本願寺月光蟲です。
先日、仕事というか色々と三人で作業してまして。
なんだか3人して肉体的に疲れてて、しかもこのままいくとホント倒れそうな位で。
拓郎さんの落陽を流したんだけど、そん時この映像のDVDを流してまして。
「落陽」という代表曲なんだけど、この歌で三人して手が止まり観てしまった。
しかも無言。
名曲と言うのは簡単なんだけど、臭い言い方をすると、もうね歌詞がいいんだってな話で。
だが、そこはやはり音楽であるからしてご飯と同じで同じく感動しない人もいるだろうし。
ヤフー知恵袋でこんな質問が出てる。
回答者の答えも見事でして。
まずは質問の内容↓
吉田拓郎さんの「落陽」って曲ですが、何がいいのかまったく分かりません。歌詞の...
吉田拓郎さんの「落陽」って曲ですが、何がいいのかまったく分かりません。歌詞の意味が分からないし、何を訴えたいのか理解不能です。馬鹿な私(23歳)に分かりやすく教えていただけないでしょうか?
私の上司(52歳)がカラオケでいつも必ず歌うんです。それも必ず涙を流しちゃうんです。すごく思い入れのある曲なんだな~と何となくは分かるのですが、少し異常さを感じるほど男泣きに泣きながら絶叫して歌うんです。初めて聞いたときは凄いな~、カッコイイな~と思いましたが、さすがに毎回毎回聞かされると、最近はウザったくなってきました。
そこで、私なりにどんな曲なのか分析してみようと思い、ダウンロードして聞いてみました。ところが、さっぱり分からないんです。お土産にサイコロ?すってんてんの爺さん?戻るたびに日が沈む?などなど・・・。
一体、私の上司はどんなところに感動しているのか?上司に直接聞いてみても、「お前には、この歌の良さは分からんよ。」といつもはぐらかされてしまい、教えてくれません。
こうなったら、拓郎信者の方に聞いてみるしか方法がないかと思い、質問させていただきました。国語IQ=0の私にぜひ分かりやすく教えてください。よろしくお願いしますm(_ _)m
↑こうなる人っているような気がしますが。(どんな曲でも)
「ほんとバカなんだな、この女」って言うのはたやすい。
というか、国語力だけの問題ではないというか、これは感性の問題でもないような気がするしわからないからバカってわけでも勿論ない。
元々拓郎さんの人柄というよりも人間性等や、あとは自分とどれだけ重ねられるかってのも音楽の素晴らしいところであり。
感情移入と言いますか。
私も拓郎さんは好きは好きだけど、普通に好きであって拓郎さんのマニアにしてみたら信じられない程の知識しかない。
だが、この「落陽」が何故当時うけたかだけはわかっているつもりだったりする。
そして嫌な事があると落陽の歌詞を思い出したりして、一回聴くと止まらなくなったりする。
肝心の歌詞なんだけど、コレです。
↓
落陽
作詞 岡本おさみ
作曲 吉田拓郎
しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね
女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで
すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直者さ
この国ときたら
賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
サイコロころがしあり金なくし
フーテン暮しのあのじいさん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち
身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよ
サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
戻る旅に 陽が沈んでゆく
↑
歌詞はこの通りです。1973年(昭和48年)の歌です。
私も勿論世代ではないし後追いも良いとこ。
だが、この歌を聴くたびに泣きそうになります。
しかもこういう比喩というのかな?
こういう言い回しの曲は今現在の日本の音楽シーンでは表に出てこない。
後にキンキキッズの番組に出たりしてたわけで、その当時の若い奴にしてみたら「なんでこの人大御所なの?」という空気があった気がする。
だけど、知ってる人は知っているし、フォークシンガーの中でも特殊な位置にいたまま年齢を重ねその人気はいまだに健在だったりする。
とにかくフォークシンガーとしても日本の音楽業界でもかなり特異な位置にいます。
先程の「良さがわからない」という23歳女の質問に対し紳士な対応で素晴らしい回答が載っている。
この回答はほんとにイイ答えです。
回答↓
ベストアンサーに選ばれた回答
「この国には賭けるものがない」と無気力に、「漂って」流されるままに生きている若者が、北海道の旅で知り合った「フーテン暮らし(今でいうホームレスともちょっとちがうけど)のじいさん」との別れの歌。
じいさんは、終戦後の日本で、多分(博打のように)賭けて生きる道を選択し、いろいろなことに挑戦しながら生きてきた。高度経済成長の中、型にハマった生き方ではなく、自分の信念と時には、それを大事にした選択をして、結果、身をくずして、今はすってんてん(一文無し。お金だけじゃなく、家族とか、地位とかも含む)
そんな生き方を若者は「正直もの」と思った。
じいさんは、別れ際に、博打で使うサイコロ二つを若者に持たせ、
多分ですが、、「自分の道をみつけろよ。でもこんな自分のようにならないように、選択を誤るなよ!選択がわからなくなったら、時にには賭けも必要さ」とかなんとか、肩をたたいて送りだしたんだと思います。
まるで、男性との別れを惜しむ「女性」のように、
船が出るときに持つ紙テープが切れた切れ端まで拾って、別れを惜しんでくれたじいさん。
今日もまた「陽」が沈んでいく。自分は、また振だしから、新しい旅に出る。
もらったサイコロを振っても、きっとまた(すごろくの)振りだしに戻っしまい、前に進めない・・・んだろう
その繰り返しだ。旅を続ける中で、当たり前のように「陽」は昇って沈むけど、
自分も「陽のあたる」生き方を見つけられるんだろうか?
