虜になるような文体の持ち主というのに、時々出くわす。有名無名問わず、である。鈴木治という方がいる。美術史家らしいのだが、「白村江~古代日本の政敵と薬師寺の謎」という著書を手にするまでそのお名前を存じ上げなかった。
続き。白村江の敗戦に関心があり、題名に惹かれて手にとったのだが、頁をめくりうちに、軽い興奮を覚え始めた。敗戦後、戦勝国である唐との間に円満な関係が築かれた、という通説に、そんなに甘い話があるものか、とずっと疑ってきた、僕の懐疑心と問題意識がぴたり重なったからである。
続き。白村江の敗戦とその後の壬申の乱が無関係であるとは思えなかったし、その時代から天皇号や国号が用いられ、記紀が編纂され、日本という国家意識がスタートする、そんな画期と一大敗戦が結びつかないはずはないとずっと疑ってきた。第二次大戦の敗戦とその後を参照すれば明らかだ。
続き。歴史を考えるとは、今を考えることだ。「戦後」という現代を考えるなら、白村江の敗戦後、という天平は、霞のかかる、はるかな古代のロマンではなく、あの時代の世界大戦とグローバリズムの大波をかぶったリアルだと感得される。大事なことは、見たくもない敗戦とその後の始末を直視すること。
続き。バラパラとめくるだけで、ああ、この方の話を聞いてみたいなと思い、奥付けを見ると、1905年生まれとある。え、100歳を超えている?と思い、見直すと、77年に亡くなられている。そんな昔の方とは、思えなかった。すぐ近くにいるような気配がしたのだが。
続き。ところで、昨夜、豊下楢彦氏の編著である安保条約の論理を読んだのだが、そこに「中立主義と吉田の末期外交」という論文が所収されている。達者な筆遣いに、ベテランの学者かと思ったら、筆者の池田慎太郎さんという方は1973年生まれという。今度は若くて驚いた。不思議なものだ。
さっきのニュースで、猪瀬知事がロンドンで記者会見してた。記者たちからの「放射能」への不安に対して、「東京は東北から遠いですから」って言った。耳疑ったよ。その東京のために自分たちには一切使わない危険な電力を請け負って作って送電してくれていたのに。そして今、被害を一身に受けているのに
事件を目撃したかもしれない、何かを撮影したかもしれない、に過ぎない人の自宅への強制捜査令状を取得して家宅捜査をする公安三課の人権感覚は完全に狂っている。公安三課が動けば動くほど大阪府警への評判が落ちていくだけ。もう過激派なんかおらんから、諦めて予算返上して解散しろ。
内閣官房参与の飯島氏が今、官邸の大掃除中。官邸の通行許可証1300枚のうち何十人かは明らかに警察当局がマークしてる人。民主党時代に出してしまった。明日『そこまで言って委員会』に安倍総理と共に飯島氏も出て、官邸がいかに酷い状況になってるか話してくれた★読売TV「あさパラ」勝谷誠彦氏
高槻市郊外のマンション。高さ10メートル位。 1月13日のガンマ線(μSv/h)計測:南側ベランダで線量計を下向けで2回測り各0.07と0.13でした。横向けで2回測り各0.07と0.05未満でした。寒さ緩む。日中曇り、霞み。夜、雨。(エアカウンターSを使用)
エアカウンターS 定点観測 (滋賀県大津市 自宅庭 高さ地面より1m)0.07μSv/h 天候 薄雲