本願寺月光蟲です。
ナゴム~トイズ時代までの筋肉少女帯を私的に解説を勝手にしたいと思ってたりします。
しかもあえて時代を
遡って書いてます。
一回目はコレ→
「トイズファクトリー時代までの筋肉少女帯について 1 UFOと恋人」
2回目はコレ→
トイズファクトリー時代までの筋肉少女帯について 2 エリーゼのために
3回目はコレ→
トイズファクトリー時代までの筋肉少女帯について 3 SPACE SHOWER ARCHIVE 筋肉少女帯 LIVE 9103
トイズファクトリー時代まで私的に思う事をダラダラと・・・。
4回目。
ミニアルバムの「断罪!断罪!また断罪!!」です。
1.おまけの一日
(作詞:大槻ケンヂ / 編曲:筋肉少女帯)
2.踊るダメ人間
(作詞:大槻ケンヂ / 作曲:大槻ケンヂ、内田雄一郎、筋肉少女帯 / 編曲:筋肉少女帯)
3.猫のおなかはバラでいっぱい
(作詞:大槻ケンヂ / 作曲:大槻ケンヂ、筋肉少女帯 / 編曲:筋肉少女帯)
4.パブロフの犬
(作詞:大槻ケンヂ / 作曲:橘高文彦、筋肉少女帯 / 編曲:筋肉少女帯)
5.代わりの男
(作詞:大槻ケンヂ / 作曲:太田明、筋肉少女帯 / 編曲:筋肉少女帯)
6.何処へでも行ける切手
(作詞:大槻ケンヂ / 作曲:内田雄一郎、筋肉少女帯 / 編曲:筋肉少女帯)
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1991年の夏に出たミニアルバム。
この時期バンドブームは終焉。
大槻はラジオや深夜番組に頻繁に顔を出していた時期でもある。
しかしこのアルバムはミニアルバムなので売価も多少安くそこそこ売れたと思う。
今でも盛り上がるし代表曲になった「踊るダメ人間」も入っている。
「踊るダメ人間」は前シングルの「サボテンとバントライン」よりもはるかに売れていた。
そこで契約の問題なのか?それともあせったのかわからないがいきなりミニアルバムが。
発売前2か月位前から普通は宣伝するわけだがこのミニアルバムは何故か1か月位前になっていきなり宣伝されたのを覚えている。
「踊るダメ人間」のシングルはラジオでヒットを飛ばしていたし、大槻はオールナイトニッポンで毎週楽しそうに話してた時期でもある。
バンドブームのバンドの中でも特異な位置にいた筋肉少女帯だが大槻の作戦が功を成したためギリギリ生き残った感じであった。
この「踊るダメ人間」の威力は割と大きく筋肉少女帯を聴かないロックファンも鼻歌で歌ってた。それくらいラジオや優先で歌われていた。
たまにテレビでも歌っていたんだけど、こういってはなんだが大槻が言うよりも世間のロックファンはまだまだ「お笑い」だと思ってる人ばかりだった。
テレビしか観ないようなロックファンはこの時期筋肉少女帯のイメージはまだまだボヨヨン、カレー、ブーのイメージしかなかった。
大槻や筋肉少女帯純正ファンはそんな事思ってなかったが世間の反応はこの時期もまだまだお笑いであった。
よく大槻が昔を振り返ると「せいきまつ、すかんち、筋肉少女帯はバンギャルからは無視されていた」みたいな事を言っているけど、女の子に限った話じゃないよ。男のロックファンもこの時期はまだまだボヨヨン、カレー、ブーのイメージだった。
そんな中、「踊るダメ人間」である・・・・・。
これはもうダメ押しである・・・・・。
当時の筋肉少女帯マニアや大槻の感覚はズレまくりであり・・・・・・・・・・・・・・。
そりゃそうだよ、メジャーに出て「釈迦」と「サボテンとバントライン」以外は違う意味でインパクト高いし、演奏能力が高かろうが全国のリスナーは演奏能力なんか関係ないわけで。
「サボテンとバントライン」もラジオでよく流れていたが、「自分の仕掛けた爆弾で死ぬとかバカな歌だろ」みたいな事を言われてたりした。
今でこそ筋肉少女帯は大御所になりつつあるうえにファンが優しい。
だがこの当時はやはりお笑い扱い・・・・。
本当は本格的な異端ロックバンドなんだが。
このミニアルバムだがかなり売れたのは「踊るダメ人間」が入っていたためであり、当時の客の3割はこの曲ばかりリピートしていたのではないかと思う。
音楽的には「何処へでも行ける切手」という素晴らしいプログレが入っているし、この曲は大槻の自信作であったようでアルバムから流すのはこの曲ばかりだった。
後、このアルバムもこの前作のアルバムもだが非常にタイミングが良い。
この時代、洋楽はとにかくハードロックとメタルがブームであった。
ギターアルバムが輸入市場でにぎわっていた時代なわけで、そりゃ橘高のギターを聴くために洋楽小僧も聴いていたわけです。
そんなこんなでこのミニアルバムは売れたのだがこのアルバムを境に筋肉少女帯は生き残りを賭けはじめ苦闘していくという。
今思うとなのだが、これ、、、シングルの値段でいいと思うのだが・・・。