自分を見つめ直し、学び始めてから「知る痛み」がある、ということを知った。
私は「至らぬ未熟な自分」を「知る」ということに、抵抗感はあまりなかった。
もちろん痛いし、知りたくないという気持ちもあるけれど、知りたい欲求のほうが大きかった。
「知れば変えられる」から、わからないまま怒られるほうが嫌だった。
ずっと「何かが違う」という違和感を抱えて生きて来た、自分が自分でわからなかった。
おぼろげながらずっと探し求めてきたのは「自分の本心」なのかも知れない。
問題に直面した時、まず最初に考えるのは「何を求められているか」だったから。
何を演じればいいのか分からないことが不安だった、演じる何かがあれば楽だから。
いろいろな媒体から情報を得て、注意深く自分を探っている。
この苦しみから逃れたい、自分が自分である事が辛いのは、もう嫌なんだ。
気づきが多く、知らなかったことが多くて、まだまだ先は長いけれど。
希望を持ち、情熱を持ち、自分を信じて、今日も先に進む決意を新たにする。
ゆっくりでいいと自分を労わりながら。
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