中学生の頃の記憶は厄介だ、いじめや家族の問題が混沌としていて辛い。(五月雨に思いつくまま記憶の奔流と向き合う私は、今はこれが必要だと感じてアウトプットすることにする)
中学生時代、昼休み時間は学校中どこにも行き場がなかった、週や曜日ごとに各クラス使用場所が制限されていたからだ。割り当てられた校庭使用日に雨が降ると最悪だった。教室は針の筵なので居られない、図書室と体育館は他学年使用の割り当てだから過ごせない、保健室は他の生徒がいたし、先生の社交場だから入れなかった。
いつだったか学校中廻って、美術室も音楽室も絶望的だった日。最後に廻った体育館の外回りで同クラスの男子に遠くから指さされた、とっさに逃げた、剣呑な雰囲気だったのだ、プールのトイレと藪との境目に潜んだ、臭いし汚いし最悪な気分だった。
少し潜んでいたが、そろそろ5校時目が始まる、体育館の端から自分の教室に戻るのは時間がかかる、授業が始まってから入るのは間が悪いし、先生に激しく怒られた経験があったので避けたかった。時計を持っていなかったしチャイムが鳴ってからでは間に合わない、已む無く教室に向かうことにした。そこで先ほどの男子がまたしても私を指さした、どうやら探していたようだ、反対側に回ったが指図された他の男子に挟み撃ちにされてしまった。
「狩り」そう感じた、獲物の私は挟み撃ちにされて雪玉を前後からぶつけられた。クラスのほとんどの男子がいた、その中に真面目で優等生の学級長もいたのは驚きだった。怒りがわいた、居直って全員を眺めまわした、泣きわめかずに毅然と睨んだ、数人は見つめられて視線を逸らした。「罪悪感はあるんだ」そう感じた、狩りは本能で楽しかろうが、狩られる立場は楽しくない。
その後どうなったか記憶は曖昧で、幾つもの凍り付いた記憶の断片が浮かんでは消える。中学時代の辛い記憶がまだまだ埋まっているようだ。少しづつでも取り組んでいくのがいいのかもしれない、いつまでも抱えていなくていいと思う、辛い記憶の荷物を下ろしていきたい、私は私を助けたいのだ。
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