太平洋戦争末期、旧ソ連軍が日ソ中立条約を破棄して樺太に侵攻した。樺太アイヌは多くが移住を強いらた。
Aさんは両親や8人のきょうだいも父のふるさとである青森県弘前市に逃れる。楢木さんは、1948(昭和23)年、そこで末っ子として生まれた。父は直後に他界し、一家は母の親戚や知人を頼り、樺太からの引き揚げ者やアイヌの開拓集落だった北海道豊富町稚咲内に移住した。3歳ごろのことだ。
住まいはニシン漁の番屋。浜辺に建てられた掘っ立て小屋だった。海風にあおられた砂が壁の隙間から吹き込み、冬になると寒さで布団の襟元が霜が降りたように白くなった。
それぞれの歴史があり、本土では知られない事が多い。
白老町のアイヌ文化発信センターを訪れた、政府関係者はもっと情報を発信したいと言うが、みんな北海道に訪れたときには、行く人は少ない。
以前、敗戦したときスターリンは北海道を割譲するように、主張したと言うが、、、
ロシアの議員今でも、北海道は我が国の領土だと、平然といっている。
大国の最前線、防衛の重点を置いては志位