり、自分が至らないからだと自己嫌悪しながら受け入れて苦しんできた。
今こそ、私は彼らの暴言を全面的に受け入れる必要はなかったと、認知を上書きし自分に言い聞かせている。私は相手が正しいのだとずっと信じてきた、しかしそうではなかった可能性が高い。だって間違っていると指摘されたのならば素直に修正しアップデートすればいいだけなのだから、それが成熟した人間なのだから。彼らは何故かそうできない、その理由を知りつつある。
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