いや、振だしに戻ったら、次こそ、(自分の)陽を昇らせるぞ!
だから、その前に今、陽が沈んでいくんだ・・・・
(中略)
吉田拓郎さんが若者に受けいれられた(当初は、異端児と言われました)理由は、それまでのメッセージ性の強いものではなく、
「もがく若者像」をソフトな歌詞でうたったところだと思います。
フォークという一部の若者にしか受け入れられていなかったジャンルをメジャーなものにした方だと思います。
個人的には、JPOPの礎となったのでは?と思っています。
私も、上司の方と同じ世代ですが、中学生頃(歌詞の意味もわからないけど)ハマりましたよ。
↑
この方の解答はホントに素晴らしいと思います。
「もがく若者像」「「自分の道をみつけろよ。でもこんな自分のようにならないように、選択を誤るなよ!選択がわからなくなったら、時にには賭けも必要さ」
「今日もまた「陽」が沈んでいく。自分は、また振だしから、新しい旅に出る」「 今日もまた「陽」が沈んでいく。自分は、また振だしから、新しい旅に出る。
もらったサイコロを振っても、きっとまた(すごろくの)振りだしに戻っしまい、前に進めない・・・んだろう
その繰り返しだ。旅を続ける中で、当たり前のように「陽」は昇って沈むけど、
自分も「陽のあたる」生き方を見つけられるんだろうか?
いや、振だしに戻ったら、次こそ、(自分の)陽を昇らせるぞ!
だから、その前に今、陽が沈んでいくんだ・・・・」
素晴らしい回答だと思うし素晴らしい解釈だと思います。
これ、質問者の23歳の女の子にはわからなくて当たり前なんだよね。
ぶっちゃけ、私はカラオケ行かないけど、昔たまに嫌々誘われた時にこれをチョイスしてよく歌っていました。
先日3人で体力がとっくに限界を超えてる時にこの曲の映像を観て、皆手が止まったのですが、解釈は違うかもだけど私含めて三人は色々と思う事があったんでしょう。
「今こんな歌出てこない」ね、と三人で話してる時三人のうち一人はなんか涙ぐんでたりして。
そうなんだよな、色々とあったなあと。
涙ぐん出た人はまさに「人生の最大のライバルは自分」とか「とにかくいつでも本気」を100%実践してる人で。
時には孤独になってるのを私は過去何回も観ているので身に染みてなんか無言になってしまった。
拓郎さんの日本の音楽シーンでの立ち位置と言うものは物凄く特異な地位であるわけですが、色んな人が様々な解釈をできる歌詞が多く、しょっちゅう聴きたくなったりするのです。
ここ数年で音楽をやれる状況じゃないみたいですが長生きしてほしいです。
私は過去4回拓郎さんのライブを観ていますがこの曲はほんと盛り上がります。
何でって、様々な解釈がきるからとしか言いようがないし、なおかつ「背負ってるモノ」「過去の自分の情景、主に苦しさ、楽しさ」が蘇る。
自分がどう生きてきたか、瞬時に考えれるという稀有な歌だから。
歌は世につれ世は歌につれ、という言葉があるけれど今現在格差社会がますます酷くなるからこそ身に染みるのかもしれません。
こういう歌がもっと若い奴に響いてほしいし、尚且つ新しい歌い手がこのような情景が見えるような歌を生み出して欲しいです。
ほろっと涙ぐんだその方も、「この曲だけはちょっと特別だよね」と言ってて、その後三人でまた仕事再開しつつも帰るまで冷静に仕事したりね。
色々ときつい曲ですが名曲ってのはこういうものかもしれません。
吉田拓郎 / 落陽
↑
ライブの動画ですんげえ盛り上がりです。
よく宗教的な感じと言われるバンドや歌手がいますけど、そういうノリと全く違う。
「熱気」だ。
ほんと、皆自分と向き合って大合唱しています。
演奏も見事です。
先日、仕事というか色々と三人で作業してまして。
なんだか3人して肉体的に疲れてて、しかもこのままいくとホント倒れそうな位で。
拓郎さんの落陽を流したんだけど、そん時この映像のDVDを流してまして。
「落陽」という代表曲なんだけど、この歌で三人して手が止まり観てしまった。
しかも無言。
名曲と言うのは簡単なんだけど、臭い言い方をすると、もうね歌詞がいいんだってな話で。
だが、そこはやはり音楽であるからしてご飯と同じで同じく感動しない人もいるだろうし。
ヤフー知恵袋でこんな質問が出てる。
回答者の答えも見事でして。
まずは質問の内容↓
吉田拓郎さんの「落陽」って曲ですが、何がいいのかまったく分かりません。歌詞の...
