失敗を嗤う人がいる、手を叩いて笑う、それは場を和ますため?
嗤われることへのトラウマがあるのだと思う。失敗の多かった子供時代、虐められていた時の同級生の談笑。今の職場で新人の頃のミスに「笑わないで」と初めて伝えた、それを言葉に出すのは勇気のいる作業だった。その時の相手の面くらった顔を思い出す。
同じ空間で失敗した人を嘲笑うのは、やはりおかしいことだと思う。優しくない世界、品位、人間性とかいう理論武装よりも、私が笑われるのが嫌なんだと思う、トラウマなんだろう。
人にもよるし状況にもよるし、人の失敗を嗤うのは人間だからでもあるから、社会性優位の為の方策な訳だし、場を和ますために人の失敗があった時笑うのはあっても仕方が無いのかもとは思う。
しかしその口で私は今日、他人の些細なミスを関係ない人と笑い合った。「あなたも笑ったよ」と言われてハッとした。当人を前にして笑わなければいいのか?同じ口で矛盾していると自己嫌悪した。
人間だから失敗も、優位性を図って笑ってしまうのもあるんだなと感じた。もう少し分解が必要な心の動きとトラウマ。私はどうなりたい?嫌悪じゃなくそんな自分を受け入れることから始めようと思う。
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