私は愛されたかった。母に皆に。
私そのものを丸ごと愛し、慈しみ、見守り、存在を肯定してほしかった。
それが「判ってほしい」渇望の根源、そう感じている。
いつか癒される時が来るのか、満たされる時が来るのか。
何故、この年齢になってさえ、渇望が満たされることが無いのか。
母に会っても、気持ちをぶつけても満たされないのか。
なぜこんな気持ちを抱えて生きていかなくてはならないのか、惨めだ。
これが私の人生、これが私。
もう、あの人たちに愛されなくても私は生きていける。
私は私のまま、私は私にしかなれない。
もう他の「誰か」にならなくても生きていける。
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