吉田拓郎さんの「落陽」って曲ですが、何がいいのかまったく分かりません。歌詞の意味が分からないし、何を訴えたいのか理解不能です。馬鹿な私(23歳)に分かりやすく教えていただけないでしょうか?
私の上司(52歳)がカラオケでいつも必ず歌うんです。それも必ず涙を流しちゃうんです。すごく思い入れのある曲なんだな~と何となくは分かるのですが、少し異常さを感じるほど男泣きに泣きながら絶叫して歌うんです。初めて聞いたときは凄いな~、カッコイイな~と思いましたが、さすがに毎回毎回聞かされると、最近はウザったくなってきました。
そこで、私なりにどんな曲なのか分析してみようと思い、ダウンロードして聞いてみました。ところが、さっぱり分からないんです。お土産にサイコロ?すってんてんの爺さん?戻るたびに日が沈む?などなど・・・。
一体、私の上司はどんなところに感動しているのか?上司に直接聞いてみても、「お前には、この歌の良さは分からんよ。」といつもはぐらかされてしまい、教えてくれません。
こうなったら、拓郎信者の方に聞いてみるしか方法がないかと思い、質問させていただきました。国語IQ=0の私にぜひ分かりやすく教えてください。よろしくお願いしますm(_ _)m
↑こうなる人っているような気がしますが。(どんな曲でも)
「ほんとバカなんだな、この女」って言うのはたやすい。
というか、国語力だけの問題ではないというか、これは感性の問題でもないような気がするしわからないからバカってわけでも勿論ない。
元々拓郎さんの人柄というよりも人間性等や、あとは自分とどれだけ重ねられるかってのも音楽の素晴らしいところであり。
感情移入と言いますか。
私も拓郎さんは好きは好きだけど、普通に好きであって拓郎さんのマニアにしてみたら信じられない程の知識しかない。
だが、この「落陽」が何故当時うけたかだけはわかっているつもりだったりする。
そして嫌な事があると落陽の歌詞を思い出したりして、一回聴くと止まらなくなったりする。
肝心の歌詞なんだけど、コレです。
↓
落陽
作詞 岡本おさみ
作曲 吉田拓郎
しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね
女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで
すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直者さ
この国ときたら
賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
サイコロころがしあり金なくし
フーテン暮しのあのじいさん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち
身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよ
サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
戻る旅に 陽が沈んでゆく
↑
歌詞はこの通りです。1973年(昭和48年)の歌です。
私も勿論世代ではないし後追いも良いとこ。
だが、この歌を聴くたびに泣きそうになります。
しかもこういう比喩というのかな?
こういう言い回しの曲は今現在の日本の音楽シーンでは表に出てこない。
後にキンキキッズの番組に出たりしてたわけで、その当時の若い奴にしてみたら「なんでこの人大御所なの?」という空気があった気がする。
だけど、知ってる人は知っているし、フォークシンガーの中でも特殊な位置にいたまま年齢を重ねその人気はいまだに健在だったりする。
とにかくフォークシンガーとしても日本の音楽業界でもかなり特異な位置にいます。
先程の「良さがわからない」という23歳女の質問に対し紳士な対応で素晴らしい回答が載っている。
この回答はほんとにイイ答えです。
回答↓
ベストアンサーに選ばれた回答
「この国には賭けるものがない」と無気力に、「漂って」流されるままに生きている若者が、北海道の旅で知り合った「フーテン暮らし(今でいうホームレスともちょっとちがうけど)のじいさん」との別れの歌。
じいさんは、終戦後の日本で、多分(博打のように)賭けて生きる道を選択し、いろいろなことに挑戦しながら生きてきた。高度経済成長の中、型にハマった生き方ではなく、自分の信念と時には、それを大事にした選択をして、結果、身をくずして、今はすってんてん(一文無し。お金だけじゃなく、家族とか、地位とかも含む)
そんな生き方を若者は「正直もの」と思った。
じいさんは、別れ際に、博打で使うサイコロ二つを若者に持たせ、
多分ですが、、「自分の道をみつけろよ。でもこんな自分のようにならないように、選択を誤るなよ!選択がわからなくなったら、時にには賭けも必要さ」とかなんとか、肩をたたいて送りだしたんだと思います。
まるで、男性との別れを惜しむ「女性」のように、
船が出るときに持つ紙テープが切れた切れ端まで拾って、別れを惜しんでくれたじいさん。
今日もまた「陽」が沈んでいく。自分は、また振だしから、新しい旅に出る。
もらったサイコロを振っても、きっとまた(すごろくの)振りだしに戻っしまい、前に進めない・・・んだろう
その繰り返しだ。旅を続ける中で、当たり前のように「陽」は昇って沈むけど、
自分も「陽のあたる」生き方を見つけられるんだろうか?
