嫌いなのに離れられないのは、無意識に相手に求めているものがあるから。だから執着しているということ。敵対的依存。
「無意識に親を投影している、目の前の関係ない彼女に」
未完了の抑圧した感情がある。幼少期に傷つけられた「癒されていない傷」を彼女を使って癒そうとしている。
「私は愛されたかった」「父に母に大事な存在だよと認められたかった」得られなくて自分を責め否定した。「どうせ私は駄目な人間だから」「私は母に嫌われているから」幼い私は、この自己否定感が辛くて抑圧したのかもしれない、愛されない自分を受け入れられなかったのだろう。
自分を殺して相手の望む自分でいれば絶望感や孤独の恐怖を感じなくて済むという利得。嫌なことは我慢して飲み込んで抑え込んで、自らが悪かったのだと悪役を買って出ていれば家族は維持された、繋がれるという間違った認知を持っていたのだろう。
私は本当の感情を直視してみる事にする。
「私は父母に愛されたかった」
「叩かれるのは本当は嫌だった」
「できないことを何故できないんだと怒られるのが嫌だった」
「一人ぼっちになりたくなかった」
「私を大切にしてほしかった」
「父母の感情次第で私だけ怒られるのは嫌だった」
「自分だけ怒られるのは悔しかった」
「上手くできないことには突き放すのではなく親切にコーチしてほしかった」
「私を見て幸せそうに笑ってほしかった」
「慈しみ深く私を愛してほしかった」
「凄いねよくやったと言ってほしかった」
「本当は父母が好きだった」
「私を信じてほしかった」
ああ、私は愛してほしかったんだ。こんなシンプルな感情をずっとずっと抑圧して感じないようにしてきたんだ。ずっと我慢してきたんだ。そんな自分を認めたい、そんな苦しい思い込みを抱いていた自分を癒してあげたい。ここに私がいるよと教えてあげたい。
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