いや、振だしに戻ったら、次こそ、(自分の)陽を昇らせるぞ!
だから、その前に今、陽が沈んでいくんだ・・・・
(中略)
吉田拓郎さんが若者に受けいれられた(当初は、異端児と言われました)理由は、それまでのメッセージ性の強いものではなく、
「もがく若者像」をソフトな歌詞でうたったところだと思います。
フォークという一部の若者にしか受け入れられていなかったジャンルをメジャーなものにした方だと思います。
個人的には、JPOPの礎となったのでは?と思っています。
私も、上司の方と同じ世代ですが、中学生頃(歌詞の意味もわからないけど)ハマりましたよ。
↑
この方の解答はホントに素晴らしいと思います。
「もがく若者像」「「自分の道をみつけろよ。でもこんな自分のようにならないように、選択を誤るなよ!選択がわからなくなったら、時にには賭けも必要さ」
「今日もまた「陽」が沈んでいく。自分は、また振だしから、新しい旅に出る」「 今日もまた「陽」が沈んでいく。自分は、また振だしから、新しい旅に出る。
もらったサイコロを振っても、きっとまた(すごろくの)振りだしに戻っしまい、前に進めない・・・んだろう
その繰り返しだ。旅を続ける中で、当たり前のように「陽」は昇って沈むけど、
自分も「陽のあたる」生き方を見つけられるんだろうか?
いや、振だしに戻ったら、次こそ、(自分の)陽を昇らせるぞ!
だから、その前に今、陽が沈んでいくんだ・・・・」
素晴らしい回答だと思うし素晴らしい解釈だと思います。
これ、質問者の23歳の女の子にはわからなくて当たり前なんだよね。
ぶっちゃけ、私はカラオケ行かないけど、昔たまに嫌々誘われた時にこれをチョイスしてよく歌っていました。
先日3人で体力がとっくに限界を超えてる時にこの曲の映像を観て、皆手が止まったのですが、解釈は違うかもだけど私含めて三人は色々と思う事があったんでしょう。
「今こんな歌出てこない」ね、と三人で話してる時三人のうち一人はなんか涙ぐんでたりして。
そうなんだよな、色々とあったなあと。
涙ぐん出た人はまさに「人生の最大のライバルは自分」とか「とにかくいつでも本気」を100%実践してる人で。
時には孤独になってるのを私は過去何回も観ているので身に染みてなんか無言になってしまった。
拓郎さんの日本の音楽シーンでの立ち位置と言うものは物凄く特異な地位であるわけですが、色んな人が様々な解釈をできる歌詞が多く、しょっちゅう聴きたくなったりするのです。
ここ数年で音楽をやれる状況じゃないみたいですが長生きしてほしいです。
私は過去4回拓郎さんのライブを観ていますがこの曲はほんと盛り上がります。
何でって、様々な解釈がきるからとしか言いようがないし、なおかつ「背負ってるモノ」「過去の自分の情景、主に苦しさ、楽しさ」が蘇る。
自分がどう生きてきたか、瞬時に考えれるという稀有な歌だから。
歌は世につれ世は歌につれ、という言葉があるけれど今現在格差社会がますます酷くなるからこそ身に染みるのかもしれません。
こういう歌がもっと若い奴に響いてほしいし、尚且つ新しい歌い手がこのような情景が見えるような歌を生み出して欲しいです。
ほろっと涙ぐんだその方も、「この曲だけはちょっと特別だよね」と言ってて、その後三人でまた仕事再開しつつも帰るまで冷静に仕事したりね。
色々ときつい曲ですが名曲ってのはこういうものかもしれません。
吉田拓郎 / 落陽
↑
ライブの動画ですんげえ盛り上がりです。
よく宗教的な感じと言われるバンドや歌手がいますけど、そういうノリと全く違う。
「熱気」だ。
ほんと、皆自分と向き合って大合唱しています。
演奏も見事です。